Love Loved Loving !!








 科学とは思考と実験の繰り返しである。まずきっかけとして、興味。そこから常識という枠を捨て自由な発想で可能性を模索し、少しずつ現実へすり合わせていく。空を飛んでみたい、だが人はそのままでは飛べない。だから翼を模してみたり、機械を作ってみたり、魔法回路を構築したりする。無事、機械のプロペラによって飛べた、魔法により飛べた。何事も夢と希望の代替、そこから全てを始める訳である。
 だから科学者の心は自由でなければならない、理由を求めてはいけない。何しろ道筋のない迷路を、自ら道を作りながら進まなければならないのだ、ならば最初から道を捨ててしまえば早い。自由な発想は何より早さを確立する、失敗してもそこから得られる物は数限りない、だから特に実験は重要といえよう。

 以上の事から、アドリビトム所属、世紀の大天才、マッドバッドサイエンティストハロルド・ベルセリオスは、一人憐れな獲物を求めて廊下をウロウロしていた。手にはあからさまに怪しい三角フラスコを持ち、ピンク色の煙がうっすら上がっている。
 収容人数の多いバンエルティア号の廊下には人がよく通るが、こんな明らかな罠が待ち構えていて素直に引っ掛かる者は少ない。現在昼時、素直に引っかかってしまいそうな若者の大半は素直に依頼へ外に出ているというのも理由の一つ。廊下に出た先で××料理人が前衛的芸術作品を持っている時に声をかける者は居るだろうか? いやいない。
 という訳で、ハロルドは先程から誰かに会おうとしたり声をかけようとしても、すぐさま逃げられてしまい誰も捕まえていないのだ。いっそディセンダーを捕まえられればいいのに、そう現在世界救済に忙しい渦中の名前をぶつぶつこぼす。
 そこへ、扉の開く自動音。ハロルドは振り返り、その顔を見て一瞬考える。実験体は健康な体で、自分の体に起こった異変を素直に表現出来る語録の持ち主が望ましい。体内数値は重要だが、今回の実験は数値では計れない部分が重要なのだ。
 なのでそういう意味では、彼は適役かもしれない。何しろ自分の事に対して我儘すぎる程素直だと、評判素晴らしい。ハロルドにとっては彼が横暴だの世間知らずだの、些細な問題だ、願望を臆面もなく口にするなんて普通の事じゃないか、そこから行動に移すかどうかが重要なのだから。
 それで、だ。ハロルドはいつもの調子で声をかける。すると朱金と上着の白裾をひらひら、気まぐれに揺らしている彼は暇そうな声と眠そうな瞳で、濁った返事をした。

「ああ? んだよハロルドか」
「ねぇちょっと、これ飲んでみない?」
「お前そんな明らかにあっやしーもん、誰がはいそーですかって飲むと思ってんだよ!」
「怪しくなんかないわよ、これは画期的な薬になるかもしれない試作品なんだから」
「く・す・り! ってのが怪しいんだろーが! そーいうのはジェイドで十分間に合ってるっつーんだっ」
「まぁちょっと聞きなさいよ。いーい? もしこの薬が完成したら世界中の戦争を恒久的に止められるのかもしれないのよ、凄いでしょ」
「恒久的って、ずっとって事か? ま、まじかよそりゃすげーな……」
「でっしょー! これは第一段階の試作品だからそれ程効果はないんだけど、これに改良を重ねれば世代を越えて争いの無い世界が実現するかもしれないって訳」
「へーすげーな……、どういう仕組みなんだよそれ」

 ハロルドの説明に、ルークは少しずつ食い付いてきた。今現在はラザリスの侵攻により戦争は休止されているが、あくまでも一時的なもの。ルミナシアの危機が去れば次は大地の上に住む人間の争いが問題になる、戦争難民はまだ世界中に居るのは変わらない現実でもあった。

