コン、コン、コン、コン――。ブーツの先が床を一定のリズムで叩く。その音に向かいのジュディスはクスリと笑い、隣のフレンは溜息。つい5分前、行儀が悪いと嗜められたのをもう忘れている。だが最近毎日こんな調子で、大概重症だった。もう今更仕方がないんじゃないかしら? そうジュディスがフレンに目で言うが、放置する訳にもいかない。
「いてっ。何すんだよフレン、痛ェだろ」
やれやれ、とわざとらし気なポーズで肩を竦める。何だよ、と当人の視線が言いたげに流れてきたが、二人は言葉にはせず目で会話した。 「海かぁ、そう言えばルークは海入った事ないんだっけな」 「プールでいいじゃない、あまり外に出るのはどうかと思うわ」
食堂のテーブル一角で、わいわいと騒がしい。その中心は相変わらず人騒がせなライマの王子様で、それを嗜める従者二人、いつもの様子だった。それが今日は少しばかり風向きが違うようで、よく通る声と一緒に静かな味方が居る。
「海ですか……。遠目で見る事はあっても実際入った事無いです」
言い出しっぺのルークと、目をキラキラさせ始めたディセンダー。ガイは否定しないが肯定もせず頷いて、ティアにギロリと睨まれている。
「毎日毎日、触手やら鉱石やら葉っぱやら集めて、ディセンダーもちょっとは休暇ってもんが必要だって! また前みたいに倒れても良くないだろ」
自分に正直な欲望に、ディセンダーという味方を付けてルークは行く気満々のようだ。ディセンダーが毎日働きっぱなしというのはギルド全員が知る所である訳で、ルークの言い方はともかく海に行く、という提案自体は見通しが明るそうな話。このまま食堂で話していれば自然人が集まって、おそらく数日で話が纏まるだろう。子供が多いこのギルドで、楽しそうな案ならば広がるのも早い。特にディセンダーが言っているとなれば、大人達もそれに合わせてくれるだろう。
「この後クレス達と火山に行くんだろ? 髪邪魔にならないようにしといたからな、ちゃんと水筒忘れずに持っていけよ」
そうルークは大口を叩いて、ガイは苦笑しながらそれを聞いていた。グミはボトルはハンカチは? まるで母親のような姿に、それを外から見ている人間の笑みを誘う。もう少しすればルークが爆発するか、聞き飽きたと言って逃げ出すかのどちらかだ。
立ち上がり、ぞろぞろと食堂を出て行くルーク達。足取りの軽さで相当浮かれている姿が知れ、なんだか微笑ましかった。そうフレンは思ったのだが、隣は違ったらしい。
フレンはユーリが苛ついている原因が、恐らくルークなのだろうと予想していた。元々あの二人は反りが合わないらしく、顔を合わせては言い合いに発展している。だがフレンから見てルークは、ユーリが嫌う貴族像に当て嵌まっているように思えない。
「あー、食事と着替えと戦闘と風呂と散歩の世話してぇ」
リリスがニコニコと、大きなカゴに山盛りのインゲン豆を目の前にドンと置く。得も言えぬ迫力の笑顔で、お玉を握り締めている。ユーリの無作法を地味に怒っているようだ。フレンとジュディスは立ち上がり、そそくさと逃げ出す。おい待てよ! と慌てたユーリの声が追いかけるが、無視した。
「彼、そんなに世話好きだったかしら? ガルバンゾのギルドではむしろ逆だったのに」
イキイキと野菜を収穫する親友の姿が容易に浮かんで、フレンの肩は沈む。”世話し足りない”という謎のストレスをどうやって解消させようか、親友というよりそれこそユーリの世話係のような思考に、フレン自身は気付いていない。 *****
