SOSロマンス








1

 その日はユーリとしては何でもないただの一日になる予定だった。ルミナシアの世界危機においてなんでもない一日、というのは実際貴重なのだがまあひとまず。ユーリは午前中に町へ下り、依頼を苦も無く終わらせ昼食を取り、思いついて武器屋を巡れば掘り出し物の剣が目に止まって結局買ってしまった。
 年代物ではあるが名刀匠が打ったのか中々唸らせる輝きを放っていたが、手入れを怠っていたのか多少の刃毀れが見える。恐らくそれのせいで隅で埃を被っていたのか、研げば生き返るだろう。アドリビトムには幸いにもポッポという腕の良い鍛冶師が居る、彼に頼めばきっとこの刀も生き返るだろう。剣ではなく刀という所もユーリの好みであり、これも一つの巡りあわせに思える。
 元の値段はそれなりだったが今ではまあ、お手頃とは言えないが買える範囲に留まっていた。財布を見ればなんとか、すかんぴんは避けられそうな具合。こういう惹かれる買い物は滅多にない、ユーリは然程悩まず買った。

 良い買い物をしたもんだ、そうほくほく顔で帰りの町中を歩いていると、瞬間我が目を疑う。目の端に映った、小さなパティスリーの出店。砂糖や蜂蜜などの甘味料はこのご時世高沸しており、菓子類は素朴で保存が効くものが大半だ、生菓子は余程大きな街や国、それこそ家庭で素朴な手作りをするような程度。
 なのでこの小さめの町でおまけに店舗ではなく出店、というのが珍しい。だが何よりユーリの目を奪ったのは、パティシエ本人が売り子をしているのかその男性の顔。それは昔帝都発行の雑誌で見かけた、貴族御用達の高級菓子として称賛を浴びていたその人だった。
 店は貴族街に構えていた為下町の人間は滅多に買いに行くことは無かったが、ユーリは甘味の為ならばと懐に大幅な余裕がある時だけ買っていたのだ。こればかりは材料をケチらず贅沢に、金をかければかけるだけ美味くなる。結局片手で足りる程度しか口にしなかったが、あの味は人生の中でトップ5に登録されていた。
 もちろんロックスの作る菓子も上等に美味いのだが、パティシエの異常なこだわりを感じさせるあの味はきっとあの職人特有のものだろう。

 ガルバンゾを離れて以降、懐が潤えばあのケーキを食べたい欲求に駆られたが国内指名手配中は無理だろうなと諦めていた。話は回りくどくなったが、ようするに。そのパティシエ本人が、一人でぽつんと売り子なんぞをやっていたのである。

 ユーリは自らの頬を抓り、きちんと痛い事を確認した。消えないし痛い、という事は現実か。軽く呆然とする自己ではあるが、体は正直に欲望通り動いており出店の前に立つ。パティシエはやはり、雑誌で見たあの顔。いらっしゃい、と想像以上に柔和に迎える。写真の上ではどうも、貴族御用達そうな釣り上がった目だと勝手に思っていたのだが。

「あんた、ガルバンゾでケーキ売ってなかったか?」
「おや、私の事を知っているんですか」
「雑誌で見た事があってな、ケーキも食った事あるぜ」
「ありがとうございます、あの国とここは随分遠いというのに、縁というやつですかね」

 確かに大国ガルバンゾからこの町は、2大陸分は離れている。言ってみれば僻地、その分ウリズン帝国からの炎は届いていないようだが、つまりは旨味が無い土地なのだ。星晶も最初から採掘量は雀の涙、人手を駆り立ててまで掘る必要性が無い。
 その点で言えばガルバンゾは攻撃的防衛手段が豊富な為、まだ安全だと思うのだが。戦争から逃れてこんな場所まで、と言うには些か説得力が薄いかもしれない。込み入った事情かもしれないが、ユーリは何となく興味が湧いて質問した。

