ラプンツェルの棺








1
「エステリーゼ様、どうかされましたか」
「……え、何がです? フレン」
「先程から浮かない様子でしたので」
「いやだ私、そんな顔してましたか」

 夕食後の部屋で、フレンとエステルの何気ない会話にユーリは耳を傾けた。確か最近のエステルの様子で、目に見えて悩んでいる様子は見受けられなかった。なのに今こうしてフレンが声をかけると言う事は、それなりの症状があったのだろう。エステルの異変に自分が気付いていなかったというのは癪だが、フレンならば仕方ないとも思えてしまう。それは頼りになる親友であり、ここではエステルの騎士たろうとしている彼を知っているからでもある。

「なんだよ。ジルディアの牙か?」
「世界に向けられた牙が増え、三本に……。由々しき事態ではあります」
「もちろんそれも気掛かりなのですが……」
「ん? 牙の事じゃないってんなら、なんだよ」
「ええその、ナタリアの事なんです」
「ナタリア様ですか? 何かありましたか」

 ナタリア・L・K・ランバルディア。テロから避難した王家のご令嬢は、この船で再開した予想外の顔ぶれに喜んでいた。エステルの友人として、近しい立場に立つ者同士二人、頻繁にクエストや依頼を共にし交流を深めている。
 ガルバンゾと比べれはそこまで大国ではないライマではあったが、その分王族と国民の距離は近くナタリアは特に国民寄りに立つ事でその意識と人気を高めている。

「テロから暁の従者は手は退いたものの、牙の出現で未だライマでは混乱の中にあるらしいんです……」
「せっかく収まってきた戦乱が逆戻りですからね、ナタリア様の心中も穏やかではいられないでしょう」
「けど今はどうしようも無いだろ」
「ええ、普段はナタリアもそんな顔はしないんですが、アッシュが……」
「アッシュ様が?」

 ライマ国の未来の王と呼び声高いアッシュ。苛烈ともとれる高貴かつ気高い精神は、子供が多いこのバンエルティア号では些か浮いていた。だがライマの現状が不安定であり、避難するしかないその身として歯がゆい思いを募らせているのだろう、逆に安堵できる未熟さだと大人達からは好意的に受け止められている。
 そしてナタリアとアッシュは信頼が強い。ヴァンとアッシュの二人が乗船した時、迎えたナタリアの様子は恋仲と思わせても過言では無い雰囲気であった。それは夢見がちな女子供から見れば”ライマの後継者”か”未来の王と王女”といったロマンティックな噂話を広めるに充分な話種でもある。アッシュ本人は否定していたが、それがまた噂を強める原因にもなっていた。

「アッシュが不安定になっているらしくて、ナタリアがとても心配していたんです。……イライラしていると」
「アッシュは何時でもイライラしてるじゃねーか」
「ユーリ! 確かにアッシュ様は普段から少し切迫していましたが……それをナタリア様の前には見せない様にしておられるみたいでした」
「そうなんです。だからこそ、その見栄を張れないような精神状態なんじゃないかって心配していました」
「ふーん?」

 ギルドの仲間として、ユーリ自身は気にしていても踏み込み過ぎないように気を付けている。
 だが友人として、決して他人事ではない立場としてエステルはナタリアを心配していた。エステルが気にかければ、フレンも釣られて気にする。二人がそちらに行くのならば無視できないのがユーリ・ローウェルだった。


 そんな事があったのが、先日――
 クエストで軽傷を負い、フレンに口煩く注意を受けて渋々医務室へ向かったその帰りだった。

「何時まであのままにしておくつもりなんだ!?」

 責め立てるような激しい叱咤。立ち聞きなんて趣味の悪い事はしたくないが、薄手に空いた扉の隙間から勝手聞こえてくるのだから仕方がない。ユーリは気配を薄めて足を止めた。

「まだ準備が整っていません。ヘタに動けば感づかれてしまいます」
「お前は毎回そう言ってばかりで結局動かないだろう! グズグズしてるとそれこそ手遅れになりやがる!」
「急いては事を仕損ずるとも言いますよ? 此方が重要視しているということを知られてしまえば、それこそどうなってしまうのか予想ができません」
「このままでライマの復旧すらできるものか! 敵の手元にあるという事実が問題なんだろうが」
「その点は十分理解していますよ。だからこそ万全を期す必要があるのです。それはあなたが一番分かっているはずですよ? 後もう少しの辛抱です。聞き分けて下さい」
「クソが! お前たちは結局いつもそれだ! 俺の時も、あいつの時もな! ……もういい!」
「勝手な行動を取る前に、ご自分の身分とその結果を熟思してくださいね」
「……チッ!」
「あなたに何かあれば、ナタリアと彼が悲しみますから」
「うるせぇ、分かってる!」

