プレリュードとフーガ








 草木も眠る丑三つ時、そんな時間に動く影は愚かだ。闇に紛れる間は助けられても一度光が当たれば簡単に追い出されてしまう。だからその少し前、人が起きて活動してもおかしくない時間帯が良い。人に紛れて人を殺し、人に紛れて人と混ざっていく。なんて卑怯だろうか、しかし同時にそれを可能とする世界にだって責任があるのではないかと思う事もある。酷い責任転嫁だろう、本当に?
 それが”有る”という事は”可能”という事だ。どれだけしてはいけないと言ってもそのブレーキを掛けるのはあくまでも人、意識下からの善悪、リスクとリターンを秤に掛けた結果。片方を黒だと断じる者が存在するが故に黒は存在している。だからこそ、観測する者さえ居なければそこに黒は存在しない。
 そしてどうやらこの国には、黒を黒だと観測する観測者は存在しないという。ユーリの足は音を忘れて融かし、とある目的へと明確に進んでいた。人よりも建物ばかりが背伸びをしている、荘厳で歴史ある栄華な城へ。後方の景色と随分違う綺羅びやかさは目に悪いが、闘志に火をくべるには持って来いだ。
 国民の声だけを防ぐ壁を足で蹴り垣根を超える。侵入した敷地内は細部にまで人の手が入った几帳面さが見え、余裕の無いスラムとの差を思わせた。浮かび上がってくる自分の心を冷やし落ち着け、頭に叩き込んだある目的へと迷いなく。

 ユーリが夜の世界に建つ城へ忍び込んだ目的はただ1つ。表面だけ美しく整え輝くこの国の象徴、聖なる焔の光、この国の宝と誉高い王子の暗殺だった。新聞記事や国の歴史書に何度も書き連ねられている彼の評判は、皆口を揃えて”類を見ない”だ。歴史ある王家の血だけを流す彼は、その才能を欲しいがまま奮い、足元の草花を見もしない政策を次々と打ち立て自らの指揮で実行している。喜んでいるのは一定層上の人間だけ、持つ者だけが豊かになり貧困の差を広げるばかり。
 以前に見た彼は、城内の広場で国民に向けて堂々と熱弁を披露し、後がないはずの現在を感じさせない巧みな話術、そして太陽を背負ったかのように見えるカリスマ、なのにまるで隠し事など何も無いと思わせる雰囲気を持ち合わせていた。遠くからだがそんな印象を受け止めさせる輝きはそれだけ別格だと言えるだろう。強烈な存在感はそれだけ人の心を掴み離さない。それを最大限利用し、骨までしゃぶり尽くす訳だ。活躍はそれだけではない。幾多もの戦場を魔力と剣技で圧倒し、兵士達や諸外国にも「鮮血」と、尊敬と畏怖の念を持って恐れられている。
 現在この国は生活と士気の全てを彼に左右されていると言っても過言ではなく、それ故に彼ひとりさえ居なくなれば後はどうなるか想像に難くない。そしてユーリはそれを狙っている。

 城の敷地内に入り、大勢の見張りを避けて奥へ進めば王族が住む本宅が見えてきた。情報ではもっと離れに、彼個人の部屋があると言う。しかし距離を縮めれば縮める程ユーリのスピードは早くなり、おかしいと思い始めた。騎士団の本拠地は城だ、だから場内の警護が厳しいのは最初から分かっている。逃走を考え就寝時間の前を狙ったのだから、もしかして近付く事すら出来ないかもと考えていた。
 目的の主たる部屋に近付く頃には予定がずれ込むかも、そこまでは予定していたのだが……現在、その予定はずっと繰り上がっている。離れに行けば行く程見張りの数は減り、人の気配すら薄くなっているではないか。この国の象徴で柱たる聖なる焔の光、そんな人物の部屋ならばもっと厳重に警備していると思っていたのに。実際奥まで来てみれば、ここは奥過ぎてその背中では国の外壁が近くなっている。これでは守っているというより、隅に追いやられていると言った方が正しい気がした。
 顔を上げれば目的の、ぽつんと建つ離れ。みすぼらしくはない、むしろたったひとりの為に建てられたのならば十分豪華だろう。だが王家が住むにしてはあまりにも寂しい佇まいだと感じる雰囲気。
 どことなく感じる違和感。それでもユーリはそっと足音を消して近付く。減った兵士は遂にひとりの巡回だけになっており、扉前に常駐すらしていない。城の警備を信頼していると言えば聞こえは良いが、手薄だとも言ってしまえるだろう。
 少し距離を取ってチャンスを窺っていると、突然兵士が別の兵士に呼ばれどこかへ行ってしまったではないか。周囲からは完全に見張りが消え、虫の鳴き声と風に騒ぐ木々のざわめきだけ。仕事をサボっているのはスラムに来る兵士だけかと思っていたが、こんな中心地でまさかこんなに仕事をしていないとは思ってもみなかった。どこか意図的な匂いが残る、罠かもしれない。ユーリは少し考え、ひとまず侵入する事を決める。いけそうならば事を成し、罠ならばすぐに撤退出来るように心を切り替えた。