ディセンダーが進めている事もあり、あれよあれよ海へ行く話は纏まっていった。大変な時だからこそ、体を休めてリフレッシュさせよう! という理屈で大人達を説得し、アンジュにスケジュールを立ててもらっている。しかし総勢80人越えが一気に出る訳にも行かず、交代制となった。依頼の予定と合わせながら、仲のいいメンバー同士で固まったりと子供達は楽しそうだ。バンエルティア号の機動力を利用して、天気の良い海岸を選んで少しばかりのバカンスとなった。
水着にパーカーを羽織って、言い出しっぺのルークが砂浜に一番乗りしたがその表情はあまり浮かない。追いついたマオやカイウス達がわーっと後ろから走ってきて、ざぶざぶと海に飛び込む。暑いくらいの天気に、青い海が陽を反射して眩しい。文句の付けようがない状態だが、ルークには不満が山盛りのようだ。
そんなルークを後ろからユーリが見ている。パラソルを片手に、よし、と何やら気合を入れているのを、もっと後方からフレンが可哀想なものを見る目で見ていた。
「その内また海行く機会あんだろ、あいつらとはその時行けって」
へへ、と笑う表情に、子犬の里親をなんとか探して貰われていったのをまた思い出した。貰われる少しの間ユーリと、主にラピードが世話したのを懐かしむ。
「よし! じゃー遊ぶぞー!」
一転元気が出たルークは飛び出し、水辺ではしゃぐカイウス達に混ざって行った。普段だるいうざいだの、色々不満を言っている口も忘れて楽しそうにしている。その姿にフレンは微笑み、ユーリは舌打ちした。
「ユーリ、君ね……」
ちゃんと聞こえていたフレンは、溜息と共に眉を怒らせる。もっとつまらなさそうにしているユーリは、八つ当たりとばかりに日焼け止めのボトルの蓋を開け、フレンに向かってぴゅーと放出した。
「うわっ何するんだよユーリ!」
女性にやったらセクハラだよ、と真っ当な注意をフレンはするが、ユーリは聞く耳を持たない。仕方なしにフレンは、頭からかかった日焼け止めをペタペタと伸ばし始める。
「何やってんだよフレン! 塗るの下手くそすぎんだろー、俺が塗ってやるって!」
突如隣で始まった、フレンとルークの遊び合い。独りぽつんと取り残されたユーリは、キャッキャウフフと幻聴まで聞こえ出す。心の中が空っぽになったユーリは、手に持った日焼け止めのボトルを力いっぱい握りしめ、ドババッと己にかけた。使いきった液が黒髪にだらだらと流れ、白色をまだらに地面へ落とす。よし、ルークオレも塗り伸ばしてくれと口にする直前、がしりと肩を掴まれる。なんだと振り向けばナナリーが迫力の顔で怒っていた。
「何勿体ないことしてんのさ、一人で全部使うやつがあるかい!」
フレンに対するように無視する訳にもいかず、ユーリは素直に謝った。浜辺でガミガミと叱られ、それが終わって朱色を探すとフレンを連れて波打ち際で水の掛け合いをしている。……ちくしょう、そう勝手に口がついて出た。
少しの隙を縫って、ユーリはざぶざぶと足で海水と戯れているルークに声をかけた。フレンは飲み物を買いに離れていて、周りに誰も居ない。丁度いいチャンスだった。
「どーしたんだよ、泳がないのか」
生まれ育った地域に海が無くとも、泉か何かあれば全く経験しない事も無いだろう。だがそのあたりは地域差と言ってしまえばそれまでで、ルミナシアではそう珍しい事でも無い。アドリビトムの人間でも半々と言った所で、ルークの他にも波際だけに留まっているメンバーはちらほら見えた。
「ルーク、ジェイドから頼まれてるから泳ぎを教えてやるよ」
じりじりと焼ける砂浜、熱はビニールシートやパラソルの日陰もなんのそのと通り越してくる。ユーリは一人、あまりの暑さにアイスの棒を咥えてぼーっとそこに座っていた。視線の先ではセネルがルークに泳ぎを教えている姿。元々運動神経は悪くないし、水に恐怖感も無い。ルークが泳げるようになるのもすぐだろう。
