anti, World denied








入り口は背中にあった

「ユーリ、今日はしっかり働いてもらうからね!?」
「おーおー、我がギルドの首領は今日も元気だ」
「茶化さないでってば。今日は貴族の迎えじゃないから、ちゃんとやってよね」
「それで倉庫整理? こりゃギルドって言うより何でも屋だな」

 そう言ってユーリは溜息を吐くと、目の前のカロルがギロリと迫力の無い瞳で睨んでくる。じっと見上げる表情には不満がたっぷりで、はいはい分かりましたよと肩を竦めて諦めた。それにまた一言二言、小言がやってきたのでユーリはそれを聞き流す。子供が腰に手をやり、大人をガミガミ叱っている様子は衆目を集める。こりゃ面倒臭いな、そう思っていると隣のラピードはすたすたと先を歩いてしまう。それに習い、ユーリも歩けば一人取り残されたカロルが気付き慌てて走りだす。
 目的地は確か、倉庫街だったか。ユーリはぽりぽりと頭を掻き、場所を思い出す。あそこは商業地区の工業地帯だ、大きな倉庫がずらりと並び建ち地元民でなければ迷ってしまうだろう。ならば今日の依頼は、商人あたりか。まあ貴族達の相手をするよりか、よっぽどマシな仕事だ。ユーリはここ最近、所属しているギルドの仕事をちょこちょこ無視していた。

 ユーリが所属している、ギルド・ブレイブヴェスペリア。リーダーはカロルという子供だが、知識は下手な大人よりも十分持っている。不思議な縁でなんやかんやと、ユーリの他にもメンバーは居て時々他ギルドの人間が混ざったりするがあくまでも少人数体制。けれどあまり大人数で動くのも煙たいと感じる性格だった事もあり、今ではのんびりやれて気に入っていたのだが。
 最近のルミナシア情勢は不安定で、何時でも何処でも星晶を奪い合い戦争だ侵略だと物騒になっている。その中でもガルバンゾは大きな国なので、まだその戦禍を被っていない。防衛組織や対抗手段、何よりも星晶の資源は噂話には上らない程度には確保されている。なので最近では他国から避難や移住の為、道中の警護を依頼される仕事が急増していた。
 だが大国故に物価もそれなり、余所者の審査も一応にあるので入国を許されるのは大概貴族や金持ち達だ。貴族嫌いを自負しているユーリは、色んな意味で気が乗らない。
 最初は金払いがいいから、とギルドの首領であるカロルの説得で参加していたが、同行する度にユーリの貴族嫌いが更新されてしまうので今では全く参加していなかった。

 依頼を選り好んでいるユーリの日中は、下町の見回りや相談役になっていた。情勢の煽りをくらって最近下町に不穏な影を見かける事があり、この国の人間以外がウロチョロと活動しているようだ。警備体制の整っている貴族街が舞台になる事は滅多にない、その分ごった煮の下町が吹き溜まりになっている。
 その辺りカロルも分かっているのか、貴族からの依頼で無理に駆り出される事は無くなっていた。本心ではギルドを大きくしたいのだろう、本来ならば選り好み出来るような規模ではない。だがこの小ささが、ユーリには居心地が良い。
 何だかんだと融通をきかせてもらっている小さな首領の為、呼び出された時くらいはきちんとやるかと考える。それが倉庫整理、と言うのは面倒だがまだマシな方だと自分を説得した。どうせならば討伐依頼あたりなら、スカッとするのだが。


 カロル・ラピード共に倉庫街に辿り着けば、見知った顔が声をかけてくる。それは同ギルドのメンバーではなく、ガルバンゾでそれなりに名声轟く天を射る矢のレイヴンだった。何時もの羽織と何時もの軽そうな態度で、へらへらと挨拶をする。