 建物に近付き、煌々と光が漏れている箇所を確認する。見取り図で知ってはいたが本当に足が着く場所に侵入経路となりそうな場所に窓を堂々と、格子も無くごく当然のようにあった。わざわざここから入ってくださいと言わんばかりに、足を掛けやすそうな縁もある。この離れをデザインした人間はわざとだろうか、それとも元々別の目的で作っていた部屋だったのかもしれない。
 見張りはサボリ気味、城から離れている、侵入は容易。見事に3拍子揃っているとは、ならばもしや別の意図があるのかと邪推してしまう。それこそ侵入して凶行に及ぼうとする相手を返り討ちにして捕らえる為だとか。噂に轟く「鮮血」ならばありえそうだ。それ程の相手、目的とは別にしても少し楽しみかもしれない。ユーリは場違いに腕がそわつくのを抑え、影を作らないようにそっと窓へ触れた。
 なんとなくそうじゃないだろうかと思っていたのだが、やはり鍵が掛かっておらず蝶番はスムーズに、窓は音も無く僅かだけ開く。すると最初にふんわりと花の匂いが通り、ふたり分の声が聞こえてきた。片方は思った以上に高くまるで子供のような声、もう片方はおそらくターゲットだと思うのだが……演説で聞いた事のある声なのは間違いないが、妙に言葉使いが乱暴だ。

「こんなにいっぱい覚えられないですの〜……」
「あーもう、うっぜーな邪魔すんな! てかお前が覚える事なんか何にもねーだろーが!」
「でもでも、もし前みたいに隠されたり風で飛ばされちゃったらその時は僕の出番ですの!」
「もーいいっつの、なんか面倒になってきたし。ガイに頼んで服に縫い付けてもらえばいーじゃん」
「みゅう! それなら無くなったりしないですの! ご主人様賢いですの〜!」
「トーゼンだろ! 次からもそうしちまえばいーよな、どうせ何言ってんのかわっかんねーし」
「ご主人様のお話は難しくて、ミュウは良く分からないですの……」
「俺もわかんね。でも師匠の文章なんだから多分スゲー話なんだろ」
「この前言ってた、ちょうへい……ですの? みんな兵士さんになっちゃうですの?」
「みんな兵士になるんなら食いっぱぐれなくていいんじゃね」
「最近の兵士さん、新しい人ばっかりで時々怖いですの……」
「オメーみたいなブタザル、そこら辺うろついてたらとっ捕まって丸焼きにされっぞ」
「みゅうううう! そんなの嫌ですの、怖いですの〜!!」
「あーうぜー! くっついてくんな!!」

