目覚めのラプンツェル








 ジルディアと共生を始めて暫く、還っていたディセンダーがバンエルティア号に帰ってきた。それを皆笑顔で出迎え、再会を喜び合う。それらを噛み締めて、ディセンダーはエントランスホールへと出戻って視線を止めた。
 ホールの端にあるものの、そのあまりの大きさと異質さに隠れてもいない。人間2人分は余裕で入りそうな、違和感だけを垂れ流す大きく黒い棺。以前アッシュが持ち帰った、アッシュの双子の兄が眠っていると言う。
 持ち帰った当初ジェイドが雰囲気だけでも相当怒っていたが、半分こうなる事も予想していたのか直ぐに諦めた。しかし置くにしてもこの棺、規格外には大きすぎて倉庫にも入らなかった。散々議論して、結局一番場所の余裕があるホールへ置く事になったのだ。毎日これを目の前にするアンジュの心境はいかに、だが案外本人は気にしていないようだった。
 バンエルティア船内では異質すぎるこの異邦者はすぐに話題になり、始めの頃は見物人もしょっちゅうの賑わいを見せていて、その度にアッシュが額に血管を浮かべて散らしていた。しかしそれも順応性が異常に高いアドリビトム船員、結局この棺が開かれる事は無かったので暫くすれば興味も薄まって今では閑古鳥だ。
 ライマの人間は今でもこれを見ては思案に沈んでいる姿が、特にアッシュはここに居る時間の方が長いのではないかと思われる程通っている。後々合流したガイもちょくちょく姿を現して、どこか物騒な空気を背負っている姿を目撃されていた。

 一体この棺が開かれるのは何時か。誰かが聞いたが、ジェイドはただ首を振るだけ。中の人間は眠りっぱなしで大丈夫なのかという疑問は、この巨大な棺がそれ専用の魔法具となっている事で解決している。
 よくよくうっとおしい空気を背負ってホールで拝むよりは、さっさと開けてしまえばいいのにとは他人の言葉だ。ルミナシアの危機は脱したが、結局この棺だけは未だに何も変わっていないままだった。

 ディセンダー自身も、この棺には視線も興味も奪われている。だが奇跡の力を持ってしても開く事は無かったし、ライマから手伝いの依頼は無かった。なので毎朝、エントランスで返ってこない一日の挨拶をするのが習慣化している。
 久しぶりに帰ってきた今日もそれは例外ではなく、とことこ近付いて棺の傍にちょこんと座り込む。そこに後ろから、声がかかった。

「よぉ、帰ってたんだな」
「ユーリ、うんさっき。今この棺にも挨拶しようとしてた所」
「なんつーか、今じゃすっかり仏像か何かになってないか? この中に人間が入ってるなんてあんま想像つかないな」
「それ、アッシュに聞かれたら切りつけられるよ」
「実際切りつけられた、あいつマジでこれに関しては沸点ゼロだわ」

 ユーリは苦笑しながら肩を竦める。この棺をテロリスト達から取り返した時同行していたという話はそれなりに広まっていて、クラトス達よりかは聞きやすいのか質問が集中していた。だがユーリもそうペラペラ口を零す方でもない、結局有耶無耶に巻かれて語られる事は無かった。
 改めて、ディセンダーは帰還の挨拶を棺に向けて述べる。ここまでずっと一緒だと、共に過ごした仲間の一人だ。物言わぬ道具達に感謝、というには少し失礼かもしれないが、この中身を見た事の無い人間からすればこんなものだった。

「お久しぶり、今帰ったよ。これからもよろしく、何時か一緒に依頼行ける日を待ってるから」
「……本当に開くのかね、この棺。中身腐ってないよな?」
「さあ、ジェイドはライマの国家予算半分以上を使って作った物だから大丈夫って言ってたけど」
「国家予算半分以上使って、なんで人間一人を眠らせる棺なんか作ってんだって話だけどな」