「やっほー青年、お久しぶり」
「相変わらずおっさんは、他所のギルドのクセして普通に居やがるよな」
「今回の依頼、レイヴンも手伝ってくれるってさ!」

 カロルが何でもない風に言うが、別ギルドに所属している人間がギルドに来た依頼を手伝う、なんてしていいのだろうか。アルトスクでのレイヴンは裏方なのであまり表に顔は知られていないが、裏では十分知られている。そんな彼は何故か時々ブレイブヴェスペリアの顔をして混ざり依頼を共にしていた。本人は気まぐれだと言うが、ユーリは半々だろうなと睨んでいる。まあリーダーであるカロルが了承しているし、今の所迷惑は被っていないので黙認していた。
 少し遠くの倉庫入り口、そこでギルドメンバーであるジュディスが手をひらひらと振っている。レイヴンは自分から声を掛けてきたクセにあっという間に舞い戻り、でれりと鼻の下を伸ばしジュディスの隣に戻っていく。カロルは隣で呆れ声で笑い、ラピードは全く気にせず先を歩く。
 ただの倉庫整理だと思っていたが、レイヴンが居る事で少しばかり怪しげになってきたな、そうユーリは鞘でトントンと肩を叩いた。

「あら、久しぶりに出てきたのね」
「ま、我が首領がいい加減おかんむりだったもんでね。にしてもいいのか? このおっさんも居てよ」
「いんやー久しぶりにジュディスちゃんに会いたくって〜! おっさん最近ちょーコキ使われてカワイソなのよね」
「うふふ、お疲れ様」
「その笑顔で疲れも吹っ飛ぶよぉ!」
「……本当に良かったのか、カロル」
「人手が欲しかったから、仕方なく……」

 ちょっと失敗したかも、そんな表情で俯くカロルに苦笑した。まあ倉庫整理ならば人手があれば楽になるのは事実だし、此方でも十分にこき使えばいいだろう。今レイヴンが口にした内容、アルトスクの活動が活発ならばとばっちりがどこかで来るかもしれない。
 懐を温めておくのも、重要だしな。そうユーリが独り言ちていると、背後から見知らぬ人間が気さくそうに声をかけてきた。

「どうもこんにちは、今日はよろしくお願いしますね」
「あ、依頼人だよ! 僕がブレイブヴェスペリアの首領で、カロルです」
「お噂はかねがね、子供ながらにして有能だと聞いておりますよ」
「い、いやぁ〜それ程でもっ」

 なんだこの茶番は、ユーリの眉はピクリと持ち上がるが一先ず黙っておく。ちらりとレイヴンを見れば相変わらず締りのない顔ではあったが、どこか選別するような目で依頼人を見ていた。
 依頼人の服装は、小奇麗ではないが薄汚れてもいない。技工人ではなくどちらかと言えば商業の交渉人、のような作られた隙を感じさせる見た目。倉庫を利用する人間に区別は無いが、基本的には輸出輸入の商売人が多い。この依頼人もパッと見ではその類ではないかと予想できた。

「急な話でしたので、受けていただいて助かりました。それではまず、こちらが前金の5万ギルドです」

 先に依頼内容を説明するのかと思っていたのだが、ユーリはその金額を聞いて噴き出す。依頼人は懐からずっしりとした小袋をカロルに手渡し、かなりの大金に受け取った方が緊張している。掛けているバッグに大切そうに仕舞い、ポンポンとその重さを実感しているようだった。
 ユーリは最初聞いた内容から、随分と疑いを持つ。ただの倉庫整理が、前金で5万? 美味しいを通り越して怪しすぎるだろう。しかしなるほど、だからこの場にレイヴンが居るのかと納得する所でもあった。
 依頼人は今日中に終わらせる事を条件に、残り10万ガルドを支払うとまで言い出す。その金額でユーリの天秤ははっきりと傾く。注意深く相手の動作に別の意味が混ざっていないか見つめながら、不自然を出さぬよう気を付けながら話す。

