桜が咲けば雨も降らない








***

「ごめんなさい、ごめんなさいルーク!」
「いいんだ……どうせ俺料理出来ねーし、当番だってガイとかにやらせてたから包丁なんて持った事ねーし……。ああなる事は当然だったんだよ、予定調和だったんだ……。俺は愚かな奴だったんだよ……」
「ルーク、泣かないで! ごめんなさいごめんなさい!」
「提案自体は良かったんだけれどね……。気にしないで次行きましょ」


 料理の下ごしらえ作業を一時中断して、ユーリは甲板へシーツを取り込みに出ている。朝に干した分は昼を過ぎた今、風に吹かれて気持ち良く泳いでいた。甲板のずっと前頭部、開けたスペースいっぱいにカラリと乾いたシーツ達をユーリはテキパキと取り込んでいる。
 こそりと窺うように、ルーク達。こそこそ話は風が誤魔化してくれているが、ルークの下がっていくテンションは隠しようがない。

「一緒に取り込むくらいなら大丈夫でしょ」
「まだやるのかよぉ……」
「ルーク、少しの失敗で諦めちゃ駄目です。リタも失敗は成功の元って言ってましたよ?」
「あの子が失敗している所なんて、見たことないけれどね」
「ファイトです!」
「ううう、ええいもうシーツくらい俺にだって倒せるに決まってる!」
「倒しちゃ駄目よ、取り込むの」


 期待と不安が入り混じってアップダウン中のルークはもうどうにでもな〜れ、という気持ちだ。ダッシュで駆け寄りキッと睨みつけ、一周回ってどもらなくなったのでハキハキと言った。

「手伝ってやるっつーの、感謝しろよ!?」
「暇なのか、お坊ちゃんは」
「全ッ然暇じゃねーよ見れば分かるだろ!?」
「そうか、暇なのか……。まあシーツの量も多いし、助かるわ」

 ユーリの口から礼を言われ、一瞬戻ってぼぼぼ、と頭が止まってしまう。錆びた機械のようにギギギとぎこちなく動き、手を震わせてシーツを取り込み始めた。

「こ、こんなん、カゴ入れるだけだろ……」
「待て待て、畳んで入れるんだよ、皺になっちまう」
「畳む……?」
「部屋のベッドシーツはいつもピシッとしてて、綺麗だろ?」
「それが普通じゃねーの」
「その普通を維持してるのが、こういったちょっとした作業なんだよ。畳めるか?」
「……お、折れば……いいのか?」

 畳む、と言ってもベッドシーツは大きくて畳み難い。洗濯したてなのだから床に置いては駄目だろう、空中で畳むには腕の長さが足りないだろうに、とルークは思案した。
 ユーリを見れば、お手本を見せるようにゆっくりと畳む。なるほど、地に着けないように折りながら畳むのか。感心しながらルークは見よう見まねで腕を動かす。両端を持ち畳んで、少しもたつくがなんとか出来た。だが完成品を見比べると、どうにも自分のシーツは歪でガタガタに見える。
 見たままやったはずなのに、何でだ? 不思議そうにするルークに、ユーリは苦笑しながら答えた。

「端と端は出来るだけきちんと合わせた方がズレが出にくい。両手で持てるくらいの大きさになったら一度皺伸ばしで、こう……思い切り振って、最後に手で皺を落ち着ける、っと」

 パン! と大きく振れば弛んでいる箇所は消え、最後一纏めになったシーツを上から押さえるように手で皺を消していく。するとカッチリと纏まり畳まれたシーツが完成される。ユーリはそれを30秒程でやってしまい、次々と畳んでいく。なんとも手慣れた感、テキパキとした動作はキレを感じさせる。
 ルークは再度真白いシーツを手に取り、言われた通りに両端をぴたりと合わせながら畳んでいく。一度伸ばして、最後にまた延す。すると今度こそきちんとした、よくロックスが部屋に持ってくるシーツが目の前で完成される。ルークはおおっ! と自画自賛ながらも口元を綻ばせた。

「なんだ、結構簡単じゃん!」
「でもこれを毎日80人分だぜ? ほらほらまだ残ってるから頑張れよ」
「う……確かに」

 ばたばた風に揺れるシーツ達の大群は、まだまだ沢山ある。収容人数に負けないくらいのシーツ量を回さなければならないのだから、食事と合わせてかなりの重労働だろう。
 ユーリはテキパキとシーツを畳み、どんどん物干し台を空にしていった。ルークもそれを習って、遅いながらも畳んでカゴに入れていく。段々とコツを掴んでペースも早くなってきた頃合いだった。飽きてはいないが数の多さに正直な感想をついルークは口にする。