 聞いていると頭が痛くなる、そんな表現がこれ程当てはまる会話はそう無いと思う。室内からはドスドス、と何かを踏み付ける音と甲高い哀れな鳴き声。まさか子供に暴力を? そっと窓から覗き込めば、朱毛の青年が床へ地団駄を踏んでいる。もうひとりの姿はどこにも無く、青年の足元からみゅうみゅうと騒がしい声が。どうやら人語を喋るペットとのやりとりが今の会話らしい。
 ユーリは一瞬、部屋を間違えたかと思った。いくらなんでも少々、一般と比べても酷いやり取りなのではないか。以前遠くから見た事がある聖なる焔の光、あれからは遠くかけ離れている。だが視認して確かに、礼服を着て真面目に御大層な言葉を並べれば彼になりそうだとも思う。あの鮮やかな、赤から金色に抜ける髪色は他に類を見ない。
 彼はペットを踏み付けて満足したのだろう、フンと鼻息を飛ばしてベッドにどさりと寝転ぶ。その姿はどう見ても王族の優雅さとは程遠い、そこらに居るチンピラと変わりない振る舞い。あんなに無碍にされたのに、ペットの小動物はふらふら空中を飛んで甘えた声を出しご主人様、と呼んでベッドに近付く。枕元に立ちミュウミュウ鳴いていると、うるせー! と拳がどすりと落ちた。それでもめげずに主人を呼ぶ様はいっそ健気か、そういう趣味なのか疑いを持つ。
 人語を解し空を飛び、フォルムも丸っこくて人懐こい。他にこんな生き物は見た事が無く、一度知られれば高値で取引されそうなペットだ。それをああも乱暴に扱う思慮の無さがある意味貴族、というやつなのかもしれない。
 窓の隙間から何度確認しても、彼があの”輝く鮮血の炎”だと思えない。見た目だけならば確かにそっくりなのだ、何度も何度も彼を褒め称える記事や写真をこの目で見てきている。だがたった少しの間でも、部屋に居る彼の幼さと短慮が見て取れた。もしや影武者を立てて、こんな誘いやすい部屋に置いているのかも。にしては少々迂闊が過ぎる気もしてしまう。
 もう一度よく考えて、今のペットとの会話は少し気になった。ちょうへい……徴兵。それはつい先日、城の広場で国民を集めてスピーチした、他国への戦争の為に広く徴兵を行うという話と一致する。まさか、本当に? ユーリの心が迷いを生み出したのかはたまた偶然か、瞬間背筋にぞわりと鳥肌が立つ。すると中で甲高い鳴き声が聞こえるのは同時だった。

「みゅううう!」
「っんのヤローっ、いきなり何しやがるっ!」
「……聖なる焔の光、覚悟っ」

 慌てて室内を見れば、何時の間にか新たな登場人物が短剣を手に襲いかかっている。黒い装束、隙のない身のこなし、どこをどう見ても暗殺者。その短剣は小さな弧を描きながら確実に距離を縮め、相手の急所を狙っている。暗殺者は音も少なく全体の動きが巧みだ、ある程度の実力では相手にもならない強さだろう。
 ”輝く鮮血の炎”の二つ名が事実ならば、この戦いで化けの皮が剥がれるかもしれない。今までの行動は全てわざとで、道化を演じて誘いだしていたとか……。そう考えるユーリを裏切り、朱金の髪を翻す彼はドタバタと部屋中を駆けまわり、みっともなく大声を上げてギリギリ首の皮一枚を避ける攻防を続けていた。

「あっぶね、あぶねーだろーがテメー怪我したらどーすんだ!」
「ご主人様避けてくださいですのっ、右ですの〜っ!」
「えっ、うわっ!? あーもうテメーはうるっせーからどっか行ってろ!!」
「……ッ」

 ぎゃあぎゃあと騒いで叫んで、とてもじゃないが華麗な動きとは言い難い。だが暗殺者の剣を避け続けているのは事実だ、相手もあまりにも当たらなくて少し苛ついてきているのが漏れ出てきた気配で感じ取れる。