「まずこれを飲めばすぐにアドレナリンが分泌されるわ、心拍数が上がって感覚が鋭敏になり身体は警戒体勢に入るの。その時被験者に視覚情報が送られた人間を強く意識に残す事が出来るわ」
「は? あ、あど……あどれなりん? ああ、なんか怒るやつだっけ?」
「ストレスが高まってドーパミンとエンドルフィンの分泌が過剰排出され強い衝動が生まれるの、それを視覚対象者に対して抱く事になるから、感覚的に脳が勘違いをするのよ。それからドーパミンの過剰分泌によって、トリップ状態に持ち込むわ。その時被験者は非常に判断力が低下して、特に対象者の言葉を疑いなく聞いてしまう状態に陥っちゃうのよね」
「……言う事を聞く。へぇ、面白そうだな」
「んでもってセロトニンを抑え、停止状態までもっていけば被験者は心理的に不安定状態になって、特に対象者に対して大きく依存する事になるわ。ある種の強迫観念も発生して、対象者を視界に収めておかないと落ち着かない、声を聞いていないと不安になる、等など……。逆に言うと対象者と触れ合うだけで、大金も食事も不要な程心身が満たされるって訳」
「へーそりゃお手軽じゃね?」
「オルタ・ビレッジは確かに環境としてはいいと思うんだけど、やっぱり認知に時間がかかるのが問題なのよね。でもこの薬が完成すれば、飲ませるだけで信頼関係を植え付けられるのよ、すごいでしょ」
「おお、すげーな!」

 ここに誰か、……少なくとも冷静な人間が居ればすぐさまツッコミが入るだろう。正確に指摘せずとも直感的に、少なくとも道徳的な問題が多々あると。ずばり言うならば魅了の悪用。ただの戯言ならばともかく、ハロルドという天才が成し得てしまう事例案。確かに頼りになるがそれ以外ではできれば頼りたくない。マッドでバッドでフリーダム、それでいて信念高い実力者であるのが最大の悲劇である。周囲の人間にとって。
 ルークは特に、言う事を聞くという辺りに食い付いた。

「つまりこれを飲ませれば、どんな奴でも俺の言う事を聞きたくってしょうがなくなる訳だな?」
「まぁ似たようなものかしら。正確に言うと心身状態のバランスが……」
「あーそういうのいいから! 聞くだけ無駄だし!」

 ルークは大袈裟な動作で、ハロルドの手から怪しげな三角フラスコを奪い取る。中身の液体は薄い青色、なのに煙はピンク色。微かに甘い匂いも鼻をくすぐるが、砂糖や蜂蜜ではなくなんというか、どこか重苦しいねっとり感。
 量はコップ半分程度、フラスコを回せばくるくると渦を巻く。ルークは薬の怪しさよりも、効能の興味が勝ったようだ。それに今の説明を聞けばどうやら飲むのは自分ではなく相手、おまけに言う事を聞かせられる、そしてゆくゆくは世界平和、一石三鳥じゃないか。そんな計算がルークの頭の中で着々とされている様子が、表情から簡単に窺えた。
 ハロルドとしては実験が出来れば誰だっていいのである、むしろ丁度いい。ルークに使用上の注意を簡単に説明し、野に解き放った。後は帰ってくるのを待って結果を聞くだけ、非常に楽しみだ。
 消えた背中を見送って、ハロルド結果をあれこれ予想しながら科学部屋へと戻ることにした。




*****

 そして現在、ルークは薬をコップに移し替えて先程のハロルド同様、廊下をウロウロ彷徨っていた。不特定多数に飲ませよう、という訳ではなく目標人物の設定に頭を悩ませて。

「うーん、アッシュか、ジェイドか……。あ! ヴァン師匠に飲ませてずっと俺の修行見てもらうってのはどうだっ!? ……でもハロルドの怪しい薬を師匠に飲ませるってのもなぁ……」

 双子の弟と国軍人には構わないらしい。ルークは日頃から自分の言葉に表立って反対する数名を描き、結局の所上記の二人にターゲットを決めた。が、しかし。
 肝心の本人達がどこにも居ない。部屋を訪ねても空で、どうやら揃って依頼に出ているようだ。ルークは正直ムカッとした、この間アッシュに貴様のような考え無しが依頼に出た所で失敗するのが関の山だ、と大変馬鹿にした顔で馬鹿にされたからである。
 そこから通常通りに馬鹿みたいな喧嘩をして、二人まとめてナタリアの矢を食らった記憶も新しい。思い出したらまたもムカムカと腹が立つ、ルークはアッシュのベッドに近寄り、枕の高さを地味に変えた。これで眠る時苦しんで寝不足になるのだ、ざまあみろ。ちなみにいっておくと、アッシュは枕の高さが変わったくらいで眠れなくなったりはしない。