 肩を怒らせて部屋から出たアッシュが、ガン! と忌々しそうに廊下の壁を殴りつける。こんな所をアンジュかチャットに見られれば説教だけでは済まないだろうに、普段なら分かりそうなアッシュの冷静さが奪われていることを伺わせる。
 医務室から出てきたユーリに顔を向けることなく、エントランス側へドスドスと足音荒く出て行った。

「荒れてるな」

 これは確かに、エステルの言うとおりだった。元々短気な所はあったが、これでは触れては破裂してしまいそうではないか。ナタリアが心配するのも無理はない。だがアッシュの心痛の原因が国内情勢だとすれば手伝える事などそう有りはしない。むしろ無国籍を歌うこのアドリビトムとしては、手伝えない件でもある。

「立ち聞きとは関心しませんね」

 静かな廊下に響く低音が、思い当たる事も無いのにギクりとさせる。声だけで人を警戒させるのだから大したものだ。

「そんなつもりは無かったんだがな。……偶々だって」
「それは不運でしたね」
「ああ、それじゃオレはこれで……」
「偶然でも聞いてしまったからには、少なからず心を留めておいていただけませんか?」

 表情を隠すように眼鏡のブリッジを上げる様はわざとらしい。得も言えぬ雰囲気に何となく自分は面倒事に足を突っ込んだことを悟るユーリだった。

「オレはアドリビトム程何でもかんでも首突っ込む物好きでもないぜ」
「分かってますよ。聞き流す程度で構いませんので」

 何時もの何を企んでいるのか分からない顔で、妙に脅されている気がしてならない。しかしユーリとしてはそこまでジェイドを脅威だと思わないし、アッシュに義理も無い。だが先日エステルからナタリア経由で零していた件でもある。自分の身近な者が動けばぶつくさ言いながらも放っておけないのがユーリであり、それを自覚していたからこそあやふやに言葉を濁して肩を竦めた。

「ナタリアが居れば、アッシュもそれなりに思慮深くはあるのですが・・・。事一件に関してはタガがハズレますのでね」
「ライマの国内の事ならどうする事もできねーぞ」
「ライマの事ではありますが、違うとも言えます。アッシュにしてみればもっと近い話ですので」
「その件ってーのを説明するつもりは?」

 今度はジェイドが両手を上げて肩を竦める番だった。とりあえず気にしておけ、という事らしい。体の良い保険だろう。ユーリとしてもあまり頼りにされても困るのだし、ただ留意するだけだと自分に言い訳した。

***

 次元封印が明日にでも完成する。その事に船の大人達からも僅かな安堵の雰囲気を感じ取る夜刻、機関室のエンジン音に紛れる様に囁かれる密約姿をユーリは目に止めた。すずとアッシュ、普段からは余り近づかないだろう組み合わせのはず。だがすずの裏の顔を知っていれば、漂う緊張感からただの仲間同士の会話とは到底思えなかった。先日からアッシュの名前を数度耳に入れている側としてより確信を強める。

「……、…………」
「…………。…………」

 では今夜。重低音が常に響くこの機関室で囁き声など聞こえるはずは無い。なのにその一言だけは嫌にはっきりと聞こえた。プシュ、とアッシュが出て行ったドアの音すら聞こえなかったのに何故そこだけ。不自然にならぬよう反対側の通路へ通り過ぎたユーリの中は、やっぱりこうなっちまったかと些か諦めにも似た感情に支配された。





 輝く月が雲掛かり、夜半以上に闇が深まる甲板にその姿は現れた。明日にも次元封印が施される事になり、街の近くに停泊していたバンエルティア号は移動用エンジンをスリープさせている。お陰でさざ波も合わせて耳通り良く、潜めた足音もよく捉えられた。