「あったまきた! ぶっ潰してやる!」
「ファイトですの!」

 ようやく飾っていた剣を手に取り、対抗する姿勢を取る。間合いを読まずにいきなり斬りかかるが、当然相手は風のように躱す。ぶん、と振り返った拍子に壁の絵をざくりと切り裂いてしまい、彼はテメーが避けるから! と怒りをダダ漏らしていた。
 感情をそのまま剣に乗せるとは愚の骨頂、だがその分パワーがある。おそらく剣の指導は受けているのだろう、型にはまった動きが随所に見られるが、自己流になり乱暴でいい加減な隙になってしまっていた。惜しいな、ユーリは素直にそう評価する。もっときちんと基礎をやり実践をこなせば確実に強くなりそうなのに、今の彼はどこもかしこもぎこちない。怒りと気合で誤魔化しているようだが、剣の持ち手が震えているのを隠せていなかった。
 それでも必死に拙さを素質と運でカバーしており、紙一重でも負けそうな雰囲気が無い。時々居るのだ、頼りない見た目と貧弱な意志で武器を手にする事を恐れるくせに、その実力が反比例している者が。しかしそれが朱金の彼に当てはまっているのかと言われれば首を傾げてしまう部分もある。やはりどうにも、全体的に幼く経験不足が目立つ。
 幾太刀の剣撃、音も声も大きくなっていくが誰かが駆け付けて来そうな雰囲気はなく、このままでは消耗戦になるだろう。そうなると勝負は既に息が切れ始めている朱金の彼に分が悪くなるのは目に見えている。
 あの暗殺者が殺すというならばユーリの手間が省けて助かる話だ、しかし先程の会話を聞いて、もしかするとただの影武者、別人ではないのかという懸念が胸に渦巻く。ユーリにとって狙いはただひとり、この国の中心で足元の民を踏み潰す聖なる焔の光のみ。それ以外を好んで殺生したい訳じゃない。
 どうするか己を決めかねていたその時、部屋の中で決着が着こうとしていた。キィンと剣が跳ね飛ばされる音、舌打ちが続いて焦った感情を垂れ流している。ユーリのターゲットが壁際に追い込まれ、左手を痛めていた。やっとその首を取れる、暗殺者がじりじりと迫る背後に……あの小さなペットが大きく息を吸い込んでいる。何かしようとしている、だが朱金の彼が素直すぎる表情で驚くものだから、暗殺者に気取られてしまった。
 ゴオオオッ! とペットの口から豪炎が驚く程の近距離で吐かれる。直接攻撃にならずともこれで隙を突けるはず、そのはずだったが、なんと暗殺者は大胆にも勢いの弱い中心へ恐れず手を伸ばし、小動物の首をキュッと握り締めてしまった。

「みゅううう〜っ!?」
「ミュウ!」

 苦しそうな悲鳴を強引に閉ざされ、邪魔者を排除する為壁へと乱暴に投げ放つ。しかし次に驚いたのはユーリだった。朱金の彼はペットの名前らしきを呼び愚かにも投げられた方へ駆け出そうとしている。目の前には命を取ろうと剣を持つ者が居るのに、ペットの心配をしている場合か。おそらく単純に、ひとつの事しか目に入らないのだろう。馬鹿過ぎる。
 ユーリは知らせるつもりで窓を思いっきり開け一息で部屋に入り、朱金の背中へ剣を振り下ろそうとしている暗殺者の手へ鞘を投げつけた。

「何奴っ!?」
「そりゃこっちのセリフだ、ってね!」
「な、何なんだよお前らっ!?」

 驚きに目を見開くが、その懐にはぐったりした小動物を抱き締めている。あれでは剣は握れない、ユーリは代わりに剣を取った。
 突然の侵入者はお互い様、目的も同じはずだが、今戦っているのは一体どういう状況なのだろうか。こいつは影武者だ、そう相手に言ってもおそらく信じてもらえないだろう。ならば取り敢えず今の所はお引き取り願うしかない。ユーリは昨日から重く締め付けていた胸のつかえを外し、思いっきり剣を踊らせた。

「……チッ!」
「うわ、おわああっ!? あーっ、その模型壊すなよガイに貰ったやつなんだからなっ!」
「んな事言ったって、命よりマシだろーが!」

 どうにも雰囲気を壊す場違いな言葉だが、ユーリの手は戸惑うよりも調子が良い。溜まりに溜まっていた鬱憤を、どこぞの誰かにぶつけるには丁度良いのだ。髪の先まで気が通るような繊細さで、度外視な力技を放つ。今度追い詰められたのは相手になった。背後に庇うひとりと一匹、荷物を背負っているのはこちらの方だがあまり負ける気にならない。
 退こうとしない暗殺者は短剣を投げ付け、あくまでもターゲットを狙いに来る。一途だね、そう鼻で笑いユーリは一閃を煌めかせた。
 ふかふかのカーペットにポタポタと汚す赤色。それは朱金の彼でも無くユーリのものでもなく、暗殺者の傷口から流れるもの。右腕に大きく深手を負わせ、ユーリの剣にも赤い液体が付着している。戦闘において傷は当然だが、背後から息を呑む声が聞こえたのは意外というか、むしろやはりか、と思わせる。