「しっかし一枚ずつって、面倒臭いな〜。一気に畳んだりできねーの?」
「まあ毎日この数じゃな……。そうなると、シーツを畳む機械とかか?」
「ハロルドに頼んだら作ってくれんじゃねーのか」
「どこに置くんだよそんな物。機械を外に雨ざらしする訳にいかないだろ」
「アドリビトム名義で、どっかの土地を購入してそこに置けばいいんじゃね」
「シーツを畳む為だけに機械を作って、シーツを畳む為だけに土地を買うのか……」
「ロックスとクレアも楽になるし、いいじゃん。今度アンジュに言っといてやろう!」
「秘奥義打たれたくなかったら止めとけ……」

 ルークの素晴らしい提案にユーリの口は引き攣り、敢え無く却下されてしまう。便利になるからいいではないか、と思うのだが……何かまずいのだろうか。ルークが何か提案すると、どこかズレがあるのかよくこうやって微妙な顔で却下されてしまう。最近になってやっとそれが、生活環境からの常識のズレだと分かったが。

 となると、ユーリはルークに呆れてしまったのかもしれない。好感度を上げるための行動で下げてしまうとは、ルークは心の中で焦ってしまう。その動揺が腕の動きを鈍くさせ、手に持つシーツをうっかり手放してしまった。
 あっ! と慌てたルークは空を飛ぶシーツにジャンプし掴み取る、が。何も考えず飛んだせいで、着地点を全く考えていなかった。物干し台に景気良くがしゃん! と落ちて倒してしまう。そして前に倒れた物干し台は……不運な事に、前方に並んでいる物干し台に倒れかかっていった。

「あ、あ…ああああああっ〜!」

 まるでドミノのように、ばたんばたんと倒れていく。タイミングよく強い風が吹き、助けるようにどすんばたんと残っていた半分近くが止める間も無く甲板の床に倒れてぐちゃぐちゃになっていった。
 そして運の悪い事に、倒れた物干し台のシーツ幾つかが衝撃で洗濯バサミが飛んでしまい、風に煽られてびゅうっと飛んで行く。ルークの頭は何も考えず、とにかくこれ以上の失態は不味いとそれを追い掛けた。またまたジュンプしてシーツの何枚かをがっしと掴む事に成功する。が、またも着地点を見失っており、今度は物干し台ではなく船体の縁だった。
 奇跡的に片足がそこに乗り、まるでヤジロベエのようにルークはがっくんがっくん揺れる。やばい落ちる、と慌ててバランスを取ろうとしても手に持つシーツが荷重しておりぐらりと揺れた。

「ルーク!」

 慌てたユーリがそのシーツの端を掴み、引いてルークを引き寄せようとした瞬間だ。またも強風が吹き、シーツは耐え切れずビリリと破れルークと共に海に落ちていった。

「あーーっ! シーツがあああああっ!!」
「そんな事言ってる場合か馬鹿野郎!」

 ばしゃん! と飛沫を上げてシーツ数枚とルークは海の藻屑に……はなんとかならなかった。船が停船していた事と、比較的浅瀬だった事が幸いしたのだ。
 ユーリが助け上げびしょ濡れの体とボロボロのシーツを手に甲板を上がれば、後に残るは半分近く倒れている酷い有様のシーツ達。あああ……とルークは自分の馬鹿さ加減にうんざりした。取り戻そうとして倍払うとは、頭を抱える以外やる事が無い。

「こっちはやっとくから、お前シャワー入って着替えてこいよ。そのままじゃ風邪ひくぞ」
「け、けど俺のせいで……!」
「……まあ、手伝おうとしてくれたのは確かだしな、うん。気にするなって、また次頼むわ」
「でもユーリに……くしゅん!」
「ほら、さっさと行って来い。そのボロボロになったシーツもいいから」
「ううう、だって、だってよ〜……」

 鼻水まで出てきてしまい、この状態では他のシーツも濡らしてしまう。まあ倒れた殆どの分は恐らく洗濯し直しだろう、結局ルークは手間を増やしただけに終わった。
 何時もならば例え慣れていなくともここまでの不始末にならないはずなのに、良い所を見せようと張り切ると途端にこんな事になってしまうなんて。何かの呪いだろうか、とルークは責任転嫁をしたくなった。