「なんでこの町で一人ケーキ売ってるんだ? あんた程の腕ならもっとでかい店持てるだろ」
「いやまあ、私は元々経営にはさっぱりでね、人に任せていたらあの規模になっていたんですよ」
「へえ、そりゃまた。……良かったな騙されなくてよ」
「そうですね、その点ではガルバンゾでのパートナーは信頼出来る人間でした。けどね、星晶戦争が激化して世界が大変な時に、自分は安全な場所で手の届く相手だけに食べてもらってていいのかってふと思いましてね」
「命あっての物種だろ、一般人が戦火の中へ思いつきだけで行くのは関心しないぜ」
「同じ事を言われました、けどね……私が何もしなくても世界の風景はどんどん変わっていくじゃないですか。なら私が何かしたっていいんじゃないだろうか、と」
「……だからって、こんな離れた土地でケーキ売り? まあ強制労働地に突撃するよりかいいだろうけど」
「何だかんだ言っても私はただの料理人、しかも菓子のみですからねぇ……。材料もそれなりに入手できる所でなければ、本当にただの人ですよ。その点で言えばここはギリギリ、砂糖も蜂蜜も手に入りますから」

 そう言って彼は、にこりと笑った。奇妙なしがらみを感じさせない笑顔は、不器用な職人気質を感じさせる。これはまあ、純粋が故に周りが手を回してやらねば自滅するタイプではないだろうかとユーリは思った。このタイプは普段自分の好きな一つをしていれば他は全て任せるのだが、いざ自分でこうと決めたらテコでも変えない厄介なタイプだ。例えば、ユーリの親友であるフレンに少し近い。

「じゃあ最近はここで直々に手売りしてんの」
「ええ、私一人ですから作れる数に限りがありますし。でもお客さんと直接触れ合えるのは、中々いい刺激です」

 限られた材料の中で試行錯誤するのが楽しいんですよ、と笑っている。その表情にユーリは親しみを感じた。

「ならこれも縁だ、残ってるのあるか?」
「ギリギリ一つなら。このケーキは今日で最後ですよ、果物の時期が終わってしまったのでね」

 そう言ってケース内を見れば、ぽつんと一つきりのケーキが。形状はモンブランに似た円で、白い生クリームで覆っている。何のケーキだろう、と思っていると彼はイチジクという果物が丸ごと入っていると説明してくれた。ユーリは聞いた事が無かったが、この地域で栽培している果物らしい。瑞々しい甘みと変わった触感が特徴だと。

「へえ、聞いた事ないわ」
「ええ、私もこの土地で初めて知りました。世界にはまだ見た事も出会った事もないものが沢山あって、面白いですよね」
「そりゃいいけど、加減も考えた方がいいぜ? んでこれは幾らだ?」
「600ガルドになります」
「高っ!」
「すいません、何しろ一人でやってるものですからねぇ」

 600ガルドと言えばオレンジグミやアップルグミより余裕で高い、レモングミが同じ600ガルドなので一般的に言えばかなり高価だ。グミと比べても仕方がないのだが、通常のケーキは大体150ガルド前後、以前帝都で出していた彼の店でも一つ400ガルドを超えた物は無かったはずだが。
 元々甘味は嗜好品、色んな人間に食べて貰いたいという志は立派だが、商売として成立していなければ続けようもないのでは。しかし実際、ケースの中身はこの一つを残して空だ。もしかして他の分は相応で、このケーキが飛び抜けて高いのだろうか。そう尋ねれば彼は少し恥ずかしそうに肯定した。

「果物が珍しい物で、ケーキ用に加工するのが難しくて手間暇がかかるんですよ。何せ蜂蜜漬けですから、他の物と比べて倍以上になってしまって……」
「……それでも売れてるんだな」
「立ち寄った冒険者の方や、私の話を聞いてわざわざ来てくれた方が買われていくんです。おかげ様で何とかなってますよ」

 経営者が居た頃は、きっと流通的に駄目出しをされていたのだろう。味を追求すれば金がかかるのは当然であり、止める人間が居ないのであれば尚更。けれどその分、きっとこのケーキは値段相応に美味しいに違いない。ユーリは是非なんとしてもこれを食べたくなった。