「貴様、何をしているのか分かっているのか」
「それを言える立場だと思ってんのかよ、あんたもさ」
「……顔は覚えたぞ」

 存外に静かな声、感情を排除し己の任務を全うする、あまり好みじゃない相手だなとユーリは思った。引き際を弁えてか、相手はさっと音も無く窓から脱出する。風のように去っていき、残されたのはぐちゃぐちゃに散らかった部屋だ。ユーリは溜め息を軽く、それから背後を振り返れば翠色の瞳がびくりと肩を驚かせている。じっと見つめる瞳はユーリ本人ではなく手に持つ剣に、もっと言えば剣に滴る血に注がれていた。
 幾多もの戦場で鬼神と恐れられる「鮮血」が、この程度で怯える訳が無い。彼は体の良い囮、影武者だろう。それにしても近くで見れば本当にそっくりだ、むしろ表舞台に出ているのが彼なのでは? と思ってしまう。
 しかしそうなると、どうやってこの場を去るべきか。暗殺者にしてもそうだが思いっきり顔を見られてしまったし、部屋をこんなにも荒らしてしまった。悪かったな、そう一言で逃げてしまおうか。ユーリは鞘を拾い剣を収め、口を開こうとした瞬間だ。それよりも先に相手から、やっぱり乱暴で、しかし意地を張っている事が分かる声が上げられた。

「テ、テメー来るのがおせーんだよ! しかもなんだ、床まで汚しやがって絶対許さねーからな!」
「オレは兵士じゃないっての。なのにあんたを助けてやったってのに、一言目がそれかよ……」
「兵士じゃねーって……じゃあ何なんだよ。ってか別にピンチじゃなかったし!」
「間一髪だったように見えたんだけど?」
「うるっせーな、んな訳ねーだろ!」

 意地でも認めようとしないその姿勢はある意味ご立派だが、助けた分の礼くらいは貰っても罰は当たらないと思うのだが。それにしてもこの傲慢な物言いは随分と覚えのある、ユーリの嫌いなお貴族様とそっくりだ。いいや誉高い王族様だったか、となると助けたのは尚早だったかもしれない。囮で別人だろうが、放っておいても良い人種だったのなら甲斐は無い。自分の身は自分で守れると叫ぶくらいなら、しっかり自分で剣を握ってもらいたいものだ。
 目的の人物とは違ったとしても、ここで脅しておけば本人にいずれ伝わるだろう。ユーリは再度すらりと剣を抜き、今度は切っ先を朱金の彼に突き付けた。

「生憎騎士は随分昔に辞めちまった身なもんでな、助けを呼ぶなら他を当たってくれるか」
「何……どういう意味だよ」
「たまたまブッキングしちまったってだけで、オレも狙いは同じなんだよな……その首」
「っ!?」

 脅し文句に殺気を込めれば、彼の額はどんどん青白くなる。恐怖に当てられ一度消沈すれば大人しくなるものだが、彼はぐっと拳を握ったかと思えば落ちた剣を取った。怒りを闘志にするのは簡単ではない、それ程の意地があるのかそれとも経験……それこそユーリの存在を察知し道化を演じ続けていたのか。

「ふざっけんな、いきなり入って来て部屋をメチャクチャにしたと思ったら今度は俺の首を取るだとか……こっちが叩き返してやる!」
「いきなり? マジでいきなりだと思ってんのかよあんたは。部屋じゃなくて国をメチャクチャにしてるのはそっちだと思うんだがね」
「はぁ? ……テメーこそ何言ってんだ、意味分かんねー事言って誤魔化そうったってそうはいかねーぞ!」
「本当に分からないのか、それともやっぱりわざとなワケ?」
「だ、だから……何が言いたいんだよお前」

 ユーリの問いかけに相手は馬鹿正直に困惑している。あれだけ民から搾取する政策を進めておきながら、全く自覚が無いのだろうか。それはそれで許せない話だが、今揺れている瞳は影武者とバレないようになのか別の理由か、一時の間でも見透かせる彼の素直さが仇となり逆に見抜けなくなっていた。

