Love Loved Loving !!








「えーっと、何々? まず近付いて視線を合わせる。これさっきやったようなもんだろ、んーどうだったっけ覚えてねーぞ……まぁ適当でいいや、普通、っと。んで次? 手を握るぅ〜? 汗をかいているかチェック……そこまで知るか! かいてなかった! あーめんどくせっ」

 部屋を出て廊下、ルークは渡されたリストの1枚目に目を通しながら適当に歩く。やけにびっしり細かく書いていると思ったが、本当に事細かく動作の一つ一つを項目として書かれていた。順々に読んでいき纏めると要するに、近付いてベタベタしろ、である。
 ルークは自分の顔が思いっきり歪んだのを自覚した。何を好き好んであの大罪人にベタベタしなくてはならないのか、冗談じゃない。だがこれを無視すると自分にどんな人為的災害、ハロルドの実験体にされるか分からないのでやらない訳にもいかないだろう。ここで当のユーリを実験体にしている、という事実に気付いていても気にしないのがルークである。
 逃げるなんてダサい事はしたくない、恐れていると思われるのも格好悪い、それに恒久的に戦争が無くなるかもしれないという言葉が引っかかっている。この船で知り合った友人や仲間達は大なり小なり、戦争被害にあっている者が多い。だから彼らの為にも、自分が手伝って戦争が無くなるのならばやってもいいのではないか。とは、口が裂けても絶対に言わないが。

 ルークはユーリを探してうろうろ、部屋を訪ねるが誰も居ない。食堂前で甘い匂いがふんわり、扉が開閉するたびに鼻をくすぐる。その匂いに誘われ、ルークの足はふらふらと入ればなんと、そこには探していた人物が居た。
 スポンジの焼けるいい匂いが全体的に、バターと粉砂糖の微かな甘さ。すん、と嗅げば頭の中で美味しそうなケーキが描かれる。
 ロックスがパタパタとやってきて、どうされました? と聞いてくる。

「あー……、いや。大罪人を……」
「ユーリ様は今お菓子を作られていますよ、妙に熱心に」

 ロックスの小さな手が指す先、ユーリがキッチンで忙しそうに動いている。沢山のボウルが出ており、作っているのはひとつやふたつではなさそうだ。確かさっきは、シーツの籠を持って部屋を回っていたはずなのに何故今キッチンで菓子を作っているのだろうか。
 不思議に思い、ルークは遠慮なくキッチン内に入った。すると甘い匂いはきついくらいになり、瞬間眉を顰める。オーブンを見れば絶賛稼働中、カップケーキが幾つかいい焼き色に着替えていて、ボウルの中身は生クリームやらフルーツ累々。
 ユーリが特に菓子作りに覚えがあると聞いた事はあるが、こんな風に大量に作っている所を見たことが無い。大抵自分の分だけだったり、材料の関係で2・3人分程度。今キッチン内で見える分には、数種類を作っているようだ。
 背中を向けている紫黒は今だ黙々とクッキーの型抜きをしている。シートに敷かれて順番待ちしている数は……かなりのもので、いったいどれだけつくるつもりなのか。今抜いている分が終わったらしい、ユーリはそれを丸めて、次の生地に継ぎ足し伸ばし始めている。

「おいおい、お前どんだけ作るんだよ!」

 思わずツッコミを入れたが、無視された。それにムカッとして、ルークはユーリの隣に立つ。すると途端に、隣の体がびくりと揺れ手が止まる。不自然に型抜きを持ったまま空中静止。顔を見れば何時も通りの表情がやっぱり不自然に止まっている。

「お前、なんでいきなりこんな量作ってんだよ」
「別に、いいだろ。甘いものはいくらあっても困らないし」
「そりゃそうだけど……」

 それはそうかもしれないが、このギルドでは作れば作った分だけ食べる食いしん坊が多い。ルークが言うのもなんだが、望むがまま作っていては食費でギルドが潰れてしまうのではないかと心配する程だ。
 ユーリはポンポンと型抜きを再開する。ルークはその手元を見て少し面白そうだな、と興味が疼く。最近食事当番でちょっとずつ料理をしているのだ、自分が作ったものを美味いと言われるのは気分が良い。
 ルークは近くの型抜きを取り、横から自分もポン、と生地を抜いた。開けた場所のど真ん中がぽっかりと星形に繰り抜かれ、ちょっと面白い。下の方でユーリが隙間を出来るだけ減らして抜いているのを見ないフリして、ルークは広い場所を求めて次々と穴ぼこを開けていく。遂に自分の手元近くでは無くなってしまった、仕方がないのでいざ新天地へ、と奥側へ手を伸ばす。
 その際に利き手である左手、丁度その左側にユーリ本人が邪魔しているので届かない。だからルークはその邪魔な体を押し退けようとするがビクリともせず固まったまま、なんだよ退けよ、と言いながらブツブツと、ユーリの右脇を通して腕を伸ばす。バランスを取るためにユーリの右腕に体を絡め、ぎゅっと握る。そうして満足するまで抜けば、クッキー生地の上半分は不規則に並ぶ星達が散りばめられた。
 抜いた数はユーリの半分以下、けれどルークは思ったより楽しかったので気にしない。むふーっ、と鼻息を飛ばしてユーリの腕を離せば、何故か隣の体はよろよろとしゃがみ込んでしまう。