「じゃあ、期待して頂こうか」
「はい、ありがとうございます」

 そう言って懐を探れば、頼りない音。そうだ、すっかり忘れていた。ユーリが手に持つ左手には、普段の剣ともう一本。これもまた縁を感じた出会いの結果が、ででんと主張する。嫌な予感がして財布の中身を確認する、ちゃりんちゃりんと数えるまでもいかない数字は、5回で止まってしまった。

「……100ガルド足りねぇー」

 100ガルド、微妙な数だ。手元の消耗品は午前中の捜索依頼中に使ってしまい残っていない、あってもオレンジグミ2個、合わせても60ガルドだ。ぱたぱたと懐を探るが、そう言えば昨日フレンに物を突っ込みすぎるなと怒られて全部出したのだった、悲しいくらいに無い。
 目の前の彼はユーリの状況が分かるのか、口元は薄っすら歪んでいく。けれどここでまけましょうかと言い出さない辺り、商売を少しは自覚しているらしい。少しだけ期待を込めて、聞いてみた。

「……500ガル」
「600ガルドになります」

 こちらが言い切る前に、食い気味で答えられた。一人で全てやるようになって、ガルドの価値を重要視する成長も見せたらしい。せめてグミを売っぱらってくるので560ガルドになったりしないだろうか。先程彼はこの商品、今日で最後だと言っていた。つまり次の時期が来るまではもう食べられない、まさにラストチャンス。
 依頼の報奨金は残念ながら規定金額ぴったりなので、これに手を付ければギルドマスターにぶっ殺されてしまう。仕方がない、少しみっともないが待ってもらって船までお金を取りに戻るか……そう思ってユーリが言おうとすると、一人の客がやってきた。

「やあ、今日の分はまだ残ってるか?」
「ああ、何時もどうも。いや、このお客さん次第だねぇ」

 様子からして常連客なのだろう、だが服装が冒険者風。ユーリは一目でピンときた、こいつは自分と同類である甘味好きだと。土地に留まり生活する一般人には、1個600ガルドはちょっとばかり高すぎる。その点命の危険も辞さない冒険者や戦闘ギルド系は、給金もそれなりに。独り身であれば特に、高かろうが自分の好きなように使ってしまう傾向も少なからずある。そしてなによりも、この場においてのライバルである、と。
 数々の戦場を渡り歩いた猛者なのか、ユーリと同じ考えに至ったらしい客は目を細めてぴしりと空気を張った。その緊張感に、バチバチと視線で戦わせる。
 ここは慎重に行動しなければならない、何故なら本来彼が来た時点でユーリは負けなのだ、100ガルド足りないのだから。だがそれはまだこの客人には知られていない、パティシエが言わなければそうすぐには辿り着かれないだろう。
 下手に感付かれて700出すので自分に売ってくれ、なんて言われてしまえば終わりだ。ここは情に訴えかけてでも何でもして、諦めてもらうかお引取り願おう。

「ああ、このケーキ一つだけかぁ。美味かったけど、確かに高いもんな」
「はは、すいませんね。こいつも今日で最後ですから」
「そうなのか、そう聞くとちょっと無理してでも食べたくなってきたよ。どうするんだい、あんたが買わないなら俺が買うけど?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 流れは確実にあちらにある、この様子では船までお金を取りに戻る余裕も受け入れてくれるか微妙な所だ。ユーリがもし同じような立場にあれば、正直言って倍出すからオレが買う、と言ってしまいそうな場面。だからこそ簡単には離れられない、しかしこの場に留まってもお金は増えたりしない。
 空気を読んだパティシエが情けをかけてくれているのか、ユーリの手札が足りていない事を黙っている。ありがたいような、でも別に待つつもりはないですから、という無言の圧力を感じた。