「……前にやった徴兵の話、あんたはどういうつもりで進めてんだ。今この国はほとんどガキと老人しか居ねーってのに、そこからもっと人手を奪って戦争するつもりなのかよ。そのクセ富豪層の奴らにゃ階級特権だとか言って、やらせたい放題なのは知ってるのか?」
「へ……戦争? 何の話だ?」
「さっき言ってたじゃねーか、徴兵って」
「だから、ウチの兵士になるんだろ? それに戦争なんかにはならないって師匠が言ってたんだし」

 せんせい、という名前の響きから妙に信頼を感じる。これは摂政政治でもしているのかそれともただ彼に想像力が欠如しているのか微妙な所だ。どちらにせよ今ここで殺しても、この国の行く末に変わりは無さそうだという事は事実に見えた。失望と呆れにユーリは溜め息を思いっきり吐く。覚悟を決めて来たというのに肩透かしだが、影武者にしては呑気過ぎる目の前の「聖なる焔の光」。利用されているなら同情はするが、同時に愚かで無責任だとも思う。

「今まで国民の前に立って喋ってたのはあんたで間違いないのか? さっき覚えるだのなんだの言ってたろ」
「あ? さっきのって……んだよテメー盗み聞きまでしてたのか、この大罪人!」
「罪人なのは自覚してるよ、生憎ね」
「なんでお前大罪人のクセにそんな偉そうなんだよムカツクな。誰が答えるかバーカ!」
「あっそ、んじゃ言わなくていいぜ。もう面倒になってきたから口封じとして口も訊けなくするだけだ」

 チャキ…と脅して切っ先を向け殺気を飛ばせば相手はビクリと、気配に敏感なのだろう空気の違いを感じ取っている。鈍感だが聡い、変わった人間だ。抱き締めるペットをそっと自分の背後にやる動作を見逃さず待っていると、彼は視線を逸しつつ不満気に答えた。

「人を集めて喋れって言われてる時はいっつもそうだっつの……師匠に渡された紙を見てそのまま読んでるだけだ。話し方とか途中身振り手振りしろって言われてるけど、そんくらいで……」
「政策はあんたの発案じゃないってのかよ、その師匠が全部考えてるのか」
「知らねーよ! 師匠が言う事なら正しいに決まってる!」
「おいおい、あんたこの国の状態見て本気で言ってんのか、今までその師匠とやらの政策でどんだけ人が減って死んでると思ってんだ」
「し、死んでる……? 嘘だろ、だって兵士やメイドなんて何時もそこらじゅういるじゃねーか」
「城の人間じゃなくて、国の人間だろうが!」

 彼の中では城以外の人間はヒトではないのか、それに火が点いて思わずカッとなる。すると戸惑っていた相手は驚愕に瞳を大きく開き、緑碧の色を随分と濃くした。それから眉をぐっと曲げ、ぐしゃりと顰め面にして地面に視線を落とす。初めて知ったような、何も知らない子供を酷く傷付けた気分に何故かユーリがさせられる。なんだこいつ、胸の内にモヤモヤと、どこにぶつけていいのか分からない苛立ちが積み重なっていく。

「俺はガキの頃からここと城以外……何時も喋るテラスの所くらいしか出た事ねーんだよ馬鹿野郎! 俺にとっちゃ国の人間なんて兵士とメイドばっかりだっつの……」
「それが本当なら軟禁もいいとこだな、抜けだそうとも思わないのか?」
「何回か試してみた事はあるけど、すぐ見つかっちまって……」
「ああ、あんたそーいうの要領悪そうだもんな。うるさそうだし」
「だ、誰がだ!」
「けど今まであんたの煽りで戦争やってきたってのは事実だぜ。それで死んだ人間だって何人もオレは知ってる。あんたはそれを、知らなかったから関係無いって言い切るのかよ」
「……んな事、言われてもっ」