「そんなに気になるなら、もういっそ行ってくればいいじゃないか」
普段はむしろ引き止めるフレンが、見かねてそう声をかけてくる。隣に座り、爽やかな笑顔で背中を押した。
「喧嘩さえしなければ僕だって止めたりしないよ。ルーク様自身、君と話す事自体は結構楽しそうにしてらっしゃるし」
フレンは怒って叱りつけるが、ユーリは全く聞いていない。セネルの手から離れて泳げるようになっているルークを、構いたくて構いたくて仕方がないのかウズウズしているようだ。
「ったく、あんな調子じゃ日焼け止めだって落ちてるだろうし、熱中症になっちまうじゃねーか。お坊ちゃんは仕方がないな!」
フレンの言う通り嬉しそうに、ウキウキとボトルと帽子とジュースを手に立ち上がるユーリ。もう何も言うまい、そう諦めたフレンはそっと顔を逸らす。
「この屑があああっ!! 紫外線をなめてんじゃねーぞ、帽子もしっかり被りやがれ! 夏の日差しの下で水分補給を怠ってるんじゃねぇカスが、汗でどんどん体から抜けてんだぞ! 体内に熱が溜まるから首に濡れタオルを巻け、髪も解けてやがるじゃねーかみっともない姿晒すな!!」
ルークの乱れた三つ編みを編み直し帽子を被せ濡れタオルを首に巻きつけジュースを口に突っ込んで日焼け止めをブバッとかける。高速でそんな仕事を果たし、そしてあっというアッシュは去っていった。近くに居たセネルやマオ達は呆然と後ろ姿を見送る。
「なんだあいつウゼー」
ほんの数歩間に合わなかったユーリの手からは、ドサドサと荷物が落ちる。そして完璧にする事の残っていない仕事に感心すると同時、いちいちこんな所まで来てんじゃねーぞ! と去っていったアッシュに勝手な怒りを飛ばした。
夕暮れ時、最後の締めは浜辺でバーベキューとなっている。誰が言い出したのかは知らないが、海で遊んだ後は花火かバーベキューと相場が決まっているだとかなんとか。ルミナシアでは火薬は戦争で使われる為、花火は存外貴重品なのだ。肉と野菜を各自の財布から持ち寄り、かなりの豪華な夕食となっている。
だがそんな楽しげな空気を、遠目で見ている人間が一人。暗闇に紛れて、髪も服も黒色のユーリ。酒を片手に一人、食事を楽しむ皆を離れて見下ろしていた。自前で用意したパフェを肴に、チビチビやっている。フレンがユーリを探している姿が見えたが、周りから皿に肉を山盛り乗せられて逃げ出せそうにない。
「一人で何やってんだよ、じじくせー」
そんな暴言も、幼い表情で言われれば怒る気も失せた。手に持った皿には肉と野菜が丁度半分ずつ、キノコとニンジンはちゃっかり入っていない。隣にやってきて座り、もぐもぐ食べている。時折思い出したように、ほれ食え、と野菜を差し出してきた。一応肉もやってくるが、どれも焦げているような味がするのは気のせいだろうか。
自分はどうなのだろうか、ふとユーリは考える。仲が良いとまでは言えないが、嫌い合っている訳でもない。エステルの繋がりで同じ依頼を受けた事だってあるし、タイミングが合えば食事も一緒にする。
「今日、楽しかった。ガイ達は残念だったけど、みんなで来れたし、泳げるようになったし……」
本当に楽しそうに、17歳と言うには幾分幼く見える笑顔は警戒心の欠片も無い、信頼を滲ませた表情。それが自分に向けられているという事実に、ユーリは背中がむずむずしだす。
「色々楽しかったけど、その……。お前と一緒に来れて良かった」
その言葉を耳に入れて、ユーリは静かに目を見開く。瞳孔から光の情報が多量に入ってきて、正面のルークしか目に入らなくなった。上着の白襟が夜色と朱色以上に反射して照らし出す、視覚から情報を拾っているのに温度を感じる。 |