「うおっ!? どーしたんだよいきなり」
「なんでもない、なんでもねーよ……」
「あっそ。なぁこれもう終わりか?」
「もうクッキーは止めだ、止める」
「んだよつまんねーの。他になんか面白そーなのないのか」
「ってかお前さん手も洗わずキッチン入ってくるんじゃねーっての。いいから座って待っとけよ」

 勢い良く立ち上がり、ユーリは邪魔だ邪魔だと邪険にルークをキッチンから追い出してしまう。そんな扱われ方で少々ムカついたが、タイミング良くロックスがお茶を用意していた事と香ってくる焼き菓子の匂いにきゅるきゅると腹が鳴った。
 頬を赤らめて聞かれていないかきょろりと見渡し、ルークは大人しく座る。それから数分待てば奥からオーブンの音が聞こえ、一気に甘い匂いが広がった。期待疼く胸で待てば、すぐに出てくるチョコバナナカップケーキ。こんがり香ばしく、焼いた事で甘さを増すバナナがとろけている。てっぺんにサワークリームを乗せて、しつこすぎずさっぱりと頂ける逸品だ。

「おー、中々美味そうじゃん」
「お坊ちゃんのおめがねに適いそうで何より」

 皿を置いてユーリはすぐにキッチンへ戻る。次いでクッキーを焼くのだろう、それ以外にもアイスや生クリームが控えていたのでまだ作るつもりらしい。何故いきなりそんな大量に作っているのか意味が分からないが、とりあえず目の前のケーキがあまりにも食べてくれと誘っているのでルークは早速フォークを持って、いただきます、ロックスの教えに従い手を合わせて食べ始めた。

「んー、んまいっ」
「ルーク様、紅茶のおかわりいかがですか?」
「おう、いいぞ」

 甘い匂いに誘われて数名、食堂にやって来てはユーリの菓子を摘んでいる。殆どの食いしん坊達は依頼に出ているのが功を奏したのか、争奪戦には遠い穏やかなティータイムとなった。
 あれからクッキーの他焼き菓子、パフェ等を作ってようやく一段落したユーリがキッチンから戻ってくる。席が埋まっていた為ルークの隣に座り一息、大人の気遣いで残されている菓子の幾つかを摘んで食べ始めた。

「あー、なんかもう暫く作らなくていいってくらいに作ったわ」
「作りすぎじゃね? お前なんでいきなり菓子ばっか作ってんだよ」
「……が食べたいって言ったんだろうが」
「は? 何?」
「いーえなんでもございませんよお坊っちゃま」

 そっぽを向いたユーリは黙ってクッキーを食べている。変な奴だなと思ったが、そういえばとリストの事を思い出した。懐から取り出してガサゴソと改めて見てみれば丁度良い項目が並んでいるではないか。
 「同じ席で食事を共にする」……食堂の大テーブルだが似たようなものだろう。それから次の項目、「食事を食べさせる」あーんしろ、という事か。ルークはいきなりうげっと口にしてしまい、隣のユーリが不思議そうに見てくるのを誤魔化す。
 これはつまり、ハロルドの実験的にどこまで命令を受け付けるかというリストだと思われる。段階を経て徐々にハードルを上げ、ルーク的想像でいくとごめんなさい、の謝罪に行き着く訳だな! 最後を見ていないが勝手にそう予想してルークはやる気が湧き上がった。
 では早速、あーん、というやつだ。ここでふと疑問。こちらが食べさせるのか、それともあちら? 文面でいくとこちらが食べさせるように読めるが、ルークはどうしてこの自分が他人にあーんしなければならないのか、お断りである。なので張り切ってユーリへこう言った。

「おい大罪人、クッキーを俺に食べさせろ!」
「お坊ちゃまが両手の上がらない重病人なら考えてやってもいいが、ふんぞり返ってクッキー食べるくらいは元気そうだからお断りさせてもらおうかね」
「ごちゃごちゃうっせーんだよ、俺がしろって言ったらさっさとしろ!」
「……あんたを躾けた奴の顔を見てみたいわほんと」