「それで、整理する倉庫はここ一帯の分か?」
「いいえ、この倉庫だけで結構ですよ」
「そりゃあちょっと楽過ぎるんじゃねーの」
「本当に緊急で、今日中……夜までにはこの倉庫を空にしなくてはならなくなりまして。タイミングが悪いのか、受けていただいたのがこちらのギルドだけだったんですよ」
「ん、空にする? って事は荷運びか」
「はい。隣の倉庫を空けていますので、全て運び込んでください。今日中に」
「……全部?」
「ええ、全部」

 ユーリは倉庫をぐるりと見渡す。倉庫街の中でも中くらいの規模、荷物は天井いっぱいまで積み上げられたコンテナがちらほら、ガラクタのような機械がざくざく、重そうな生地ロールが山程。地味に面倒でしんどそうな累々が合わせて倉庫中に広がっていた。これを隣とは言え、ブレイブヴェスペリアの人数で今日中に運ぶとなると苦労しそうだ。だが同時に、人数さえ居ればこんな美味しい仕事はない。それこそレイヴンの所属しているギルドや、内容問わず金額で依頼を受けている所ならば。
 まあ彼らが避けるくらいには、怪しい匂いもプンプンしているのは事実。最近の情勢も相まって、警戒しているのかそれとも失敗するギルドを笑い者にしてやろうと思っているのか。ユーリは横目でまたレイヴンを見たが、特に変わった様子はない。暇つぶしに調査がてらなのか、それともはっきりとこの依頼人の裏が取れているのか……。
 報酬金に舞い上がり、カロルはやる気満々のようだ。ジュディスはいつもの様に意味有りげに深い笑みを静かに湛えている。まあ首領を支えるのもメンバーの役目か、そう考えてユーリは黙った。

 説明を終えた依頼人は、また夕方来るのでそれまでによろしくお願いしますとにこやかに告げて去っていく。台車か機械を何か貸してくれるかと思っていたのだが、何も言わなかった。流石にこの人数、手作業で出来る仕事ではない。レイヴンに台車とリフト機の手配を頼み、取り敢えず手で運べる物は先にやってしまおうと言う運びになった。
 荷運びは単純に、体力仕事だ。はっきり言って面白くもクソもないこの重労働にユーリは内心げっそりしてしまう。これならば大量討伐の方がまだ楽しい、個人的に。
 運びながらも周囲に人影が現れないか、注意を張り巡らせているものだから神経も使う。何か襲撃があったり、アリバイ作りに加担させられている? にしては依頼人はさっさと消えてしまった。腑に落ちない気分で、いっそ何か起こってこの倉庫整理がオジャンになってくれまいか、そんな事をユーリは思った。

 レイヴンが持ってきたリフト機のおかげで作業効率は大幅に上がり、ジュディスがそのジャンプ力でひょいひょいと上から配置指示をしてくれるので、なんとか作業は夕刻、依頼人が来るまでに終える事が出来た。最初荷物が山程あった倉庫は物の見事に空となり、がらんどう状態。自分達がやった事とは言え、いっそ感動してしまうくらいの仕事だ。
 全員くたくたになっている所に、まるで図ったかのようなタイミングで依頼人は大きな荷物を持って現れる。服装は朝見た時と変わらず、それが逆に注意を引く。カロルは慌てて立ち上がり、この見事な結果を報告する。これで前金と合わせて15万ガルド、いくら時間指定で力仕事と言えど普通ならば受けたがるギルドは数多いだろう。だが実際受けたのは、カロル一人。

「ありがとうございました、とても助かりましたよ!」
「えへへ、それじゃ残りの報酬金を……」

 両手を差し出して受け取ろうとするカロルの手に乗ったのは重い金貨の小袋ではなく、依頼人の咳払いだった。

「その事なんですが、最後にこの荷物……。これを届けていただきたいんですが、いいでしょうか?」

 ユーリは横目で、ジュディスがゆっくりと腕を組み直したのを確認する。レイヴンはいつもの顔をして、顎を擦っている。ユーリは数点、確認として聞いた。

「そりゃ追加依頼って事か? 少なくとも倉庫整理じゃねーだろ」
「これもある意味倉庫整理の一つですかね……。この荷物は元々この倉庫で保管していた物なのですが、私の知り合いがどうしても欲しいと仰られまして」
「中身は一体何なんだ、まさか……星晶だなんて言わねーだろうな?」
「星晶の輸出は今のガルバンゾでは禁止されているじゃありませんか! ただの古さが取り柄の古美術品ですよ」

