猫耳大使に一目惚れするユーリの話








後日談


 その日、アドリビトムに神の雷が落ちた。否、インディグネイションが落ちたのはあくまである一人の脳内ではあるが、彼にしてみれば世界に落ちたと言っても過言ではない。
 世界樹が我が子を見守るように優しくそよぐ世界にディセンダーが帰還したのはつい先日。先行きの明るい未来に船内でも歓喜溢れかえったばかりで、誰がこんな悲劇を想像できただろうか。
 ユーリ・ローウェルにとってこれ程の衝撃をもたらす存在というのは、後にも先にも彼一人きりだった。
 その愛しい人から発せられた言葉は、ユーリにとって正しく致命的であった。

「ユーリって猫耳が好きなんだってな。
お前が俺を好きになったのって、俺に猫耳付いてたからなんだろ……?」

 ライトニング・サンダーブレード・インディグネイション・ディバインセイバー。雷系統の晶術が大盤振る舞いでユーリの脳内に吹き荒れる。
 俯くルークは9cmの身長差のせいで表情が見えないが、ぺたんとくっついてしまいそうな程下がっている猫耳に足の間で震えている尻尾から容易に想像できた。
 意地っ張りなルークは例えば仲間内で同じ事が発覚しても、普段ならば怒りを露わにして一通り文句を付ければそれで終わりだ。逆に心底落ち込むという時は、相手に対して相当な情を掛けていると言っていいだろう。例えば尊敬するヴァン・グランツのように。そう考えれば目の前のルークの、怯えて泣きそうな顔からしてユーリは今やヴァンにかなり近い立ち位置まで上り詰めているのではないかと考えられる。
 が、平時なら心浮いてしまいそうな考えも今のユーリには回らない。今ユーリの頭上にぐるぐるしているのは”猫耳バレ”と”誰から漏れたのか”と”泣き顔がかわいい”の三点だった。――少々危機感に欠ける単語も入っていたが、何より混乱している結果なので仕方がない。
 内面では汗水タラタラなのだが、目に見える失態を犯さないユーリの表面上はルークの言葉から止まったままだ。実の所ユーリの体が右から左へ歪に傾いているのだが、俯くルークとそれどころではない本人は気付いていない。
 ここでユーリが「そんな訳ない」と一言笑い飛ばせばルークとしても杞憂話で終わったものを、ユーリとしては最初のきっかけが猫耳だったのであながち間違いでも無い。もちろん今は違うと断言できるが、なにしろ本人は珍しくテンパッていたのでそこまで頭が働かない。
 否定しないユーリに、ルークは俯いたままじわりと水分が滲み出そうになるのを息を呑んで我慢し、我慢しきれていない震え声が漏れる。

「……猫耳無いともう、好きじゃないのか。もしかしてハロルド達に頼んだの、嫌だったか……?」
「っんな訳ないだろうが!」

 流石にこの台詞には即座に反応して否定する。いい加減混乱も収まってきて、目の前の状況――目の前のルークにピントを合わせる。がしりと両手でルークの落ちた肩を掴んで、顔を上げさせる。見上げる瞳は完全に潤んでいて美しいが、嘆きに歪める眉がユーリの心を痛めた。
 今する事は慌てたりバラした奴を探ってぶん殴る事ではない、いやもちろん後で必ずするがとりあえず今はルークだ。自分のケリは自分でつけるべし、知られたとして今はそうでないと胸を張って言えるのだから何を後ろめたい事があるのか! ―と、心の中で細かく前置きしてユーリは顔を横に振った。

「そりゃ確かに最初はそうだったけどな、今はもうそうじゃない。今はもう猫耳が好きとか嫌いとかじゃなくて、ルークが好きなんだからな」

 1.過ちは認める。2.その上で今は違うと断言する。3.知られている事を否定も肯定もしない。4.本人が好きとハッキリ言う。完璧だ。ユーリは自画自賛した。
 その言葉に、ルークは視線をウロウロさせながらも、最後は上目遣いに目を合わせる。本当だよな? という声が聞こえてきそうな視線にもちろんだ、と声に出してユーリは力強く頷いた。

「……猫耳あれば俺なんかよりリタとかエステルの方がいいんじゃねーのか」
「なんでそうなる。そりゃ可愛い物付けた女子供は可愛いってのが一般的だろうけどな、オレは付けて無くてもルークのが可愛いと思うぜ」

 普段ルークの奥底に沈んでいる卑屈精神が浮上している時は、要注意だという事は経験上わかっている。なので何度でも言葉を重ねて否定してやらなければならない。

「可愛いとか、そーいうのが猫耳中心に見てんじゃねーの」

 ネガモードに入るとやはり簡単には行かないか。確かに十代後半の腹出し青年を可愛いと称するには一般的には本人のプライドを痛く傷付けるだろうが、ユーリとしてはアレそれコレどれ全て合わせて可愛いと日々思っている。相手への好意を誤魔化しはしても嘘を付くのは性に合わないので、その部分は有耶無耶にされてもらいたい。

「お前が付けてりゃ兎耳でも犬耳でも天使の輪っかでも何でも可愛い。……オレの目がそう変換しちまうんだから諦めろ。つまりルークなら何でもいいんだ、お前でさえすればな」
「あ、あんまり恥ずかしい事ばっか言ってんじゃねーよ……」