 ルークは両手を腰に当て、塞がっていますと堂々のポーズで大口を開けて待つ。するとユーリは眉を盛大に歪ませ、思いっきり溜息をして、皿のクッキーを1枚手に取った。それを自分で食べようか迷わせ、渋々とルークの口元にまで持っていく。

「よく噛んで食えよ、子供みたいにな。牛乳出してやろうか」
「ふっげー! みうふはきふぁいふぁっていっふぇるふぁろー!」
「何言ってんのか分かんねーよ」

 ユーリは中途半端にクッキーを口に入れたのでルークは唇で挟んでいる状態。ふがふがとしか喋れずかなり間抜けだ。まさかこれを狙ってやったのか、なんて策士なんだこのやろう、とルークはふがふが怒った。
 一応食べさせるの項目はクリアしたが、同時に辱められたのでいまいちである。ルークがクッキーを食べている隙にユーリは呆れたのか立ち上がり、皿を片付けて食堂を出て行ってしまう。
 追い駆けようかと思ったが、まだ口の中が残っているのでルークは大人しくもぐもぐと。リストを取り出し、項目にマルを付けて次を見れば瞳が輝いた。
 「二人で買い物に出かけて、物を強請る(高ければ高い程良し)」丁度新しい武器がショップに入荷したと聞いている、それをユーリに買わせよう! ルークは少し冷めた紅茶を飲みごちそうさま、すぐに後を追い駆けた。


 ガルバンゾ部屋には居らず、エントランスに出れば丁度ユーリがショップへ入っていく背中が見える。なんてナイスタイミング、天は我に味方せり。急いで入り、背中をドンと押せば珍しく当たってユーリは驚きよろけている。

「おいなんだよ、お坊ちゃんはオレの金魚のフンか何かか?」
「大罪人が俺の行く先に行くんだろーが! そんな事より武器の新作見に来たんだろ? おいキュッポ何入ったんだ見せてくれ」
「いらっしゃいませだキュ、ルークさんもユーリさんも耳が早いキュ〜」

 武器の新作、それにウキウキと笑顔のルークは渋面のユーリを無視してカウンターに立つ。キュッポは棚からゴソゴソと、今日入りたての商品を並べた。
 モフモフ族の可愛らしい手には似つかわしくない、ゴツゴツと重そうな武器……それは斧だった。残念ながら剣士であるルークに斧は扱えない。代わりに装備可能なユーリが顔を覗かせ、感心した瞳で手に取る。

「ふーん、まぁまぁ良い武器なんじゃねーの」
「攻撃力に特化させた分扱い難くなってしまったキュ。でも当たれば一撃必殺は間違いなしだキュ!」

 一撃必殺、ロマン溢れる響きにルークは羨ましくなった。剣士はバランスが良く堅実だがその分平均的だ、大剣や斧には威力でどうしても負けてしまう。その中でもルークはスピードに劣る部類である、これを期に尊敬するヴァンのように大剣や斧に持ち替えてもいいかもしれない。
 ハロルドのリスト半分自分の欲望半分で、ルークは早速強請った。強請る、というよりもルークの感覚からいくと命令、に当たるが。頼む、という種類は基本的に行わないのがルークである。その自然な行動原理こそが他者からの印象を決定付けているのだが、ルークが他者からの印象なんてものを気にする訳もないので現在の評判なのは当然と言えよう。

「おい大罪人、俺が使ってやるからこの斧買えよ」
「はぁ? お坊ちゃんみたいなハリボテ腹筋で何馬鹿な事言ってんだ死にてーのか」
「だ、誰がハリボテ腹筋だ!」

 腹を出してまで密かに自信を持っている腹筋を馬鹿にされてルークは盛大に怒るが、ユーリは冷たく受け流す。ルークが装備出来ないと知っているので、許容を超えた武器を扱おうとしている考えに割りと本気で不愉快になっているらしい。ジュディスと共に戦闘狂・マニアと言うだけあって武器に対する考えの浅さにユーリは厳しく反応した。
 ルークも趣味とは言え剣技にはそれなりに礼儀を通している部分がある。ユーリの言い方に腹が立ちブツブツと文句は言うが、それ以上は強請らずとりあえず拗ねた。

 なんだ、やっぱりハロルドの薬なんて失敗作じゃないか。まだ少しムカムカするが武器に関しては自分も少し軽率だった、けれどそれを認めたくないという意地が責任を転嫁する。ルークは出入口をウロウロと出てしまおうかどうか迷いつつ、棚の商品を落ち着かず見ていた。
 そうだ、次の項目を見ておかなくては。そう思うがたった今躓いた所なので、なんだかそんな気分になれない。どうしようかなと彷徨わせていると、コツン、と後頭部に何か感触。振り向けばユーリは呆れた表情で、短剣を差し出してくる。