 そう言って依頼人は、持ってきていた大きな金属製スーツケースを慎重そうな手付きで、皆の前に出す。大人の膝上くらいまでの高さで、銀色メタリックが頑丈そうな見た目。取っ手の部分にはしっかりと鍵が付いており、何か重要で大切な物が入っていますと言わんばかり。

「開けてみてもいいか?」
「とんでもない! 古美術品だと言ったでしょう。中身を真空処理しているんですから、絶対に開けないでください。美術品はかすり傷一つ付くだけでも価値が大幅に下がるんですからね!」

 そうなのか? とレイヴンに尋ねれば彼は含みを持つ顔で同意した。そんな大層な品、ただの一介のギルドに運ばせるのもどうかと言う所だが……。まあどちらにせよ怪しい話だ。これを断れば依頼破棄となり評判に傷が付くだろうが、いっそ断ってもいいんじゃないかとユーリは考えた。どうせ前金だけでも法外だし、元々このギルドは地元民からの依頼が多くその殆どが顔見知り。少しくらい信用が落ちたとしても揺るがない。この怪しい依頼にこれ以上関われば、信用ではなく別の物を落とすかもしれない。
 だがリーダーであるカロルは、疑いながらも破棄は選ばなかった。やはり駆け出しギルドとしては、評判を落とす事の方が気になるらしい。

「じゃあ僕が行くよ! 場所は? どこに持っていけばいいの?」
「地図のメモを渡しますので、ここへ。受取人が居ると思いますので渡してください。残りの報酬金は後日お渡ししますよ」

 カロルはメモを受け取り、金属ケースを持とうとする。だがそれは予想以上に重かったのか、ズリズリと床を引き摺っていた。それを見たユーリは溜息を吐き、レイヴンとジュディスに相槌を打った後カロルからケースを奪い取る。手に持てばやはりずしりと重く、サイズ的に石像か彫刻辺りだろうか。

「オレが行く。首領は貰った前金で、ごちそう用意しといてくれよ」
「でも……」
「こういうのは下っ端に任せとけって。誰が行ってもいいんだろ?」
「はい、構いませんが扱いは丁重にお願いしますよ」
「分かってるって。いくぞ、ラピード」
「ワンッ」

 付いてこようとするカロルに用事を用意し、メモも奪い取る。ラピードを横に付けて歩き出し、後手でひらひらと振った。依頼人の方はレイヴン達に任せればいい、この荷物が本命ならばカロルでは危ないだろう。と言ってもこの金属ケース、狙ってくださいと言わんばかりにゴテゴテしい。重い事には間違いないが、このサイズに入る古美術品だと納得出来るような重さでもないような、持てない重さじゃない。

 ま、いいか。そう気持ちを切り替えユーリはメモの場所を見る。そこはガルバンゾ貴族街の外れに位置する、小さな公園だった。住宅街とは離れているので人通りは少ない、ただの外観の為の緑と言った場所だ。それでも騎士達の見回り区域にも入っているはずだが……。
 何かしてくるのならば、それこそ下町やもっと下層のスラム街を指定すると思っていた。それとも偽装身分を利用して、あえて選んだ可能性も捨てきれない。だがそれならば他人に任せるというのはおかしいか。
 依頼は胡散臭くて依頼人も、荷物はもっと怪しくって指定場所もかよ……。ここまで真っ赤だと、逆に考え過ぎなのかもしれないと浮かんでくる。偶にそういう事があるのだ、なんでも疑いすぎは良くない。と、善人ならば言いそうな考えを否定してユーリは剣紐をくるりと回す。隣のラピードは耳をぴんと立て、尻尾がゆらゆらと揺らしていた。