 トドメとばかりにぎゅうっと抱きしめれば、ルークは恐る恐る背に腕を回す。ちらりと見下ろせば恥ずかしそうに胸に埋める頬が赤く染まっていた。ユーリは心の中でホッと安堵し、回していた腕に力を込める。それに反応したルークの猫耳がピクピクと動き、尻尾が安心したように定位置を探してユーリの右足に絡みついた。安心したようにルークが体の力を抜けば、後手で長く艶やかな朱金を指で梳いてやる。心地よさそうに受けるルークの顔はやはり愛らしい。これは動物的な可愛さというよりも、ルークが元から持つ純粋さからくるものだろう。
 普段素直になれない分、心を許した存在には全幅の信頼を寄せるルーク。それをほんの少しばかりの独占欲を綯い交ぜて享受している者として、期待には応えたいし、どんな形でも裏切りたくない。
 考え様によっては今知られて良かったのかもしれない。もっと最悪なタイミングで知られて、修復出来ないような溝になるよりかはマシだ。いやもちろんそんな溝など埋めてみせる自信はあるが、と自問自答。ポジティブ方向に持って行こうと意図するユーリの無意識に、ほんのちょっぴり一欠片僅かにも罪悪感があるのは間違いなかった。

「悪かったな、なんか疑うみたいな事言ってよ」
「いいさ、分かってくれたなら。それに不安になって自己解決されちまうよりよっぽど良い。何だかんだ言ってお前はオレを信じてたから直接聞きに来たんだろ?」
「一人でウジウジしてたって良い事無いって学習済だっつーの!」

 へへっ、とイタズラっ子のような笑顔のルーク。前に散々一人で思い詰めた件で懲りたらしい。
 猫耳原因のアッシュの時といい前の自己否定の時といい、ルークは一人で考えさせては悪い方向にしか行かないらしい。これはますます一人にさせない理由が出来たなとユーリは笑った。

「じゃ、じゃあ俺もう行くからっ」

 照れ笑いのルークが腕の中から離れて、ほんの少し名残惜しそうに上目遣いをよこす。忘れていたが、ここはユーリの部屋前廊下で人通りの多い食堂前だった。実の所既に数名から目撃されていたのだが、ユーリが雷光振りまいていた為不穏な空気を感じ取って無言で帰っていった。腹を空かせて食堂に行こうとしていた人物には不幸ではあるが、結果的に船内の平和に一役買ったのだから我慢してもらいたい。
 去っていく温もりを惜しむように見送るが、途切れる途中の右手を掴む。離せよ、とジト目で語るルークを同じように拗ねた瞳で見つめ返すユーリ。

「部屋に帰るならオレの部屋でもいいだろ」
「い、いくない……! 恥ずかしいだろばか」

 ユーリは拗ねたように、恥ずかしそうに言うルークの「ばか」が殊更好きだった。照れて素直に”好き”と言えないルークの、精一杯の好意の言葉に聞こえて仕方がないからだ。だからルークがこう言っている時の否定はポーズで、多少強引でも引っ張ってやれば後々喜ぶ事が多い。要約するとユーリの中でこの単語は「嫌よ嫌よも好きのうち」に分類されている。
 なので掌を絡めて繋ぎなおし未練がましそうな瞳で見つめれば、去ろうとしていたルークの足を引き止めるには効果は充分だった。
 猫耳も尻尾もピン! と立たせて顔中を真っ赤にさせるルークは可愛いし面白い。何よりそんな顔をさせられるのは自分だけだと思うと、ユーリは優越感に酔いしれた。

「行くなよ」
「……あ、うー。えっと……」

 今この廊下に人が来れば、今度はピンクストームが大暴れしているのを目撃して引き返すだろう。その不幸はまた今度にして、体よく追い詰められたルークは頭をグルグルさせていた。少し前と立場が逆転している。
 クエストも受けていない昼過ぎ頃で、別段ユーリの部屋にお邪魔しても構わないのだが、恋人への不信を告白してしまった後なのでどうにも居た堪れない。できれば穏便になんとしても逃げたい。ルークはそんな気持ちで一杯になった。
 偏った人生経験から導き出されたルークの行動は、ユーリからすれば突拍子もなく正に隙を突いた作戦だった。

「今日はこれで我慢しろ!」

 ちゅ、とルークからの噛み付くようなキス。今度は流石にぶつかって無様な姿は見せなかったが、殆ど無いルークからのキスに気を取られたユーリは離れていく掌をまんまと逃がしてしまった。

「おま、ずるいぞ……」
「馬鹿! すけべユーリ!」

 情けない捨て台詞を吐いて脱兎の如く逃げ出したルークを、ぽかんと見送る。全くどうしてあんまりにも可愛くて仕方がない。今日はこれで、と言ったからには明日はどうしてやろうと独りごちる。

「ユーリ、顔が緩んでるよぉ」

 触れた唇に指先で触って、良い物貰ったとニヤけていたユーリを、からかう声色で傍観者・アニスが笑っていた。食堂から出てきたらしいアニスは一体何時から見ていたのか、実年齢以上を感じさせる全てを察した目でユーリを見ていた。

「タダ見はお断りだぜ」
「見せつけられちゃってこっちとしても迷惑なんだけど。……っていうかユーリってさ」
「なんだよ?」
「なんか、ルーク様への言動がガイっぽくなってきたね」

 上手く誤魔化して結局本当の事言わない辺りが。言うだけ言ってすたすた消えるアニス。
 廊下に一人取り残されたユーリの中に落ちたのは、今度はエクスプロードとシューティングスターだった。
 帰ってきたフレンが情けで光竜滅牙槍をブチかますまでは、この混乱は収まりそうにない。


めでたしめでたし







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