 ここに来て窮地に陥る。こんな事になるのならば、刀はまた次の機会に買えば良かった。武器屋の片隅に埃を被っていたので、買うから置いといてくれと言えば店の人間は了承してくれただろう。全く何が縁ある出会いだ、これのお陰でこの最縁を逃しそうなのだ。そもそも今日の依頼に一人で来たのがまずかった、誰か居れば借りれたのに。朝に気楽なソロでいいやと決めた自分の思考をユーリは呪う。

「お客さん、どうするんです?」
「高くて悩むのは分かるが、ここのケーキはそれだけの価値はあるぜ」
「あ、ああ……。そうだろうな、そうなんだろうけどよ。……まけ」
「600ガルドです」

 今度はかなり食い気味に言い直された。ユーリとパティシエの様子に、少し不信を抱いたのか客は少し考えるように顎を擦っている。これはまずい流れだ、最終手段としてこの客に100ガルド借りようかなと思っていたが、同じ甘味好きとして言うが半々だろう。経験から言うと、半々の時は大体負ける。ちょっと無理めな勝負の時の方が、こういう時は勝つのだ。

 どうする、どうやってこの場で足りない100ガルドを賄う。帝都での彼を知っているというアドバンテージはあるが、新しい土地での常連の方が価値としては上だろう。おまけにこの客は600ガルドのケーキを食べた事がある、ならば美味しさも知っているはず。ここでじゃあ今回は新規に譲ろう、と言わないのが甘味好きだ。
 甘いご褒美がホールで存在する時は寛大になれるが、たった一つきりになると話は変わってくるのである。

 この刀を担保に……してもパティシエ相手にこの欠けた刀の価値を認めてくれるか微妙だ、では客相手に……と思ったが100ガルドの担保がこの刀とはちょっとばかり価値が違いすぎる。結構したのだ、ユーリの財布が残り500ガルドになるくらいには。まあ価値の差が大きい方が信用を取れるかもしれないが、持ち逃げされては洒落にならない。いくら同じ甘味好きでも、そこまでユーリは他人を信用するつもりが無かった。
 じわじわと時間が経つにつれ、無言の圧力が強くなっていく。これは過去どんなピンチよりもピンチだ、助けも期待出来ない。何か、突破口はないだろうか。そう頭を巡らせていると、ふと視線の端に見知った色が映る。
 何故こんな所に? と思う前にユーリは天の助けだと閃き、場の雰囲気をぶち壊すようにわざと大声で呼んだ。

「ルーク、ルークお坊ちゃんじゃねえか!」
「……ああ? げっ、お前なんで……!」

 バンエルティア号は確かにこの付近に停めてあるが、ルークが興味を惹くような施設は何もない。彼はあまり依頼に出ないし、そもそも一人で行動している場面が無かった。船内では必ずライマの従者が付いていたし、最近では友人になったのかクレス達と居る姿を見かけている。
 そのルークがこんな場所で、一人朱毛の天辺をぴょこぴょこさせて歩いていたのだ。彼はその派手な態度と空気で、場を良い意味でも悪い意味でもぶち割ってしまう。だからこんな時でもユーリは気付く事が出来た。今日この日ばかりはそれに感謝する。

 ユーリは少し待ってくれ、と二人に頼んで大振りな動作でルークに駆け寄った。ちょっとだけ顔見知りの相手をさせてくれ、というポーズと実際天の助けだからだ。
 ルークは顔を遠慮無く本気で嫌そうに歪め、じりじりと後ろ足を退いている。ユーリはそこを逃がすものかと、ばんと足で遮った。

「一人で何やってんだよ、お付きはどうした」
「うっせーなぁ、俺がどうしようがてめーにゃ関係ねーだろ」
「その様子じゃ依頼でも無さそうだし……黙って抜け出してきたのか?」
「別に、いいだろんな事」

 ぷい、と顔を背ける態度ですぐに分かる。相変わらず謀が下手な事だ、今日はだからこそ助かるが。一人で抜け出しているのならば、ある程度の持ち金はあるだろう。彼は最初、金のなんたらすら知らなかったんだと誰かが大袈裟に言っていた気がする。だからこそ今ならきちんと持っているはず。
 自分の目論見をさり気なく隠しつつ、ユーリは持って行きたい方向へ誘導した。