「……んだよ」
「武器によって動作が違うのはお坊ちゃんだって知ってるだろーが、無理に派手な得物持つより動きを磨いた方がいいぜ」
「うっせーな、んな事くらい知ってるっつーの。それで、この短剣は何なんだよ」
「護身用の短剣」
「見りゃ分かる、馬鹿にすんな!」
「してたらやらねーだろ。短剣なら剣と一緒に持てるからな、いざという時の隠し技になる」
「……隠し技」
「そう、一撃必殺もいいけど、ピンチと思わせて一発逆転ってのもいいだろ」
「確かに、格好良いな……」
「短剣使ってりゃお坊ちゃんの大振りな脇もちっとはマシになるだろうし」
「どーゆー意味だこらぁ!」

 結局ユーリは斧は買わず、短剣を買ったようだ。話を聞けばルークの事を考えてのチョイス、それなりの口上も用意して。
 一発逆転、それもまた中々格好いい響き。受け取って見れば短剣は飾りも無く質素だが、その分刃はしっかりと研がれている。腰元にも収まりそうなサイズで、ベルトへ紐留すればしっくりきた。

「おー、なんかいいかも」
「んー、ちょっとバレバレだなこの位置。もっとこう……右側はどうだ?」
「右だと取り出し難いじゃねーか」
「だから留める箇所を調整するんだよ。ちょっと貸してみろ付けてやる」

 そう言ってユーリはしゃがみ、ルークの腰元へ短剣の位置を何度も確認する。腰の横へ取り付けようとしてルークの上着の白裾を捲り上げ、突如顔をハッとさせた。すぐに立ち上がり、急に態度を反転させて短剣を押し付けてくる。

「自分の好きな所にでも付けるか、ガイにでもやってもらえ」
「なんだよ、付けるって言ったのお前じゃん」
「い、いいから。大体なんでオレがお坊ちゃんの武器買ってやらなきゃなんねーんだよ……」

 今更な事をブツブツと、ユーリは顔を百面相しながらショップを出て行く。後に残されたルークはどうしようか迷い、結局手に持つ短剣が取り出しやすい位置を探して追い駆けなかった。
 この場合お強請りは成功した事になるのだろうか謎だ。希望の物ではないが、無駄にならない物を選んでくれたのは間違いなさそうである。ルークは暫く考え、成功、と書いた。


 もうそろそろ夕方になろうとする頃、ルークは遂に飽きた。というか結構に前から飽きてはいたのだが、ここに来て限界がやってきたのである。
 腰の短剣を揺らし、リストを半眼で見つめた。計3枚の用紙は始めの方以外全く埋まっていない、だが残りをやるのも馬鹿らしい事この上ない。第一、考えてみれば言う事を聞かせる薬なんてルークには大した魅力ではなかった。まぁ、これも今更だが。
 しかしハロルドが報復に、何をしてくるのかと考えればちょっとばかり怖い、いや怖くない。背筋がゾクリと震える正直者にルークは考え直す。
 とりあえずやりゃいいんだ。面倒くさいので途中を飛ばして最後をやって、これで返そう。終わりよければ全てよしと言うじゃないか、実際やったのは間違いないのだし。ルークは決めて、リストの最後を見た。おそらく順々でハードルを上げていたのだろう、フィナーレに相応しい内容か書かれている。

「えー何々、……風呂に入り、同じベッドで眠る。……馬鹿じゃねーの狭いわ!!」

 ばしん! とリストを叩きつければ用紙が舞う。真面目にやろうとした自分が馬鹿だった、と別段真面目ではないがやってきたルークは怒った。言う事を聞かせる薬なのに、どうして風呂に入って眠らなくてはならないのか意味が分からない、要するに雑用をやらせる薬だったのか? もしそうならばますますルークには不必要だ。世界から戦争が無くなるという言葉を僅かでも信じていたのに、裏切られた気分である。

「大体なんで俺がこんな必死こいてやんなきゃなんねーんだよ意味分かんねー! あーもーどうでもいい! 風呂入って寝る! そうだ、丁度いいじゃん大罪人に背中を流させよう!!」

 自分で叫んだ言葉に、自分でナイスアイデアと絶賛した。ルークはぐしゃぐしゃになったリストを拾って懐に入れ、早速ユーリを探しに出る。これならば肯定でも否定でもリストの最後が埋まるし、ルークの気分も良い。これぞ正に一石二鳥、素晴らしいじゃないか流石自分。
 ユーリはどこに行ったのか、まずは部屋に行く事にした。今日のユーリの行動は、ロックスの手伝いをした後大量の菓子を作り、ショップで買い物。今の時間からでは依頼も微妙だろう、ならばまた食堂か部屋かもしれない。