 実際、どうしてアッシュの双子の兄が眠りに就いているのかという疑問には答えてもらっていない。国家機密です、そうにこりと笑っていない顔でジェイドに追い返されて終わっている。
 ディセンダーはふと考え、おもむろに手を掲げて力を使い出した。ぼぅ、と柔らかな光が体から発せられ、それが棺全体に広がる。

「おい、何やってんだ」
「世界樹から帰ってきたパワーでどうにか出来ないかな、と思ったんだけど。やっぱり無理だった」
「勝手に開けたら怒られるんじゃないのか?」
「そうなんだけど、前にナタリアがここで泣いているのを見たから。……なんとかできないかなと思って」
「そりゃ、本人目が覚めて出てきてくれりゃ一番いいんだろうけどよ」

 せっかく世界が救われたのに、辛気臭い顔で何時までも暗雲背負うよりはいっそパンドラの箱でも開けてやろう。そうディセンダーは考えている。恐らくライマの都合が色々あるのだろうが、アドリビトムの仲間として見れば悲しませるくらいなら自分が悪者になっても構わないと思ったのだ。
 だが結果はやはり虚しく、棺は変わりなく静かだ。やはり駄目か、分かっていても落胆するディセンダーにユーリは慰めるように肩を叩く。

「ま、その内開くんじゃねーの? ずっとここを占領されてちゃ、アンジュとしても困りものだろ」
「そう、だね。アッシュのお兄さんに直接挨拶したかったんだけど、残念」
「そう落ち込むなよ。どら、帰還祝いにオレがなんかデザート作ってやるぜ、特別にな」
「ユーリのスイーツは絶品だから、それだけでも帰ってきた甲斐があるね」
「そんな褒めてもなんもでねーよ」

 そう笑い、立ち上がって歩こうとしたその時だった。がたり、突然の物音を耳に留める。不思議に思ってディセンダーはキョロキョロと辺りを見回すが、特に何もおきていない。ユーリものその物音を聞いていたのか、眉を潜めている。
 だがやはり、入り口からは誰も入ってきそうにないし、カウンターのアンジュはせっせと書類を片付けているまま。気のせい? と笑って済ませようとした次の瞬間、足元から魔法陣が4重の光を重ねて発動し始めてた。

「え、ええっ!?」
「おい、お前何したんだよ?」
「知らないよ、っていうかこれ多分、棺から!」
「ちょ、マジかよ!」

 棺の中心から展開された赤・青・緑・黄の魔法陣が順々に、千切れるように解けている。ばらばらと刻まれて組み代わり、光の線となって一つの大魔法陣を描いていく。その光を棺は吸っていき、文様を刻んで取り囲む。円の端から光が消えていき、その全てが棺に取り込まれる頃には、漆黒だった色の影も消えていた。
 棺全体が光に包まれている。そのあまりの発光量に眩しく、ディセンダーもユーリも目を開けていられない。アンジュが慌てて駆け寄り、眩しそうに目を覆って叫んでいる。

「ちょっと、どうしたのこれ!」
「わかんない、なんかいきなり……!」
「とにかく、ライマの誰か呼べ! ジェイドかアッシュか!」

 誰かを呼ぶ、その前に蓋はついに開かれた。魔法プログラムか何か働いているのか、誰の手も借りずゆっくりと蓋が上がっていく。消えた光の量以上に中には光が詰まっており、何かの形は伺えるが真っ白にぼやけて不明瞭だ。
 がたん、ついに蓋は完全に開かれて傍へ落ちる。けれどまだ中身ははっきりと分からない、人間が本当に居るのかさえ。それが詰まっていた光の粒がぶわりと舞い飛んで、蛍のように上がった。しかし天井に到達する頃には消えてしまう。