 離れて一部始終を見ていたジュディスとエステルが出てきて、シーツの片付けに参加している。通りすがった時にジュディスが哀れんだ目で元気付けてくるのが余計に染みて、エステルがフォローのように大丈夫です! と根拠無く励ましてくれる言葉がキリキリと痛かった。




***

 シャワーを浴びて着替えた後急いで甲板に行けば、流石に3人がかりだったのでシーツの片付けは終わっていた。それにがっくりと項垂れ、ルークは床に膝を突く。今日一日、一体自分は何をしているのか。

「もう気にするな、最初は上手くいかねーもんだ」
「ルーク、今度私と一緒に畳む練習しましょう!」
「髪も乾かさず来ちゃうなんて、風邪をひいてしまうわよ」
「だってよぉ〜」
「中に入ろうぜ、髪乾かしてやるから」

 そう言ってユーリはルークの手を引き、カゴをリネン室に置いた後ガルバンゾ部屋でルークの髪を丁寧に拭く。ジュディス達は気を利かせたつもりなのか、部屋には帰ってこず二人きり。


 あれ、これって随分幸せな展開なのでは……。意識したルークは途端に体が強張り顔を真っ赤にしてしまう。後ろでユーリが丁寧にタオルで一房ずつ水気を拭い、乾かしている。普段自分の髪は乱暴に扱っているようなのに、ルークの髪は殊更丁寧にするだなんて。
 こ、こ、こ、これは一種の特別扱い、というやつなのだろうか。浮かれる気持ちに興奮するが、今日は失敗ばかりしているのでこれ以上変な行動を見せる訳にいかない。
 カチコチに体を硬直させ固まり、どんどん精神をすり減らしながらもその至福の時間を……味わったような味わってないような。ルークは1分が1時間にも感じられ、幸福な長い責め苦を味わった。




 ふと目が覚めれば、頬にシーツの感触。ルークはぼやけた頭で目を擦りながら起きれば、ユーリの姿はどこにも無く一人ベッドの上だった。あれ? と思い辺りを見回せば部屋のソファでエステルが本を読んでおり、気付いたのか笑顔を返してくる。

「起きました? ルーク」
「あれ、エステル?」
「今日は頑張ってましたものね、疲れて眠っていたんです」
「あの、ユーリは……」
「ユーリは夕食の仕込みがあると言って出て行きましたよ」
「えええ〜……」

 また、まただ。緊張に体を強張らせて、気疲れして眠ってしまうとは何たる失態。結局シーツの件も謝る事が出来ず、髪を拭いてくれた礼もせず。もうこれでユーリの中でルークの好感度は2番底へも落ちたのではないだろうか、きっとマイナス振り切っている。
 最初の出会いが最悪だったからこそ、評価を上げなければ目の端にも掛けてもらえないのに。自分が自主的に動けばここまで悪い結果しか残らないとはどういう仕組なのだ。
 自分の自己嫌悪と不器用さに、ルークは頭を抱えて咽び泣いた。

「……もう死にたい! もう死にたぁい!!」
「お、落ち着いてくださいルーク! ユーリは全然ちっとも全く気にしてないですよ!」
「俺みたいな屑のやる事なんて屑の役にも立たないって事なんだあああああっ!!」
「ちが、違います! ルークは屑なんかじゃなくって、ええと……もっと立派な屑です!」
「うわあああああああああどうせ俺は屑の中の屑だよおおおおおおおっ!!!!」
「違うんですそういう意味じゃなくって……屑の王様……キングオブ屑で、あの、そのっ!」
「生きてて悪かったよおおおおおおっ!!」
「どうすれば、ええと私が言いたいのはもっと良い意味で……!」

 屑の良い意味とはどういうものだろうか。ルークに釣られて混乱するエステルは、屑から離れられなくなり余計にルークの傷口を抉っている。二人無駄に純粋なので、フォローをしようと深く抉ってそれにズタボロになる……という負の連鎖を誰かが止めるまで続ける事になった。
 消し炭レベルでめためたになり部屋の隅っこで小さくなっているルークは、暫くの間再起不能となるだろう。この様子のルークを見て、流石に静かになっていい事だと言う船員は居なかった。




*****

 ジュディスが部屋の前で待っていると、予想より早くユーリが出てくる。その顔は普段皮肉げに口角を上げているのを忘れたように優しげで、ジュディスは顔には出さず心の中でクスリと笑った。
 ユーリが気付けばバツの悪そうな顔で、しまったと思っているのだろうか。途端に何時もの表情に戻るのだから勿体無いような、それとも専用なのかと勘ぐりたくもなる。