 そうして部屋を訪ねれば予想通りユーリは部屋に居て、またもルークは自らで自画自賛。しかし様子がどこかおかしい。ユーリはベッドに座りひとり、頭を抱えていた。見た目からしてなんだか調子が悪そうである。

「んだよ……お前もしかしてどっか悪いのかよ?」
「ああ、……今頭が悪い。すごく」
「まじかよ、アニー呼んできてやろーか?」
「いや、気のせいだから構わねーよ。ああ絶っっっ対に気のせいだから気にするな、単なる気の迷いだからな。それより、なんか用事でもあんのかよ」
「風呂に誘ってやろーかと思ったんだけど、風邪だったら伝染るのやだしまた今度にしてやるよ」

 かなり上からの物言い、普段のユーリならばすぐさま倍以上の皮肉が返ってくるのだが、どこか遠い目をしたま虚空を見つめ、ブツブツ呟いている。

「……風呂か。そうだな、風呂で何もかも流しちまおう……そうしよう、うん」
「お、お前本気で熱とかないよな……?」

 言動は大変に怪しいが、一応風呂には賛成しているようだ。と言ってもルークはバンエルティア号の狭っ苦しいシャワー室はあまり好きではないので、付近に浴場が無かったか必死で思い出す。
 広くって綺麗で温泉。そう欲求高い願望を言ってみれば、それに反応したユーリは思い出したように返した。

「そういえば確か……昨日依頼に行った村に温泉が湧いてたっけ」
「ふーん、いいじゃんそこにしようぜ! よし案内しろ!」
「まぁ、偶には温泉もいいかね。疲れてるから変な事考えるんだなきっと。ゆっくり浸かってのんびりしますか」
「言い方が爺くせーんだよお前は!」


 アンジュに言付けて温泉があるという村まで来れば、空はもう暗闇一色になっていた。思っていたよりも距離があった事とその村の様子が萎びれていて、豪華な温泉施設は全く期待できそうに無いという事実にルークはまたもぷんすか怒るが、ユーリはそれをキッパリと無視してひとりでさっさと温泉へと向かう。
 取り残されそうになってルークは、まだ収まらないが慌てて後を追った。ここまで来て何もせず帰るのも馬鹿らしい、ヤケクソでも楽しんでやる、と息巻いて。

 店というか地元民だけで利用しているのだろう、ボロっちい作りの備え付けと言ってもいいレベルの建物に入れば誰も居ない。キョロキョロと見渡せばまず目に付く料金箱。無人のようで、ここへ料金を入れて勝手に入れという事だろう。
 そんなアットホームというか適当さ加減がますますルークの不安を煽る。今の時間帯、村人達は夕食なのか利用客はルーク達以外誰も居ない。煤けたランプが不安定に炎を揺らし、恐ろし気な雰囲気をたっぷりと醸し出していた。

「ここ、ちゃんと掃除とかしてんだろーな?」
「一応毎日使われてるみたいだから最低限してるんじゃないの。むしろ騒がしくなくていいじゃねーか」
「そりゃそうかもしんねーけどさ……」
「とにかく全部流しちまえばいいんだからな、風呂入って寝れば消えるだろ」
「は? 何が消えるんだよ」
「いや、なんでも」

 一応だが脱衣スペースもあり、ルークは服を脱ぎ始めればなんだか段々と楽しみになってきたかもしれない。ガイ達と離れ個人的に温泉だなんて、今までのルークからすればかなり型破りだ。寂れた温泉っていうのもこれはこれで、国に居た頃では絶対に訪れる事の無かった場所と雰囲気で、好奇心が疼く。
 風呂から上がったらどこかで夕食を食べよう、村の途中で食事処を見かけたのを覚えている。これまた普段ならばお断りしたいような小さな店だったが、今のテンションならば全然有りだ。
 鳥料理があれば良いな、と期待しながら服を脱いで適当に籠へ放り投げる。ガイが一緒ならば畳んでくれるのだが今日は居ない、それがそれで自由なんだと思いわくわくした。
 鼻歌でも歌いたくなるまで高まる気分だが、水を差すように後方でガタリと音がする。振り返って見れば何故かユーリが、今だ着替えず呆然とした間抜けな表情を晒していた。体はやけに歪に斜めって、なのに崩れない絶妙なバランスを奇妙に保っている。体幹がしっかりしているのだろう、なんだよ自慢かこの野郎、とルークは言いそうになったが当のユーリがあまりにもおかしな顔のまま固まっているので眉を顰めた。