「未来のライマ王様とあろう方が、夜遊びたぁ感心しねーな?」

 闇色に融けるユーリの顔を目視し、アッシュの普段から刻まれている眉根により深い皺が入る。ユーリとしてはここ連日彼の名前を聞いているが、アッシュ側としては未だ”同じギルドのメンバー”の域を出ていないだろう。

「深夜のクエストって様子でもないようだし……。アンジュは承知してんのか?」

 信心深い恐怖のギルドマスターの名前を出せば返事だと言わんばかりに舌打ちが聞こえてくる。やはりジェイドの言っていたように「事一件」に関しては冷静さを失っているらしい。ユーリは苦笑した。
 その苦笑が気に触ったらしい、イライラした声色で、だがどことなく沈めた音量で言い返した。

「いいから見逃せ。この件はアドリビトムには関係ねぇ。ライマの……、いや、俺の私用だ」

 言い直して、こりゃライマの誰にも言ってなさそうだ、と当たりをつけた。そして同時にナタリアに関する事以外でアッシュの口から私用と出たことで、ただ単に国を想って先走りしているだけではないと思わせた。
 多少の無茶でも覚悟を決めているのならばユーリとて止めるつもりはない。だが片足を突っ込んでいる今の状態で全くの素通りというのも後ろ髪を引かれる。どうしたものかと思案したその時、アッシュと違って完全に気配を消しているらしかった同行者が声を掛けた。

「アッシュさん、ユーリさんにも同行してもらってはどうでしょうか」

 すずだった。それは夕刻機関室で密会していた事から協力関係にあるだろう事は読めていたが、この場に現れるとは予想外でもあった。

「だが……」
「約束は今夜ですし、ここで時間を取られるよりは助力を求めたほうが建設的かと思われます。幸いユーリさんの戦闘は裏方向きですし」
「そうだな。初めから時間をかけるわけにもいくまい。丁度1枠空いている事でもある。それにユーリもただ止めにきたという訳ではないだろう」

 すずと同じ様に闇色から抜けだして現れたクラトス。二人からの持ちかけでも、アッシュは渋面を止めない。何をどう天秤にかけているのかは知れないが、恐らく今日の行動を止めるという事はないだろう。
 ユーリはといえば、現れた二人に少々面食らっていた。アドリビトムに置いてもこの二人の立ち位置は少々異色だ。本来どちらかといえばユーリもこの二人側に立つ身として、アッシュがしようとしている件は余程の厄介事なのだろう事を悟った。

「おいおい、勝手に話を進めないでもらえるか?」
「……チッ! いいから付いて来い。どうせジェイドから言われているんだろうが」
「まぁそうだがな、オレは聞いただけで返事をしたつもりは無いぜ」
「あいつに手球を握られたお前が悪い。こっちは時間が無ぇんだ、グズグズ言わずに来やがれ。それが嫌なら黙って通すんだな」

 イライラが収まりそうにないアッシュを放っておいて知らぬ所で無茶されるより、手間面倒でも巻き込まれてしまった方が自分の気が済むかもしれない。そう結論付けて結局ユーリは溜息と共にその足を進めた。



 下船後の町外れに、塗装を黒く潰した馬車がアッシュ達を待っていた。無言でそれに乗り込むアッシュに習い、すず達も乗り込んだ後訓練されているのか音静かにゆっくりと走り出し、その景色を飛ばしていく。
 どことも知れない森の中に入りはじめ、重苦しい雰囲気が馬車の中に流れる。だがなんの説明も無いままなのはどうなんだとユーリがわざと空気を切って聞くも、アッシュはそれをジロリとひと睨みして素気無く無視を決め込む。予想していたとは言えその通りなのは今回は流石に困る。ユーリは残りの二人に視線を流すも、すずは首を横に振り、クラトスは分かっているようなただのフリなのか判断つかない表情のまま腕を組んでいた。

「あんた達は詳しい話聞いてんのかよ?」
「今回は傭兵として契約している」
「一応護衛とは聞いていますが、里を通して依頼されましたので詳しくは知りません」

 こんな時だけアドリビトムのノリが強い面々を羨んだ。ヘタに世間慣れしているというか、他人の事情に深く突っ込まないすず達ではこういう時無理矢理にでも聞き出すという行動を取らない。大人しくこのまま馬車に乗っていればその内分かるだろう、そう諦めたユーリは深く座り直し流れる景色を見送る事に決めた。









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