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「ごめんなさい、ごめんなさいルーク!」
料理の下ごしらえ作業を一時中断して、ユーリは甲板へシーツを取り込みに出ている。朝に干した分は昼を過ぎた今、風に吹かれて気持ち良く泳いでいた。甲板のずっと前頭部、開けたスペースいっぱいにカラリと乾いたシーツ達をユーリはテキパキと取り込んでいる。
「一緒に取り込むくらいなら大丈夫でしょ」
期待と不安が入り混じってアップダウン中のルークはもうどうにでもな〜れ、という気持ちだ。ダッシュで駆け寄りキッと睨みつけ、一周回ってどもらなくなったのでハキハキと言った。
「手伝ってやるっつーの、感謝しろよ!?」
ユーリの口から礼を言われ、一瞬戻ってぼぼぼ、と頭が止まってしまう。錆びた機械のようにギギギとぎこちなく動き、手を震わせてシーツを取り込み始めた。
「こ、こんなん、カゴ入れるだけだろ……」
畳む、と言ってもベッドシーツは大きくて畳み難い。洗濯したてなのだから床に置いては駄目だろう、空中で畳むには腕の長さが足りないだろうに、とルークは思案した。
「端と端は出来るだけきちんと合わせた方がズレが出にくい。両手で持てるくらいの大きさになったら一度皺伸ばしで、こう……思い切り振って、最後に手で皺を落ち着ける、っと」
パン! と大きく振れば弛んでいる箇所は消え、最後一纏めになったシーツを上から押さえるように手で皺を消していく。するとカッチリと纏まり畳まれたシーツが完成される。ユーリはそれを30秒程でやってしまい、次々と畳んでいく。なんとも手慣れた感、テキパキとした動作はキレを感じさせる。
「なんだ、結構簡単じゃん!」
ばたばた風に揺れるシーツ達の大群は、まだまだ沢山ある。収容人数に負けないくらいのシーツ量を回さなければならないのだから、食事と合わせてかなりの重労働だろう。
「しっかし一枚ずつって、面倒臭いな〜。一気に畳んだりできねーの?」
ルークの素晴らしい提案にユーリの口は引き攣り、敢え無く却下されてしまう。便利になるからいいではないか、と思うのだが……何かまずいのだろうか。ルークが何か提案すると、どこかズレがあるのかよくこうやって微妙な顔で却下されてしまう。最近になってやっとそれが、生活環境からの常識のズレだと分かったが。
となると、ユーリはルークに呆れてしまったのかもしれない。好感度を上げるための行動で下げてしまうとは、ルークは心の中で焦ってしまう。その動揺が腕の動きを鈍くさせ、手に持つシーツをうっかり手放してしまった。
「あ、あ…ああああああっ〜!」
まるでドミノのように、ばたんばたんと倒れていく。タイミングよく強い風が吹き、助けるようにどすんばたんと残っていた半分近くが止める間も無く甲板の床に倒れてぐちゃぐちゃになっていった。
「ルーク!」
慌てたユーリがそのシーツの端を掴み、引いてルークを引き寄せようとした瞬間だ。またも強風が吹き、シーツは耐え切れずビリリと破れルークと共に海に落ちていった。
「あーーっ! シーツがあああああっ!!」
ばしゃん! と飛沫を上げてシーツ数枚とルークは海の藻屑に……はなんとかならなかった。船が停船していた事と、比較的浅瀬だった事が幸いしたのだ。
「こっちはやっとくから、お前シャワー入って着替えてこいよ。そのままじゃ風邪ひくぞ」
鼻水まで出てきてしまい、この状態では他のシーツも濡らしてしまう。まあ倒れた殆どの分は恐らく洗濯し直しだろう、結局ルークは手間を増やしただけに終わった。
離れて一部始終を見ていたジュディスとエステルが出てきて、シーツの片付けに参加している。通りすがった時にジュディスが哀れんだ目で元気付けてくるのが余計に染みて、エステルがフォローのように大丈夫です! と根拠無く励ましてくれる言葉がキリキリと痛かった。
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シャワーを浴びて着替えた後急いで甲板に行けば、流石に3人がかりだったのでシーツの片付けは終わっていた。それにがっくりと項垂れ、ルークは床に膝を突く。今日一日、一体自分は何をしているのか。