「何やってんだよお前」
「そ、れはこっちのセリフだ。なんでお坊ちゃんが、ぬ、脱ぐ……脱いでるんだ」
「はぁ? お前頭おかしーんじゃねーの、なんで風呂入りに来て脱がねーんだよそっちのがおかしいだろ」
「風呂入りに……ってまさか、お坊ちゃんも入る、のか? い、……一緒に?」
「わざわざ来て入らないってのが意味分かんねーんだけど。ってか俺元々風呂に誘いに来たって言っただろ。あ、それと大罪人、俺の背中を流す事を特別に許してやるから光栄に思えよ」
「背中、背中を? 背中って……背中か?」
「だって背中って手が届かねーじゃん」
「剣士のクセに体硬いのか……」
「うるっせー馬鹿! 届くけど、今日は特別に大罪人にやらしてやるっつってんだよ!!」
「と、……くべ、つっ」

 何故かユーリは衝撃を受けてよろよろと体を背後の壁にぶつける。今日一番の崩れよう。何時もさらさらと流れている紫黒がなんだかぐにゃんぐにゃんと曲がり今のユーリをそのまま表しているようだ。
 口をぽかんと開き、どこか遠くを見ている視線。怪しい、というか怖い。ちょっともう、いくらなんでも、ハロルドの薬のせいなのだろうなとは思っているがルークは遠慮なく気持ちわるい、と思った。口に出さないだけまだ優しさが残っている方だ。
 ユーリはムカつくしいけ好かない奴だが、ここまでくれば憐れと同情を誘う。やっぱり薬物は駄目だな、人を壊してしまうこんな風に。それに第一、人の意志を無視して言う事を聞かせようだなんて企みがそもそもいけないのだ、非人道的過ぎる。
 ルークは今更ながらそう、自分の浅はかさを珍しく認めた。……飲ませたのはルークだが。実家で飼っているペットのチーグル族を見る時の、生優しい瞳でルークは謝罪した。

「なんか……悪かったな、今日は。別に詫びって訳じゃねーけど、お前の背中も偶には流してやるよ」
「……背中を」
「おう。でもお前も俺の背中流せよ、これでおあいこだぞ」
「おあいこ、か……」

 そう僅かな譲歩しているようでしていない提案をすれば、ユーリの瞳に少しずつ光が戻ってくる。パチパチと瞬きを数回、型崩れた表情もやっと返ってきた。

「そうだな、おあいこでいくか。交流ってやつだ、よくある事だ」
「こ、交流ぅ〜? そ、そんなんじゃねーよ恥ずかしい奴だな! ……まぁ大罪人がしたいってんなら別にしてもいいけどよ……」

 交流だなんて言い方に照れて文句を言えば、またもゴンッ! と鈍い音を響かせてユーリは壁に頭を埋めていた。それからブツブツと、違うこれは違う……と自分に言い聞かせるように呪詛を呟いている。そしてキビキビとした動きで服を脱ぎ始めては突然止まったりするので、やっぱり不気味だ。
 まぁいいか、と段々慣れてきたルークはもう放っておく事にした。薬の効果はあまり続かないと言っていたし、その内切れるだろう。残りの服も脱いで、備え付けに用意されているタオルを腰に巻いた。後方でまたも鈍い音が聞こえたが、もう振り返るのも面倒なので無視する。

 からりと扉を開ければ、そこは予想に反して露天風呂だった。地上に明かりが少ない為空を飾る星々が輝き、夜の闇が余計な物をカモフラージュしてくれている。おそらく昼間だとルークは床が汚いだとか景色がいまいちだ、と不満点を幾らでも上げただろう。
 季節も丁度秋口の、ほんのり肌寒い程度、露天風呂には丁度いい具合じゃないか。温泉から立つ湯気がふわふわと上り、どこか幻想的でもある。豪華な浴場施設は慣れたものだが、こういう寂れた雰囲気も独り占めみたいで気分が良い。
 湯の温度を確かめる為にちゃぷんと手を入れてみれば、少し熱め。近くに蛇口があったので栓を捻り、程良い温度まで。
 その間に体を洗ってしまうか、考えてルークは自分の長髪を纏め上げてポニーテールに括ろうとしたが、普段やらないのでぽろぽろと零れていってしまう。無駄にさらさらなせいでちっとも纏まらない、ルークは毎朝代わりに櫛を通すガイに怒った。だが何度やっても髪が落ちてしまうので、段々とイライラして放棄したくなる。そこへガラリと、扉が開く音。
 やっとこさユーリが来たらしい、丁度良いのでやらせよう。そう思って両手で髪を纏めたまま振り返れば、またもユーリは足を上げた地点で器用にピタリと体を止めている。視線はしっかりルークを見ているのだが、その瞳はまた濁っていた。今日何度目だろうか。

「何、お前やっぱ変だぞ、風邪じゃなくて腹痛いのか?」
「…………………………いや、なんというかな……山が、よく見える、な……って。山肌が、な……」
「は? こんな暗い中で見える訳ねーだろファラじゃあるまいし。んな事より髪の毛やってくんね、全然纏まらねーんだよこれ」