「あ、」

 ディセンダーが顔を下げた時、棺の中身は暴かれた。白い内張りびっしりに、魔法文様が刻まれて絶えず光が走っている。色とりどりの花が、恐らくこの蓋を閉じた時とそのままに瑞々しい形で敷き詰められていた。その花の絨毯に、一人の人間。
 アッシュの双子の兄だと言う。その造形は確かに瓜二つに見えるが、生きて喋っている本人を知っているのでどこか違和感。この未だ瞼の開かない人間が目覚めても、とても眉間に皺を刻んで怒鳴る姿が想像出来なかった。人間というよりか、作られた人形と形容した方が正しく見える。魔法の光は肌を透かしていっそ不気味に浮き上がらせ、棺桶に青白い死人が礼儀正しく眠っているようだった。
 真紅と言うよりも薄い、朱色の頭髪が花に埋もれて散っている。それはやたらと長く、股下まであるのではないかと錯覚させた。真一文字に唇を結び、刻を拒絶するように瞳を閉じている。腹の上で組まれた両手のせいで、余計に死人らしく見せていた。

 ディセンダーは意を決し、棺傍に跪いて窺う。ゆっくりとだが恐れず、指先を慎重に、吐息のように頬へ触れた。
 赤みも無く息も感じられない、人間では無く死体か人形だと言ったほうがそれらしい。だがぴくりと、ディセンダーが一呼吸している隙に朱い瞼が揺れる。幻かと目を擦り、次に開ければそこには人間が居た。

 すう、と細いが呼吸音。それに合わせて胸がゆっくりと上下して、頬にはみるみるうちに生気が満ちていく。人間の形をした何かが、次の瞬間には人間そのものになっている。ディセンダーはその不思議な光景に釘付けになった。

「あ、……ライマの誰か呼んでくるわね!」

 後ろの二人も同じように奪われていたが、アンジュはハッと気が付いてホールから出た。ライマ部屋はすぐそこだ、すぐに戻ってくるだろう。ユーリも同じようにしゃがみ、ついに開かれた秘密の中身をまじまじと見つめる。

「……本当に、眠ってたんだな」
「これ、目は覚めないのかな? 折角開いたんだから挨拶したい」
「寝起きはちょっと厳しくないか? 何せ7年なんだろ、寝坊にも程があるぜ」
「スタンやカイルでも勝負にならないね」

 そんなどうでもいい事を言っている間、見た目頑なそうに閉じられた瞼に一線が引かれる。それに二人は慌てて、棺に齧り付いて黙る。人形が人間に、人間が名前を持った人になっていく。その世紀の瞬間を刹那見逃すまいと瞬きも忘れてじっと待つ。

 若い翠色が水分を含んで、万華鏡のようにくるくると光源を煌めかせている。丁寧にカットされた宝石のように四方八方からハイライトが散って、瞼が上がっていくごとにその色を変えていく。
 やっと上まで持ち上がり、開かれたはずの瞳にはまだ意志を映さない。ガラスの眼球のように無機質で、機械的に二人を反射させただけ。これが彫刻か美術品だと言われれば、大枚を叩く人間がいくらでも現れそうだった。しかし有機と無機が混ざり合うこの彼は息をしているだけで不自然に、固まったままの手足が自然に見える。

「……生きて、るんだよね?」
「でなきゃアッシュがあそこまで必死にならねーだろ」

 その単語をユーリが口にした瞬間、棺の中の手が突然動き出してユーリの黒髪を掴んだ。がし、と痛いくらいに強く。いでで、とユーリが言えば遠慮したのか緩まるが。
 ユーリは何に反応したのか一瞬分からなかったが、アッシュの名前か、そう至って納得する。筋肉の削がれた腕を掴むが、体温は低い。手首の動脈もぎりぎり辿れる程度に弱く、目を離したら次にはまた人形か死体に戻っているのではないかと不安にさせられる。
 7年分、眠っていたというのだから骨と皮なんじゃないかと想像していたが、思っていた以上には肉は残っている。これも国家予算半分を削った棺のお陰なのか、ユーリはなんとか記憶を辿って目の前の人間の名前を思い出した。

「えっと確か……。ルーク、だっけ?」
「……、」

 それにはっきりと反応して、ルークの口が薄く開く。ゆっくりと空気を食み、流石に声は出ないのか何か言いたそうだ。唇が動けば動くほど、人間になっていく。昨日までは棺で、開いた瞬間は死体、目を開いて人形、その進化の過程をユーリは感嘆の面持ちで見つめた。
 声を聞いてみたい、そう二人が思った次には希望を少し外れた声がエントランスに響く。