「もう気にするな、最初は上手くいかねーもんだ」
そう言ってユーリはルークの手を引き、カゴをリネン室に置いた後ガルバンゾ部屋でルークの髪を丁寧に拭く。ジュディス達は気を利かせたつもりなのか、部屋には帰ってこず二人きり。
あれ、これって随分幸せな展開なのでは……。意識したルークは途端に体が強張り顔を真っ赤にしてしまう。後ろでユーリが丁寧にタオルで一房ずつ水気を拭い、乾かしている。普段自分の髪は乱暴に扱っているようなのに、ルークの髪は殊更丁寧にするだなんて。
ふと目が覚めれば、頬にシーツの感触。ルークはぼやけた頭で目を擦りながら起きれば、ユーリの姿はどこにも無く一人ベッドの上だった。あれ? と思い辺りを見回せば部屋のソファでエステルが本を読んでおり、気付いたのか笑顔を返してくる。
「起きました? ルーク」
また、まただ。緊張に体を強張らせて、気疲れして眠ってしまうとは何たる失態。結局シーツの件も謝る事が出来ず、髪を拭いてくれた礼もせず。もうこれでユーリの中でルークの好感度は2番底へも落ちたのではないだろうか、きっとマイナス振り切っている。
「……もう死にたい! もう死にたぁい!!」
屑の良い意味とはどういうものだろうか。ルークに釣られて混乱するエステルは、屑から離れられなくなり余計にルークの傷口を抉っている。二人無駄に純粋なので、フォローをしようと深く抉ってそれにズタボロになる……という負の連鎖を誰かが止めるまで続ける事になった。
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ジュディスが部屋の前で待っていると、予想より早くユーリが出てくる。その顔は普段皮肉げに口角を上げているのを忘れたように優しげで、ジュディスは顔には出さず心の中でクスリと笑った。
「おい、あんまあのお坊ちゃんで遊んでやるなよ。ああ見えて結構繊細なんだぜ?」
今日一日の事はすっかり見抜いていたのか、黒幕をバッチリ突き止めてユーリは注意する。だがジュディスとしても、気付かれている事なんて最初から織り込み済みなのだ、肝心なのはユーリ側ではなくルーク側だった。
ジュディスと似たような部分があるユーリも恐らく、そういったルークに引き寄せられてつい目線を奪われる。そして気が付けば自分から近寄って深みに嵌ってしまうのだ、まるで罠のように。
「だって、あんまりにも可愛い顔で貴方を熱心に見つめるものだから……焼けちゃったの」
呆れの中でユーリの声は少し固い。珍しく苛ついているのだろう、それはどこから来ているのかジュディスとしても気になる所である。傍から見ている分ではユーリは程よくルークを可愛がり程よく躱している。目立つルークが自分の周りを彷徨いていて、気付かない程間抜けではない。それを態と見逃しているのだから、面白半分関わり過ぎないようにしていたのだと、ジュディスは読んでいる。
「うふふ……怖い顔して。気に入らなければ素直にそう言えばいいじゃない、彼の意地っ張りは相当だけど、貴方も結構なものね」
そう言ってユーリは自分から話を切り上げ、ジュディスを躱す。まだ夕食の仕込みがあるので、食堂に行くのだろう。
食堂の扉前、開く前に背中を向けながらユーリはぽつりと呟く。独り言なのかつい漏れてしまったのか分からないが、ジュディスの鍛えられた聴覚はしっかりと聞き逃さなかった。
「……お坊ちゃんと遊んでやるのはオレだけの特権なんでね」
すぐに扉は開いてユーリは行ってしまう。廊下に一人残されたジュディスは辛抱出来なくなり、失笑してしまった。
「人の恋路を……なんて話は聞くけれど、恋路なんて入り組んで複雑な方が燃えるじゃない?」
反応を返してくれる相手は居ないが、それでも構わずジュディスは言った。からかいついでに蓋を開けてみればなんとまあ最初から、しっかり固まっているではないか。雨降って地固まるを狙ったつもりはなかったが、元々固まっている地面にただの雨が降ったって、彼らの間では隙間も空く気がしない。
ならばあの世間知らずの王子様ではすぐに落ちてしまうかも。いいやもしかしたら案外手こずらせて、ユーリから恋愛相談なんてものを持ち込まれてしまうなんて先があるかもしれない。面白すぎる想像を描き、思わず声は漏れる。 |