「王子様なんだろ、あんまり一人でちょろちょろしてちゃ不味いんじゃねーのか」
「王子だろうがなんだろうが、一人で何にも出来ない奴の方が問題だろ」
「そりゃごもっとも。んで、ちゃんと言ってんの? 一人で外出てるって」
「ちょっと町に出てるだけじゃん、必要ねーよ」
「そりゃそうだけど、この前二人で行動しろって言われたばっかだろ。それ以外は伝言厳守だったはずだぞ」
「う、……面倒くせーな」

 以前にクレアがサレに拐われた時から、アドリビトムでは二人以上での行動が言い渡されている。一人の時はアンジュの許可が出なければ、許されていない。特にルークのようなトラブルメーカーは、ギルドの評判にも関わってくるので一人で出さないはずだ。
 まあだからと言ってそんな事を素直に聞くくらいならば、ルークはこの場に居ないだろう。どうやって抜け出してきたのか、バレれば絶対に怒られると分かるだろうに拙い事だ。何しろ行動先が船の停泊している近くの町なのだから、そこはもう少し考えて普通避けるだろうに。
 見つかってバツの悪そうな顔のルークは、ツンと唇を尖らせて目を逸らしている。子供の顔だ、不貞腐れてそのまま。明らかに面倒そうな奴に見つかったなー、という表情。ユーリは全く気にせず、自分の要求を突きつけた。

「お坊ちゃん、今日は見逃してやるから100ガルド貸してくれよ」
「はあ? なんでお前そんな上からなんだよ……。ってかなんだよ100ガルドって」
「丁度100ガルド足りない所だったんだわ、後で返すって」
「……何買うんだ」
「ケーキ」
「お前自分で作れるだろ」
「自分で作るのと他人が作ったのは、また違うんだよ」

 そう真面目に言うユーリに対して、ルークは馬鹿にした顔で歪んでいる。この野郎、甘味の良さを十分知れる高位にあるくせに。

「別に100ガルドくらいくれてやってもいいけど、大罪人の態度が気に入らない」
「じゃあオレはケーキを諦めて今から帰って、速攻でティアに告げ口してくる」
「や、やめろ馬鹿! 子供かお前は!」
「子供じゃないから正当に対等な取引を持ちかけてんだろ? 後で返すっつってんだし、どっちにも損はないじゃねーか」
「むぐぐ……」

 大人になれよ、と言えば余計に気に触ったのか、ルークの目付きが悪くなる。ユーリの手腕ならば上手い事だまくらかして、むしろルークから100ガルド払わせてください! という方向に持っていく事も出来たのだが、今回はそんな回り道をしている暇が無い。何せケーキが待っている、店主と冒険者を一緒に待たせて。
 それにルークのような単純正直馬鹿を騙すと、自分が本当に悪い人間なのだと自責の念に駆られてしまいそうだった。言うなればハイパーイージーモード、疑う事を知らない子供を騙すなんてちょろすぎて逆に可哀想だ。
 と、確実に怒らせてしまいそうな事を口には出さず考え、ユーリは手の平を出す。ほれさっさとしろ、と言わんばかりに。ルークは嫌そうに渋っているが、ここでは出さない選択肢は存在しないはず。けれどユーリの態度が、というよりは自分が妙に下の位置に居る自覚が我慢ならないのだろう。
 その心の迷路がユーリには手に取るように分かって、これはこれで面白い。だがさっさとして欲しいのは事実、さっきから遠目の店主達の視線が痛いのだ。

「船に帰ったら返すって、ほら」
「借りる立場ならもっと低姿勢で言えよな! なんでそんな偉そうなんだよ!」
「立場はフィフティーフィフティーだと思うけど? つってもオレは今回きりのケーキを諦める事になるが、お坊ちゃんは今後の監視がきつくなりそうだな」
「うげぇ……」