 夕方を過ぎて暗くなり始め、周囲に人影はとんと居ない。見回りの騎士達はこんな辺鄙な場所は無駄だと言わんばかりに、鎧の音も聞こえてこなかった。ちゃんと仕事しろよな、とユーリはぶつくさ文句を言いながら、荷物を前に置き何時でも鞘を抜けるように持つ。
 今回の依頼は、一体どれが本命なのか。一番怪しいのはやはりこの金属製のケースだが、倉庫をギルド員だけで片付けさせたというのが気になる。証拠隠滅でもさせられたか、もしくはこれから空の倉庫を利用するのか。メンバーの命を狙う、と言うにはあまりにも金が掛かりすぎている。レイヴンならばまあ有り得るかもしれないが、ならば運び屋に指定するはず。

 考えて結局、面倒臭いなと辿り着いた。なるようになるだろ、と言いつつも姿勢は崩さない。ラピードはふんふんとケースの匂いを嗅ぎ、気にしている。

「やっぱりお前も、気になるよなソレ。でも勝手に開ける訳にもいかねーしな、……鍵は当然掛かってるっと」

 取っ手下の金具は5桁のダイヤル式で、ユーリは試しに滅茶苦茶に回してみる。だがいくらやっても開きそうにない。そりゃそうか、そう立ち上がろうとした途端にゾクリと背中に冷たいものが走った。

「……ッ!」

 キィン! と背後からの投げナイフをユーリは鞘を振り弾き飛ばす。夕暮れよりも闇色が侵食している空間に、それらしい人物は居ない。だが攻撃的な視線はバシバシと刺さり、そうこなくっちゃな、とユーリは剣を抜く。
 ラピードが走りだし、草陰に向かって短剣を一閃。そのスピードに反応出来なかったのだろう、鈍い音が響き人影が出てきた。服は全体的に暗く、軽装気味。口元を黒布で覆い人相は消してある、典型的なアサシン系。両手持ちの短剣の他に体のあちこちに短い刃物が見えた。相手はそれを矢のように素早く、ラピードの足元に投げる。だが当たる訳が無い、むしろその隙に距離を詰めてまたも刃を奮った。

「蒼破ァ!」

 別方向からユーリが追撃し、相手の行動範囲を制限する。しかしアサシンは壁を蹴りつけ、上方向から避けた。ラピードの剣は掠り壁をガリリ、と無駄に削る。
 ユーリは距離を取ったアサシンに追い付き剣を奮うが、相手は弾き返すだけで積極的には仕掛けてこない。何か様子を見ている? そう考えて視線を追えば、後ろの金属ケースを見ていた。ユーリはすぐに気が付き、一旦下がって前衛をラピードに任せる。足を退きケースの前まで戻れば、小さな舌打ちが聞こえてきた。

 動きは良いがプロかと言われれば首を傾げる、そんなアサシン。まさがこいつが渡す相手、な訳が無いか。そうだとしてもユーリの中では既に警戒が最大に高まっているし、相手も剣を捨てようとしない。さて荷物が本命か、それともこちらは囮なのか。依頼人の方が気になったがレイヴンとジュディスが居るならば任せて大丈夫だろう。
 それじゃ相手の出方を見させてもらうか、そうユーリは構えるが、ラピードと相対しているアサシンは突然初級晶術を放ってきた。

「ラピード!」
「バウッ!」

 無詠唱でファイアボールが放たれるが、ラピードは素早く躱す。アサシンはナイフと晶術をバラバラに、少しずつ距離を取り出した。ユーリは急いで蒼破刃を飛ばすが、遠すぎて範囲を越えてしまう。アサシンは距離を取りながら詠唱しているらしく、唱えている詠唱により周囲の空気がざわめきだした。
 どうやら中級以上なのは間違いない、ケースを守っているユーリ側に撃たれれば躱すことは出来ないだろう。だがそうなるとケースも破壊してしまう、まさかそれを狙って? 
 ラピードが追い着き飛びかかるが、詠唱が完了した相手は目の前で発動させる。多くの火球が上空に見え、ユーリは叫んだ。