 さて、ここでルークはそろそろ飽きてきた。最初言う事を聞かせられる、と知って興味が湧いたが、試したい人間が居なくては意味がない。帰ってくるまでコップを持っているのも馬鹿らしいし、第一アッシュやジェイドに飲ませたとして、何をさせようかあまり考えていなかった。
 そりゃ個人的に言えばルーク様に失礼な事を言って大変申し訳ありませんでした、言わせられるものならば言わせたい。しかし実際あの二人がそんな事を言う場面を想像して、ルークは鳥肌がまんべんなく立つ。
 イメージというやつだ、その人格が織りなす外から受ける印象。それを本人も周りも丁寧に守っている。アッシュがルークに優しかったらルークは気持ち悪く感じるし、ジェイドが気配り上手な健康マニアだったら怖い。実を言うとルークも昔に比べてニンジンはそれ程嫌いではないのだが、昔から嫌だ嫌だと言い続けているとなんだか本能に染み付いてしまって今更煮込んだやつとか結構甘くて美味いよなアレ、なんて決して言えなくなった。
 ようするに格好つけたいのだ。今までの積み重ねを簡単に撤回したくない。自分でもそう思っているのだから、それを他人に強要させて言う事を聞かせる、という事が大変な悪事に思えてきた。
 だが。だがここでじゃあ止めておこう、と言わないのがルークである。ここまできたら誰でもいいので飲ませてやろう、という気持ちになってきた。命令はなんでもいい、ホットドッグ買ってこさせるのもいいかもしれない。後もう一時間経てばそれすらも面倒になって薬を捨てていたのだが、残念ながらタイミングよく廊下に現れた人間が一人。憐れな獲物その2だ。

「何やってんだお坊ちゃん。こんな真っ昼間っからダンスの練習とは流石貴族様は夜会の準備に余念がねーな」
「ああん? んだよ大罪人か……お前こそ何やってんだよ」
「何って、見りゃ分かるだろ目が付いてないのか?」
「付いてるから聞いてんだろーが!」
「付いてるなら別に言わなくても分かるだろ。ま、少なくとも一人で踊るような酔狂な真似はするつもりないけど」
「てめーはほんっとむかつくな!」

 ユーリの腕には大きな籠があり、その中身は折りたたまれた真白いシーツ。どうやら各部屋のシーツ交換に回っているようだ。そして相変わらずわざわざ、ルークに対しての尖った言い方は本当に癇に障る。
 最初に大罪人と呼んだのはルークだし、あれこれ好き放題しているのも確かにルークではあるが、それに対して刺を仕舞わないのも確かにユーリだった。

「暇してるってんならちょっとは手伝うって気にならないもんですかねぇ?」
「なんで当番でもないのに俺がんな事しなくちゃなんねーんだよ!」
「あー……、いや今のはオレが悪かった。お坊ちゃんみたいな爆発系芸術家にはちょっとばかり、一般的な家事は不向きだったな。むしろ仕事を増やされそうだから大人しくしててくれ」
「おっま、ガイみたいな事言いやがって! 俺だって最近はマシになってきたんだぞ!」
「そうだなー、おにぎりが米粒からいびつな丸になるくらいは成長したよなー、その調子で頑張ってくれよー食材が無駄になっちまって勿体無い」
「あー腹立つ、お前のその言い方マジ腹立つ!」

 ルークは怒鳴ってやろうか、と思って握りしめたコップにふと視線を止める。ゆらゆら揺れる薄青色の液体は、言う事を聞かせられるハロルドの薬。なんだ、丁度いい奴がいたじゃないか。
 ユーリにならば申し訳ありませんでしたルーク様、と言わせても胸は傷まない、むしろスッとする。いっそ忠誠を誓わせようか? いやそこまでしなくてもいいそこまでいくとやっぱり気持ち悪いので、二度と失礼な口は聞きませんと約束させる事が出来れば万歳だ。
 ルークは途端ににっこり、いやにったり笑顔になり、ユーリはその怪しさに口元を引くつかせた。