 対等な取引、と言ったが実際ルークの方が立場としては上だ。ユーリは表面上の態度では、欲しかったけれどまた今度でも構わないポーズをしているが、本心としては思い切り、喉から手が出るほど、最最終手段として今日買った刀を売り返してもいいくらい、あのケーキが食べたいのである。
 最初はここまで欲しいな食べたいという気持ちは無かったのだが、自分に逆境が吹くと余計に食べなければならない使命感がむくむくと湧いてきてしまった。きっとあのケーキは美味いに違いない、いや美味くなくてどうする。
 だから嫌々そうなルークを持ち上げておだて誤魔化しどんな手段を使っても、100ガルド借りたいのはユーリの方。だがそれを相手に知らせてしまうと、そこに付け込まれてしまう。特にルークは調子乗りの一面がある、貸してくれる事は貸すだろうが、それまでの道のりがはっきり言ってうっとおしい。
 こちらと時間が無いのだ、のろのろしていると店主が痺れを切らしあの冒険者に売ってしまうかもしれないのだから。

 だから自分の本当の立場は全ては見せず、お互い損の無い、いやむしろ相手側がほんのちょっぴり弱い立場だと思わせた方が良い。

「んで、どうすんの」
「……お前、もうちょっとそれっぽい態度で言えよなぁ」
「お互い様だと思うけど? はいはい分かった分かった、んじゃ一生恩に着ますから、このしょうもない下民めにお恵み与えくださいますでしょうかね」
「態とらし過ぎんだよてめー!」
「それくらいは分かるんだな」
「ば、馬鹿にしてんのかー!?」
「馬鹿に金は借りねーよ、可哀想だろ」
「ほんっとむかつく、お前すげーむかつく!!」

 ぎゃいぎゃいと文句を騒ぎたて、しまった無駄に怒らせてしまったとユーリは心の中で舌打つ。分かっていたのにこのお坊ちゃんは、余分にからかって遊んでしまうのだ。反応返しが面白いからいいのだが、こういう時間の無い時は考えものだ。

「悪かった、悪かったって。んじゃ対等に行こうぜ、オレはお坊ちゃんから100ガルド借りる、そんでこのまま帰ってケーキ食って美味しい。夕食後に100ガルド返して、今日はそれで終わり。どうだ?」
「……ああもう、いいよそれで。絶対言うなよ、特にティアには」
「言わねーよ、お坊ちゃんもそれくらいの責任持てるだろ、子供じゃあるまいし」
「いちいちなんか引っ掛かる言い方しやがるなぁ、お前」
「性分なもんでね、気に触ったなら謝るって」
「口だけで謝られると余計むかつくわ、もういい。……ほらよ、100ガルド」

 チャリン、と投げて寄越した硬貨をユーリは片手で受け取る。長々と時間を取られたが、ようやくこれで目的は達した訳だ。目の前の随分と不細工に歪めた表情に笑わないように、サンキューと軽い口調で言った。

「恩に着ろよ、100ガルド!」
「取引って言ったと思うんだがね?」
「じゃあ俺がテメーの代わりにそのケーキ買って食ってやろうか?」
「本当にありがとうございましたルーク様、一生恩に着ますよっと」
「ふん、忘れんなよ!」

 そう言ってルークは顔を背け、これ以上ここに居てたまるかという怒りの背中で歩いて行った。ユーリは手の中の100ガルドを見て、にんまり笑う。うきうきした足取りで出店に戻り、笑顔でケーキを注文した。


 一幕を見ていた店主は、またご贔屓にどうぞと苦笑いで用意してくれる。ユーリはスキップをしたくなる気持ちをなんとか抑え、即行で船に帰った。
 ロックスに飲み物をいれてもらい、いただきます、と両手を合わせる。フォークで生クリームをさくりと刺せば、中心に丸くカラメル色した果実が出てきた。柔らかいが、崩れてしまわない。四分の一に切り分けて、ぱくりと口に入れる。するとまずは甘すぎない生クリームのコク、次いで水分の多いらしい果実からじゅわっと甘い雫が。蜂蜜漬けなのでその甘さだろう、かと言ってしつこい訳ではない。
 果実、蜂蜜、生クリーム、それぞれがバランス良くまとまり、合わせて口に入れた時ハーモニーとなっている。全体的にさっぱりとしていて、これならば1・2個ぺろりといけてしまうかも。
 ユーリは思考が深く沈みすぎる前に戻り、目の前の甘露を味わう為にただ無心になり、幸せな時間を過ごした。甘い物を食べる時に、ごちゃごちゃ考えては失礼だという持論、を今適当に考える。