 突き付けた言葉に傷付いて動揺している表情は、どう見ても無知の罪だった。彼がただの傀儡ならば、責めても意味は無いというのに滑る唇はどうにも閉じてくれない。今まで自分が知るうる限り、無為に散った者の無念が晴らせると思っていたのにそれが煙のように消えてしまい、吐き出し場所に自分で困っている。利用されていてもその立場に居たのは間違い無いと、彼を殴って気を晴らそうとしているのだろうか。そんな自分の無意識にユーリは苛々と、嫌悪を感じてしまう。
 ユーリが不快感に苛まれていると、不意にみゅう……とか弱い鳴き声が聞こえる。すると彼は朱金を翻し、自分に背を向けて背後に隠していたペットを心配そうに呼んだ。

「……ご主人様、大丈夫ですの?」
「この馬鹿、お前邪魔したクセに何言ってんだ! 黙って隠れてりゃ良かったんだよ!」
「みゅうぅ〜、ごめんなさいですの……」
「いいから、もう黙っとけ。後で木の実やるから」

 乱暴な言葉使いだが、本気で心配していたのが声色に出ている。無知で馬鹿かもしれないが、根は優しいのだろう。それはあのペットの懐き具合から見ても良く分かった。
 ユーリはますます募る苛立ちを感じ取り、これ以上ここに居ては自分にとっても良くないと考えた。彼に怒りをぶつけたって残るのは虚しさだけだろうし、国は変えられない。それになにより、左手の刃を彼に向けて振り下ろす気が完全に失せている。
 今夜は退こう。戻った後情報屋の首をきっちり締め上げなければならないな、そう考えた時、扉の外から兵士とは思えぬ気安い声が飛んでくる。

「おいどうした、何かこっちから物音がしたが大丈夫か?」
「ガイ!」

 朱金の彼は途端に表情が明るくなり、声の主だろう名前を呼ぶ。すると返事を待たずに扉が開き、鎧も着ていない男が入ってきて部屋の惨状に驚く。ひと目で素早く状況を察知したのか、それともユーリが抜身の剣を持っていたのに反応したのだろうか、どちらにせよかなりの反応速度で金髪碧眼の彼は抜刀の体勢に入る。かなりの使い手だ、ユーリは瞬間疼きそうになる手を我慢して、無防備に背中を向けたままの手を引き寄せた。
 ぐっ、と体を奪い背後から喉元に剣を突き付ける。すると金髪の彼はすぐさまその足を止めた。しかし手は鞘を握り、一瞬でも気を逸らせば簡単に逆転されそうな気配。

「動くなよ、このお坊ちゃんの首が体とおさらばしても良いってんなら話は別だがな」
「ガ、ガイ〜…」
「やれやれ、侵入者とは……。あれ程夜には窓閉めておけって言っただろ?」
「だって面倒くせーから!」

 自分を挟んで呑気な会話をしないでもらいたい。ただの兵士とは思えない親しげな雰囲気を感じ取り、ユーリは複雑な気分に眉を潜める。

「さて、間抜けな物取りならなんでも持っていってもらってもいいぜ。そこの人質以外はな」
「悪いが本命がこいつ……だったんだが、どうしたもんだか。オレも困ってんだ」
「今なら一生宿付きの部屋で過ごすだけに便宜を諮ってもいいぜ?」
「一生ブタ箱ってか? そいつはちと遠慮したい物件だね」
「はは、そうだろうな。けど……もう遅い」

 開いた窓から複数人の気配が入り込んで来る。まだ遠いが鎧が擦れる音だ、ユーリは舌打ちをした。囲まれるにしても展開が早い、おそらく先に逃げた刺客がドジを踏んだか置き土産か。どちらにせよ嬉しくない話だ。
 こうなってくると時間との勝負になる、判断に迷えばその分だけ首の皮が切れるのはこちらだろう。ユーリは即座に決め人質を腰から抱えて窓を飛び出た。さくりと草の音が鳴る前に駆け出せば目につくのは幾つかの光。遠くない距離でぽつぽつとこちらに向かっており、誰かの掛け声で直ぐ様規則正しくユーリを追って来る。テメー離せよ! そう人質の身分がぎゃあぎゃあと位置を知らせてくれるので、目立つ印になってしまっていた。今からでも捨て置ければ良いのだが、一瞬でも立ち止まるとすぐにでも剣撃が飛んできそうな殺気が背中からビシバシと感じる。






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