 これを括れと髪の毛を見せつけるようにうなじから掻き上げれば、その途端……ガラガラガラ、ピシャ!! と勢い良く戸が締められた。勢いの強さで建て付けがガタガタと揺れて、周辺の木々がザワザワと散っていく。

「……やっぱり腹痛かったのか、あいつ」

 ルークひとりを置いてユーリは戻ってしまった、帰ってくる気配も無い。どうしようかと考えたが彼ならば放っておいても勝手になんとかするだろう、何時も大人ぶって偉そうにしているのだから。
 折角露天風呂に来たのだ、ルークはひとりで意気揚々と楽しむ事にした。僅かな罪悪感かもしれない、くしゅん! と小さなくしゃみが出て広い空に響いて消えていった。




*****

 翌日、ルークは部屋でひとりごろごろしていた。昨夜はあの後、一応軽くユーリを探したが見つからないので食事をしてさっさと先に船に帰ったのだ。しかし聞けばまだ戻っていないと言われ、置いてきぼりにしたのかとアンジュに怒られて本日謹慎中である。
 とばっちりだ、折角温泉に浸かり思ったよりも美味かった食事に満足して帰ってきたのに。結局ユーリは深夜に帰って来た。なんでもあの村付近の魔物を全滅させたらしい、被害のせいで観光客も呼べなかった村人達から大変感謝されて帰ってきたと言っていた。自分は怒られたのにユーリは褒められるなんてすごく納得いかないぞ、と思って口にまで出してしまったせいでまた怒られた。
 リストも、結局殆どを埋めずハロルドに役立たずねあんた、と笑顔で言われてルークはズタボロだ。割に合わないなんてものじゃない。もう二度とハロルドには協力してやるもんか! とひとり虚しく爆発している最中。

 しかしいい加減怒るのにすら飽きている。ひとりでは怒っても無意味すぎる、無駄なエネルギーを使うのも面倒なのでゴロンとソファに寝転がった。
 すると、扉が開き意外な人物……ユーリが訪ねて来たではないか。

「よう、聞いたぜ1日謹慎だって? 昨日は悪かったな」
「ほんとだぞ! 大罪人が勝手にどっか行っちまったせいなのに、なんで俺が怒られなくちゃなんねーんだよ!」
「悪かったって、そう怒んなよ。詫びと言っちゃなんだが……ちょっくらジュースの試作品を持ってきたんだ、飲んでみないか」
「試作品?」
「そ、ジュース。お坊ちゃんは良い物食ってるから、舌は確かだろ? 暇なんだからオレの開発に付き合ってくれよ」
「誰のせいだよ誰の! ったく、まぁ暇なのはマジだし、いっかな」

 怒っても謹慎は解けないのだからと、ルークは付き合う事にした。昨日十分味わったが、ユーリの腕は確かなのでナタリアの試食のように手酷い目には合わないはず。むしろ美味しいだろうと予測出来る。
 差し出してくるコップには、薄青色が波々と。なんだか似たような色をつい最近見たような気がするな、とは思ったが思い出せない。受け取って匂いを嗅ぐが、別段嫌な感じはしない。フレーバーか果汁を使っているのか、むしろピーチの甘い匂いが美味そうだった。

「ふーん、匂いは悪くねーな」
「ま、香りは結構簡単に変えられるし。それより飲んでみてくれよ、グイッと一気に頼むぜ」
「うっせーな急かすなって。んじゃ……」

 ゴクゴク、と言われるがまま飲む。見た目以上に味は薄く、感覚的にはほぼ水。半分を飲んでちょっとおかしいな、と思いつつも、頼られて悪い気はしなかったので残りも一気に、全てを飲み干した。
 ぷは、とコップを下ろせばユーリの期待に満ちた眼差しがぶつかってくる。どこか嬉しそうで、なんだか瞬間頬がカッと燃えた。見つめられてどぎまぎと体がぎこちなく、ルークは誤魔化すように感想を口にする。

「ま、まーまーじゃね。味うっすいけど、なんか妙に飲みやすかったし……」
「ああ、オレの時もそんな感じだったな」
「へ?」

 不思議な事を言うが、ユーリの表情はどこか楽しそうだ。しゃがんでコップを受け取ろうと手を伸ばしてくるので、ルークはそれを受けて渡そうとしたが……瞬間、触れ合う指先に静電気のような痺れが突如走った。

「っ!?」

 驚き思わず手を離してしまったが、コップはギリギリの所でユーリがキャッチした。しかしその動作があまりにもスムーズであり、まるで事前にコップが落ちる事が分かっていた様でもある。