「おい、あんまあのお坊ちゃんで遊んでやるなよ。ああ見えて結構繊細なんだぜ?」
「あら、分かってるわよ。だから荒療治をしているのでしょう?」
「ジュディ……」

 今日一日の事はすっかり見抜いていたのか、黒幕をバッチリ突き止めてユーリは注意する。だがジュディスとしても、気付かれている事なんて最初から織り込み済みなのだ、肝心なのはユーリ側ではなくルーク側だった。
 ちょっと背中を押せば馬鹿正直に乗せられて、表で見せる態度を捨ててしまう。きっと余裕を持てないせいで殻を被る事すら忘れているのだろう、なんて可愛い王子様だとジュディスは堪らない。
 最初は面白半分だったが、見ていると自然に助けてやりたい気持ちにさせる。それがルークの特性というか、魅力なのだろう。

 ジュディスと似たような部分があるユーリも恐らく、そういったルークに引き寄せられてつい目線を奪われる。そして気が付けば自分から近寄って深みに嵌ってしまうのだ、まるで罠のように。
 ユーリは呆れた様子で、ジュディスは分かっていながらもくすりと笑って答えた。

「だって、あんまりにも可愛い顔で貴方を熱心に見つめるものだから……焼けちゃったの」
「だからってあんまりやり過ぎるなって、泣いたらライマの奴らから苦情が来るぞ」
「その時はユーリにお返しするわ、役得でしょ?」
「ああ、全く有り難くって涙が出てくるね」

 呆れの中でユーリの声は少し固い。珍しく苛ついているのだろう、それはどこから来ているのかジュディスとしても気になる所である。傍から見ている分ではユーリは程よくルークを可愛がり程よく躱している。目立つルークが自分の周りを彷徨いていて、気付かない程間抜けではない。それを態と見逃しているのだから、面白半分関わり過ぎないようにしていたのだと、ジュディスは読んでいる。
 だが今日一日のあからさまな操り人形に、ユーリは気分を害したのか。もしくは黒幕が気に入らないのかそれとも自分の意思ではなかったルークが面白くなかった……、そこまではまだ読めない。
 ガルバンゾからのギルドメンバーとしては初めて見る顔に、ジュディスは楽しくなってしまう。

「うふふ……怖い顔して。気に入らなければ素直にそう言えばいいじゃない、彼の意地っ張りは相当だけど、貴方も結構なものね」
「やれやれ、言ってろよ」

 そう言ってユーリは自分から話を切り上げ、ジュディスを躱す。まだ夕食の仕込みがあるので、食堂に行くのだろう。
 やはりこちらは大人の卑怯を持ち合わせている分、簡単にボロは出してくれそうにない。あらあら……とつい微笑んでしまうジュディスに、ユーリは肩を竦めながら歩く。

 食堂の扉前、開く前に背中を向けながらユーリはぽつりと呟く。独り言なのかつい漏れてしまったのか分からないが、ジュディスの鍛えられた聴覚はしっかりと聞き逃さなかった。

「……お坊ちゃんと遊んでやるのはオレだけの特権なんでね」




 すぐに扉は開いてユーリは行ってしまう。廊下に一人残されたジュディスは辛抱出来なくなり、失笑してしまった。

「人の恋路を……なんて話は聞くけれど、恋路なんて入り組んで複雑な方が燃えるじゃない?」

 反応を返してくれる相手は居ないが、それでも構わずジュディスは言った。からかいついでに蓋を開けてみればなんとまあ最初から、しっかり固まっているではないか。雨降って地固まるを狙ったつもりはなかったが、元々固まっている地面にただの雨が降ったって、彼らの間では隙間も空く気がしない。
 しかし焚き付けた効果は多少なりともあったようだ。他人にちょっかい出されるのをうっとおしく感じただろうユーリが、本腰を入れて動くのも時間の問題だ。

 ならばあの世間知らずの王子様ではすぐに落ちてしまうかも。いいやもしかしたら案外手こずらせて、ユーリから恋愛相談なんてものを持ち込まれてしまうなんて先があるかもしれない。面白すぎる想像を描き、思わず声は漏れる。
 どちらの未来にしろ、そう遠くないだろう。今から楽しみだわ、そうジュディスは人差し指を頬に添えて騒がしい日常を予見した。








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