「バーンストライク!」

 爆音と熱風が一気に吹き、ユーリは目を細めた。暗い周囲が一瞬眩しいくらい明るくなり、ラピードとアサシンの影を濃くする。ラピードは僅差で躱したらしく、晶術の範囲を避けて大回りに走りだしていた。その姿に、ユーリはもう一人の影を探す。
 体の右側がピリピリする、そう感じ取り剣を振れば爆煙の中からナイフが飛んでくる。ユーリは一歩退き、ケースを足元に置く。そこから殺気を探し、蒼破刃を飛ばすがあまり手応えがない。相手は一人ではないのか、それとも撹乱に特化しているのか。風が吹き煙が消えても、ナイフは飛んでこなかった。バウッ! とラピードの短い声で振り向けば、アサシンは詠唱を終わらせている。
 今度はユーリが舌打ちし、蒼破刃を飛ばすが遅かった。アサシンの足元が赤く光り、炎の晶術が放たれる。どう考えても範囲に入っており、逃げるにはケースを見捨てなければならない。耐えられる威力かどうかは受けてからでなければ分からないが、そのままお陀仏という可能性も捨てきれなかった。

「来たれ爆煙、焼き尽くせ!」

 またもここ一帯が明るく光り、炎の流星がユーリの頭上に降って来る。ええいままよ、とユーリは足元のケースを盾にして晶術を受けた。ドドドドッ! と爆音と煙が立ち上り、熱風を頬に受ける。だが体は炎に巻かれない、ユーリは目を閉じる事なくその異様な光景をしっかりと見た。

 炎の晶術はケースを焼く事なく、いやむしろ触れる事なく手前で霧散し消えてしまった。ユーリが掲げ持つケース、周囲をぽっかりと避けて地面には残り火がチロチロと上がっている。驚いたのは相手も同じだったらしく、何か呻き動揺の声が聞こえた。それにハッとなり、ユーリは蒼破刃を飛ばす。ラピードも追い駆け今度こそ隙を与えるものかと、ヒットアンドアウェイでまとわりつく。
 ユーリは片手で持つには少し重いケースを手に、ゆっくりと距離を詰める。相手は先程のように晶術は撃ってこなくなり、ただひたすらに躱す終始していた。またこのケースを盾にされる事を警戒しているのだろうか、となるとやはり本命はこのケース。晶術を消してしまった不思議な現象の事もあるので、間違いないだろう。
 相手は分が悪いと踏んだのか、段々後ろへ下がっていく。このまま撃退できれば良いが、まだ仲間が居る疑いは捨てきれない。ユーリはここで一気に勝負を着けるかと踏み込もうとした。しかしその時、遠くから鎧が擦れる音と人の声が。
 中級晶術を派手に2発もぶちかましたのだ、誰かが衛兵を呼んだのだろう。アサシンははっきりと舌打ち、敗れかぶれにナイフを一気に投げつけた。ラピードは華麗に避け、ユーリは剣で弾き飛ばす。だがガギン! と狙ったのか偶然か足元のケースに当たる鈍い音が。晶術をかき消したが物理には無力なのか、見れば取っ手が吹っ飛んでいた。
 ラピードの叫びに顔を上げると、あのアサシンはもうどこにも姿が見えない。逃げ足はプロらしい、ユーリは立ち上がり衛兵達の声を探る。遠目でも明かりが見え、自分達も早いところ逃げなければ濡れ衣を着せられそうだ。唯でさえユーリは彼らに覚えが悪いので、貴族街に居るというだけで牢屋にぶち込まれかねない。