 さっぱりと食べやすいイチジクのケーキは、あっという間に食べ終わってしまい残念だ。これは確かに、600ガルドは納得の値段だ。量産出来ればもっと食べれて下がるだろうに、勿体無い。是非もっと作っていただきたい。だがこの果実の時期が終わってしまったと言っていたので、どちらにせよまたこの味を味わうには来年か。
 ユーリは心のスケジュール帳にしっかりとメモし、自分で作る事は出来ないだろうかとレシピを考える。蜂蜜漬けで、加工が難しいと言っていた。数を作るには確かにそうかもしれないが、自分の分だけならばやってやれない事もないだろう。果実は少し問題だが、別の果物で応用してもいいかも。

 その後ポッポの元へ刀を渡し、補修を頼む。部屋に戻って資金調達、と言うかへそくりを見れば案外に残っていた。そう言えば最近ディセンダーの装備集めに付き合い、多量のあぶく銭が入っていたのだ。これがあれば今日のケーキもさっさと買えたのに、タイミングが悪かったとしか言いようがない。
 整理整頓も考えものだね、と苦笑しユーリは小銭を懐へ多目に入れた。

 夜になり、廊下でばったりとルークに会う。隣にはガイが居り、この様子では昼間の抜け出しはバレなかったのだろうか。いや、ガイならば知られてもそこまで口煩く言いそうにないだろう。無事に帰っているならば、ちょっとの無茶は男の勲章でいいのではないか。
 ユーリは100ガルドを今返そうか少し迷う、ここで渡せばどうしたんだとガイに聞かれる可能性が出てくる。借りた、と正直言っても構わないのだが船内で100ガルド程度を貸し借りする機会はそう無い、となると自然外での出来事となってしまう。
 一応ユーリとしても、あの場で100ガルド借りれたのは本当に感謝している。だからわざわざルークを不利な立場に落としてしまうのは本意ではない。そう考えていると、ルークはじろりと睨み付けて言った。

「別にいいって言ったろ、あれくらい」
「つっても、借りたもんは返さないと気持ち悪いからな」
「一生恩に着るって、お前言ったよな?」
「あ? まあ、言ったけど」
「それでいい。今度その恩で返してもらう」

 ルークは朱金をさらりと翻し、さっさと通り過ぎた。ユーリはそれを胡乱な目で見つめる。
 確かにあの時一生恩に着るとは言ったが、あれは勢いと言うか何と言うか、ただの口上に近い。果たして一体何を要求されてしまうのか、ちょっとばかり面倒に思う。くらいと言うのならば素直に100ガルド、返させてもらいたい。
 だがまあ、あのルークからの要求ならそう大事ではないだろう。予想ではあるが、抜け出す口実に使われるか嫌いな食事を食べろだとかそんな辺りじゃないか。まさか犯罪の片棒を担がされる訳でもないだろうし、一生とは言ったが実際100ガルド以上の仕事をする気はない。
 まあ適当に、その時が来たら考えようとユーリは諦めた。あのケーキはそれくらいには美味しかった、ちょっとの面倒は駄賃だろう。感謝しているのは本当なのだし、程々適当に遊んでやろう。そう決めてユーリはこの件を終わらせ、頭の隅に追いやった。

 後日それが、とんでもない事態に発展するとは露知らず。こんな事になるのならばこの時無理矢理にでも100ガルド渡すか、刀を担保に店主に待ってもらえば良かったと心底後悔したのも、後の祭りと言うものだった。








inserted by FC2 system