「……俺は寛大だからな、てめーのその失礼な物言いも許してやる」
「へぇ、そりゃ有難うございますその恩赦身に余る光栄であります。……って言えば満足か?」
「てんめぇーなーほんっと……! ふん、そんなくだらねー事で怒鳴るのはガキとアッシュくらいだっての!」
「流石普段から怒鳴られてる側が言うと重みが違うね」

 ぴき、とルークの血管は切れそうである。というかもう切れたので、ルークはだん! とユーリの足先を思い切り踏んでコップを差し出した。当然ながらその足はきっちり避けられてしまったのが、余計に腹立たしい。
 目の前に出されたちゃぷんと揺れる液体、ユーリはそれを少し呆気に取られて見ている。それがなんだか子供っぽく見えて、ルークはほんのちょっとだけ怒りを鎮めた。

「なんだこれ」
「見て分からねーのかよ? ジュースだ。俺はもういらないから、誰かにやろうと思って待ってたんだっつーの!」
「人の飲みかけを飲ませようとウロウロしてたのかよお坊ちゃんは……」
「口はつけてねーよ馬鹿! 捨てるよりいいだろーが!」
「……まぁ、そりゃそうだが」

 ユーリは少し考えたのち、一瞬顔を逸らして戻せばその表情は少し柔らかくなっていた。ルークの親切心を目にして先程を悪いと思ったのだろう、素直に悪かったな、と口にする。
 先に謝られてはルークとしても口喧嘩をするのは面倒だ、ふん、と鼻息で一蹴の後、改めてコップを差し出した。

「お前が忙しそうだからやる、光栄に思え」
「はいはい、ありがとうございますっと」

 ユーリは籠を持ち直し、そのコップを受け取った。それから何の疑問も持たず、コクコクと数口で飲みきってしまう。ルークはその様子をじっと見守った。ジュースと言ったが味は知らないのだ、甘い匂いがしたので多分甘いのだろうと思っただけ。しかし正体はハロルドの薬なのだから、味があるかどうかはそれこそ怪しい話だ。
 しかしコップの中身はたった今、ユーリの胃の中に落ちてしまった後。不味いか美味いか、その点で何か言われたらどうしよう。別に美味かろうが不味かろうがどうでもいいのだが、ハロルドの薬だとバレるのはまずい。しかもその内容が言う事を聞かせる薬だなんて、ユーリに知られればどんな暴言が飛んでくるか分からない。
 ルークは少し緊張して、その時を待った。空になったコップと手と、表情をじっと見つめる。相手は……瞬きを数回しただけ、特に何も変化は無い。むしろ見つめてくるルークを不思議に思ってか、じっと見つめ返してきた。言葉を探しているのか口元は少し開き、えーっと……と呟いている。それから不自然な空白を開けて、ユーリから言葉が出てきた。

「あー、その。サンキュ。……水だった」
「なんだ、水か」
「ってもしかして、味も知らずに飲ませたのかよ? まさか妙な実験台だったとか……」
「な、なんでもすぐ疑ってんじゃねーぞ! それに俺が実験とかするようなタイプに見えるのか!?」
「そう、だな。お坊ちゃんは実験で試すよりもさっさと自爆するタイプだもんな」
「どういう意味だっつの!」

 怒らない、と思ったのにこれだ。ちょっとだけ感じていた罪悪感がこの時点で綺麗さっぱり無くなってしまった。ルークは眉を釣り上げて怒り、ユーリの手からコップを奪い取ろうとする。その瞬間だ、コップを持っていたユーリの指先に偶然触れた。触れたと言ってもほんの数ミリ、爪の先程度。次の瞬間コップはガチャン! と騒々しい音を立てて、床へと無残な姿を晒していた。
 元々耐久力が減っていたのかは分からないが、それは派手に割れ散っている。ルークは驚くと同時に呆然とした、だって自分は今コップを奪い取ろうとしたのに、手の平に全て収まる前に相手の手の平が開いてしまったのだ。
 いくらユーリの片手がシーツの詰まった籠で塞がっていたとしても、こんなうっかりをするような人間ではない。責める瞳で顔を上げれば、その対象……ユーリの表情も驚きに満ちていた。

「おい、お前なんで手ぇ離しちまうんだよ!」
「あ……。あ、ああ、悪い。……いやなんでだろうな、自分でも分かんねーわ」
「あーあ、割れちまった」
「待て触るな、怪我するから箒とちりとりを……って!」
「おわっ! お前何してんだよっ!?」