「しかしこのケース、どうしたもんかね」

 取っ手が壊れてしまったので、両手に抱えなければ持ち運べないだろう。だとしてもこれ以上持つのも得策とは言えない気がしている、狙いはこれだとはっきり分かったのだし。いっそ騎士団連中に任せるか? そう迷っているとラピードがフンフンと匂いを嗅いでケースの金具に触れてしまう。ダイヤルキーもナイフに抉られて跡形も無い、開きが壊れたのかケースは鈍い音をたてて勝手に開いた。

「……おいおい」

 するとそこには驚くべきことに、……子供が入っていた。背中と手足を曲げ、あのケースにきっちりと。内張りは柔らかく加工している様だが、だとしても随分窮屈そうに収まっている。瞳を固く閉じているので一瞬人形かと錯覚した、それくらいこの子供は綺麗だった。
 ユーリはそっと、夜を寄せ付けない程白い子供の頬に触れればぷに、と柔らかい。触れて初めて、生身だと納得する。何か薬でも嗅がされているのか、いくら触れても子供は不自然な程目を覚まさない。
 どうやら自分のギルドは、危うく人身売買の片棒を担がされる所だったらしい。それに腹の奥で沸き立つが、ラピードの声で吐き捨てた。衛兵達の声が近い、ユーリは子供を慎重に抱えてその場から逃げる事にした。

「ラピード、そのケースも一応持ってってくれるか」
「バウ!」

 ユーリは急いでケースに紐を掛け、簡易に取っ手を付けた。ラピードの口へ引っ掛けすぐに走り出す。腋に抱えている子供の体温を感じ取り、嫌な気分だとハッキリ自覚した。

 ユーリは一度自分の下宿先に帰る事にした。カロル達と合流してもいいが、あの依頼人がまだ居たら問題だ。人身売買ならば絶対に後ろ盾が付いているだろう、囲まれていては厄介過ぎる。街を大回りに周り回って、下宿先に戻った。
 電気は点けず、子供をベッドに寝かせる。口元に耳をそばだてれば、小さな呼吸音。それにホッとして、ユーリはラピードに頼んだ。

「ラピード、すぐで悪いがおっさん呼んできてくれるか? あっちが緊急事態だったら応戦してきていいからよ」
「バウワウッ!」
「20分経っても来なかったら、そっち行くわ。頼むぜ」

 ラピードはすぐに部屋を出て、軽やかな足取りで駆けて行く。ユーリは窓からそれを見送り、滅多に締めない雨戸を閉じた。そうすれば部屋は真っ暗で、響くのは静かな呼吸音だけ。ユーリは扉に鍵を掛けてから明かりを点け、戸棚から毛布を引っ張りだす。
 ベッド傍に座り、そっと子供の様子を窺った。明かりの元で見れば、やはりこの子供は人形のように精巧で可愛らしい。朱色の髪は艶やかに解れもなく真っ直ぐで、同色の睫毛は長くくるんと縁取っている。小さな鼻とまろい頬は少し青白く、それが余計に生きた人間とは思えなくしていた。薄っすら開く唇から僅かに動く仕草で、やっと分かるくらいに。
 服は生地からして高級そうに、金色の縁取り意匠が飾っている。どうからどう見ても金持ちのお坊ちゃま。どこぞの土地から身代金目的で誘拐され、善意の第三者としてブレイブヴェスペリアが運び屋に選ばれたのだろう。あの金額からして、もしかすると王族の子供かもしれない。

 自分のギルドを犯罪に利用されかけ、ユーリは腹が立つ。そして同時に、このお坊ちゃんも可哀想にな……そう思いそっと毛布を重ねてやる。ユーリはその後、レイヴンを連れたラピードが帰るまでずっとその子供を見ていた。芸術だの美術品には疎いが、この子供は間違いなく可愛らしく綺麗で、いっそ人形だと言われた方が納得出来るくらいには見ていて飽きなかった。






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