「兄上!」

 静かな場を一気に、感情が爆発した業火が噴く。アッシュが必死な顔で現れ、腕を握っていたユーリとディセンダーを蹴飛ばした。

「ってえ!」
「アッシュ、乱暴!」
「馴れ馴れしく触ってんじゃねぇ馬鹿が!」

 中々の暴挙だが、ユーリはネジの飛んだアッシュは初めてではない。むしろ噴火して当然だろうとは予想していたが、本当にその通りになった。
 アッシュは棺の縁に縋り付き、泣きそうに怒っている顔をぐしゃりと潰す。恐る恐る手を伸ばし、置いてけぼりになっているルークの手の平を取った。初めに手首の脈を撫でて、親指で皺を辿りながら手の線をなぞっていく。指の付け根に触れて、アッシュはその手を絡めてしっかりと握った。

「兄上、……本当に」
「、…………」

 アッシュの絞りだすような掠れた声に、ルークはぱくぱくと唇を象って答えている。それを見て、アッシュは本当に今直ぐ泣き叫ばないのが不思議なくらい顔を崩した。その様子を、蹴り飛ばされた二人は崩れたまま傍観している。ユーリは特に、感動の再会だと知っているので邪魔をするつもりがない。声をかけたそうなディセンダーを引き止めておくくらいしか、今できる事が無かった。

「これは、……驚きました。予定では後3年、開くはず無かったのですが」
「ジルディアと共生した事によって、術式に綻びが生まれたのかもしれぬな」

 フレームを上げてジェイドとヴァンが現れる。二人の驚いた顔はそうお目にかかれる事が無い、そのままこの事態の異常を現していた。

「究明は後にしろ、今は兄上だ」
「ええ、分かっています。では医務室を借りましょう、あそこで正式に解凍した方がいいでしょうね」
「そうだな。では私が運ぼう」
「いい、俺がやる」

 ヴァンがルークを運ぼうと前に出るが、アッシュはきっぱりと断り、ルークの背に腕を入れて起き上がらせる。双子であって同い年のはずだが、7年分眠っていたルークはやはり軽いようだ。さほど労せずアッシュは横抱きで持ち上げ、しっかりと抱きしめた。
 ルークの髪に絡まった花がぽろりとこぼれ落ちて、足跡を付けていく。その長髪は不思議な色合いで、毛先になるほど薄まって金色に輝いている。

 アッシュはユーリとディセンダーを一目見る事も無く、ルークを大事そうに抱えて廊下へ消えた。ヴァンもそれに続いて出るが、ジェイドだけは二人に向き直って寒気を感じさせる笑顔で告げた。

「何をどうやってあの棺を開けたのか、後でたっぷり聞かせていただきますから。逃げないでくださいね?」
「……あ、はいすいません」
「なんで先に謝ってんだよお前は」
「後たった3年だったんですが……。まあ今までアッシュが保っていた方が奇跡だったのかもしれませんね」
「7年ぶりなんだろ? しょーがないんじゃないの」
「いえ、あの二人が顔を合わせるのは14年ぶりですよ。……では失礼します」
「え、おいどういう意味……!」

 ジェイドはユーリの声を綺麗サッパリ無視して、さっさと出て行ってしまう。伸ばした手は虚しく、閉まった扉に拒絶された。ユーリは納得いかなそうに眉根を寄せて扉を睨んでいる、それを隣でディセンダーは溜息を吐くしかない。
 噂の双子の兄、ルーク・フォン・ファブレ。散々話題と興味をさらって、今度もまた船内の噂を独占するだろう。その嵐が一体何を持ち込んでくるのか、実際の所ライマからはまだ話の角程度しか公表されていない。国家機密が絡んでいると言われれば強制できないが、仲間なのだから手伝わせてくれたっていいのではないかとディセンダーは思っている。
 取り敢えず、船内に在籍する以上次に会える機会もあるだろう。恐らくアッシュが離れないだろうが、それはそれで面白いかもしれない。そう期待に胸膨らませて、ディセンダーはその時を待った。








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