 ルークがしゃがみ、床の割れたコップを拾い上げようとするとユーリが止める。しかし片手の籠でバランスを崩してしまったのか、うっかり欠片が散らばるど真ん中に手の平を突いてしまった。
 大きな欠片は刺さらなかったが、逆に小さな欠片で指先を傷付けてしまったらしい。ユーリの右手中指先端、じわじわと赤色が膨らんでいく。
 その血に驚いたのはルークだ、自分の髪色に近い色彩が肌の上にあるとどきりとして汗をかいてしまう。ユーリはユーリで、何故か驚いたままじっと見つめて体を止めているではないか。
 オロオロと慌てそうになるが、ルークは思い出してズボンのポケットを探る。前にガイが絆創膏をいれたはず、ハンカチやビスケットも一緒にぽろぽろこぼして引っ張りだした。
 お前何やってんだよ! そう怒るが相手は普段と違い言葉もなく動きも鈍い。そんな様子に苛つき、ルークは絆創膏を貼ろうとユーリの手を取った。だが、瞬間で振りほどかれる。その拍子にバランスを崩し、ルークはどすんと尻もちを突いて後ろに倒れてしまった。

「てめー何しやがる!」
「あ……いや悪い、なんか体が勝手に動いてだな……」

 今度こそ怒りを爆発させルークは怒鳴るが、ユーリは変わらず戸惑っている。明らかに眉を歪め、視線を彷徨わせこちらを見ない。その不自然な動きに今更だが、ハロルドの薬を飲んだ、という事実が頭に浮かぶ。
 もしかするともしてかして、不調になる副作用があったのかもしれない。ルークは目先の効果に意識を取られ、ハロルドの薬だという大前提をすっぽり飛ばしてしまっていた。ジェイドの薬も大概だが、ハロルドだって大概だ。
 いくら大罪人でもそこまでどん底に突き落としたい訳じゃない、ちょっとばかりむかつく言い方を謝らせたかっただけ。しかしお前が飲んだのはハロルドの薬なんだ、と正直に言うのも躊躇われる、ルークは保身を天秤に掛け、悩んで結局言わない選択をした。
 その代わり、じわじわと溢れる指先に絆創膏を貼ってやろうと思って近寄り、再度ユーリの手を取る。今度は振り払われないが、何故か少し震えていた。そしてユーリの視線が刺さる程に、重なっている部分に注がれている。彷徨わせていた先程と打って変わって凝視だ、ちょっと気持ち悪い。

「ま、まぬけ野郎、ドージ。貼ってやるから、じっとしてろよ」
「……ああ」

 動揺に声を揺らし、らしからぬ小さな返事。これも薬の効果なのだろうかと思いつつも、ルークは先に絆創膏を貼ってしまう事にした。と言っても自分は絆創膏なんて貼った事はない、なのでテープ部分を不器用に巻き込んでぐちゃぐちゃにさせたりしてしまい上手く貼れなかった。
 それでもなんとかどうにか、不格好でも指に貼り終え一仕事。ふぅー、と息を吐いて顔を上げれば大きな瞳が、指先から移動してルークを見ている。
 深い黒の中心に、幾つもの光が見えた。電灯の光を反射してか煌めいた炎がちらちら、熱視線と評せる程に。ユーリの瞼は開いて瞳全てにルークを収めている。どんな宝石だって特別綺麗だとは思った事は無いが、今この瞬間、ルークはふと綺麗だなと感想を漏らす。

「お、おい! ……もういいぞ」
「あ、ああ。ありがとさん……」

 瞬間、沈黙が二人を支配する。何か変だな、とルークは薄っすら思う。しかし考えなくとも、これは薬の効果に決まっている。言う事を聞かせる薬、どんな作用なのかあまり聞かなかったがとにかく、あのハロルドの薬なのだから何かしらユーリの体に影響を与えているのだろう。
 じゃあもしかしたら、今この瞬間。何か命令すれば応えるのか。ルークはその導きに、罪悪感がポロッと吹っ飛んだ。深く考えず、期待を込めてユーリに命令する。