「おい、危ねーだろいきなり離す奴があるか」
「え、……あ、わる、い……。なんか、急に……」

 しどろもどろと、ルークの唇は上手く説明出来ない。何故なら触れ合った指先が熱を持ちだし、そこから腕を昇って体中を稲光の早さで広がっている。ドクドクと心臓が悲鳴を上げて最大稼働していた、自分の鼓動が聞こえてきそうだ。頭がぐらぐらして、水中で溺れているように息が苦しい。体温がぎゅーんと上がり、充血していくのが分かる。
 自分の体の、突然な変異にルークは訝しむ。もしや昨日長湯をしたせいで風邪をひいている事に気付かなかったとか? いいや幾らなんでも急激に変化し過ぎだろう、今ジュースを飲んだだけじゃないか。

「……ジュース?」

 ジュース、なんだかその言葉は昨日も聞いた……というか自ら口にしたような。記憶を引っ張り出そうとするが上手くいかない。何故ならばユーリが突然ソファへ掛け体を密着させてきたからだ。
 近付く事でユーリの体臭が届く気がする、そんな事を考えた自分を罵倒するが血圧が上がるのを止められない。ぐるんぐるんと目が回る。ユーリが絶えずにこやかに微笑んでくるのだから余計。
 ……微笑んで? いや違う、これは……。

「お、お前……なに、飲ませ、……た?」

 犯人で間違いないはずのユーリは答えず、ルークの頬に手の平を這わせる。その途端、その箇所に神経と血流全てが集中してしまったかのように頬が加熱した。全身熱い、けれど触れられている部分は灰になってしまいそうにもっと。ピリピリと痛痒い程過敏になり、ユーリの手の平の情報を必死で集めている。
 それだけでは飽きたらず、視界に収まる情報までも必死にかき集めて一分一秒逐一と、この眼の前の人間の情報をルークの脳は強く鮮やかに焼き付けていく。
 紫黒の深い色は渋く艷やかで色めき、くるりと描く睫毛の一本細部までも繊細に、獲物を狩るような研ぎ澄まされた瞳が今自分に向けられているという状態にルークは溺れそうだ、いやもう息は出来ていない。通った鼻筋と薄い唇がキリリと引き締まり、そこから吐き出される言葉と空気を盲目に称賛したくてたまらない。
 ルークが尊敬するのはヴァン・グランツだけ。しかしそれとは別軸で、ユーリ・ローウェルというひとりの人間が存在するという奇跡に感謝したくなった。いいやむしろ、この人間が居てくれなければ世界なんて到底成り立たないのではないか、そんな気持ちにもなっている。
 例えばユーリから一瞬でも目を離せば言葉を失い、離れてしまえば体を失い、1日でも会えなければ魂すら生きる意欲を失ってしまいそうな程。彼が近くに居てくれなければ自分を保てなくなりそうだ、そんな強迫観念すら湧いていた。

 そこまで考えて、ルークは今自分が大変に馬鹿な思考に支配されていると感じる。だが止められない。壊れた機械のようにただひたすら、ユーリを文字通り褒め称える言葉しか浮かんでこなかった。
 ユーリはますます体を近付け、固まってしまったルークの髪を優しく掻き上げる。その瞬間自分の時間も財産も立場もこの男に全てくれてやりたい欲求がマグマのように湧き立つ。自分の髪一本爪の先まで全て、すべて食べてもらいたい、捧げたい。
 普段のルークならば馬鹿じゃないのか意味分からねー! と噴火するだろう。だが今はその噴火がユーリへと向いている。

 何もかも、全ての思想が独占されて自分の体と心なのに何一つ厭わない気分。この熱で融けて、形を消してもユーリの近くに留まっていたい、狂気に達しそうな考えでもごく当然に頭を占領した。

 それでも、ほんの僅かだけ。疑いの余地がある分ルークは必死で抵抗する。体はすでに自由にならない。きっとユーリの麗しいあの人差し指で唇を閉じられてしまえば簡単に飲み込んでしまう言葉を、疑惑を持つ事すら罪だと心が訴えた。
 なんとか視線で疑問を投げ掛ける。するとそれに応えるように、ルークの体に起きている体の変化の全てを見越して、ユーリはニヤリと魂だって奪えてしまいそうな蠱惑的な笑みを浮かべながら言った。

「どうだルーク。お前も、オレの事好きになってきたか?」

 お前、も。その言葉の意味、ルークは分かるはずだった。しかし今脳内で駆け巡る何かが邪魔をして何も考えられない。とにかく目の前の男に視線が釘付けになり離せないし、言葉の一つ一つを刻みつける。肩に伸し掛かってきた手の熱さから体が勝手に喜んで頬が赤くなるのを止められない。それから、それから……。
 昨日自分がユーリに対して何をしたか。思い出して後悔したのは、今から約24時間後の事だった。






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