「よし、俺に跪け!」
「は? お前何馬鹿な事言ってんの。面白く無い事言っても良いけどよ、つまんねー事は程々にしとけよ」
「あっれー!?」

 そのあまりの反応の早さにルークは逆に驚く。というかむしろ冷たい瞳で手痛いカウンターをもらい、ちょっとだけビビってしまった。いや訂正、ビビってなんかいない。
 するとユーリは鈍かった先程が嘘のように手際良く、籠からシーツを1枚取り出しそこへ割れた欠片を集めた。幸いそこまで細かく散らばらなかったため、あっという間に片付け終わる。ルークはその間ただ黙って見ていた、自分が何かする前に全てパッパと片付けられてしまい手を出す隙が無かったのだ。むしろユーリは焦っているようにも見える。

「まぁ、ジュースは礼言っとくわ」
「あ、おう……」
「仕事まだ残ってるしな、じゃあな」
「待てよ! あのさ……えーと、そうだ! 菓子かなんか作ってくれよ!」
「今仕事残ってるって言った所だろうが、お坊ちゃんも暇してんなら手伝えよな。猫の手よりかはマシなんだからよ」
「誰が猫の手だ!」
「ああ、ロックスの手は有能だし、猫の手は一部癒やし効果があるもんな。じゃあお坊ちゃんは猫以下か」
「てんめぇー!」

 おかしい、言う事を聞かせる薬だったのではないのか。ユーリは言う事を聞くどころかルークに次々と失礼な言葉を重ねている。遂に噴火したルークの様子を笑い、ユーリはさっさと廊下の向こうへ消えてしまった。
 本当に生意気で失礼でむかつく奴だ! 一瞬でも悪いと思った自分の優しさを仇で返さえれた気分に、ルークは収まりがつかない。周りに誰か居れば怒鳴り散らす事だって宥めてもらう事だって出来るが、一人きりぽつんと廊下で騒いでいたら本当に馬鹿じゃないか。
 今からユーリを追い駆けるのも面倒というかまた腹が立ちそうなので、ルークは手っ取り早く薬の製作者に突撃する事にした。まあ言ったってあのハロルドなのだから、ルークの怒りを殊勝に受け止めてくれるとは全く思わないが。


「おい! なんだよあの薬どこが言う事を聞かせられるってんだ! ビビッて……いや恥かいたじゃねーか!」
「んー? 何もう飲んだの? それとも飲ませた?」
「通りがかった大罪人に飲ませたけど、言う事聞くどころかむしろ悪くなったぞ!」
「何々、ユーリに飲ませたの? あんた面白い相手選んだわねー、それで? どうなったのよ詳しく聞かせて!」
「ぐっ……く、食い付いてくんなようぜぇー」

 科学者のサガなのか不明だが、ハロルドは途端に面白そうに食い付いてきた。引っ付くくらいに近寄られ、押しに弱いルークの方が後ろ足を退いてしまう。それから乞われるがまま、つい先程あった全てを話した。途中ハロルドはブツブツと単語を呟いているのが少し不気味だ。

「うーんやっぱり人格修正に依る所が大きいわねー」
「ったく、失敗作寄越すんじゃねーっての」
「あら! しっつれーね、この天才が失敗する訳ないでしょ? 話に聞けば薬の効果は確実に出てるはずよ、そこを精神力で抑えてるのね、ユーリならありえそうだわ」
「えー? って事は我慢してたって事か」
「そうね、飲んだらすぐ効くように作ったからこれ。薬の効果はどんどん進行してるはずだから、すぐ我慢なんて出来なくなると思うけど」
「って事は今度こそ大罪人が俺に謝る訳だなっ!?」
「ま、ある意味そうとも言うわね」
「よーっし、んじゃ行ってくるぜ!」
「ちょーっと待った。それならリスト渡すからさ結果書いておいてよ」
「んだようぜーな、なんでそんなもん俺がしなきゃなんねーんだよ」
「試作品だって言ったでしょ? そもそもこれを完成に近付けるのが最初の目的なんだから、間違えないでもらいたいんだけど」
「う……そういやそんな事言ってたな、しゃーねぇ。面倒くせーけどやってやるよ」
「はいこれ! ちゃんと全部やってよね!」

 嬉々としてハロルドが渡したのは2・3枚にびっしり書かれたリスト。その細かさにルークはたった今受けると言ったが面倒さにやる気が萎えていく気がした。






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