ある日のバンエルティア号食堂の一角、エステルとティアが食後の会話に花を咲かせていた。本人は隠しているつもりらしい可愛い物好きのティアは、可愛らしさを体現したかのようなふんわりとしたお姫様であるエステルにある種の憧れを抱いている。エステル本人も箱入りとはいえ、一般的程度には可愛い物好きだ。二人の可愛い物談義は、連れの男性陣の存在を無視して長々と続いていた。 「……で、その時小銭を多く渡すと、お金を数える時に小さい手で一生懸命数えてくれるのが可愛くって……!」 「分かります、杖や服を一度に沢山買うと渡される時に重さに負けてヨロヨロしちゃうんですけど、それがまた可愛いです!」 「私それが嬉しくて日に何度もショップを訪れてしまうの」 「ディセンダーに負けないくらい常連さんですね、ティア」 「貢献度じゃ負けてしまうけれど、想いの強さじゃ負けるつもりないわ」 「ティア、かっこいいです!」 きゃいきゃいと女子トークの世界に、フレン・ユーリ・ルークは口を挟む事は出来そうにない。フレンは普通の女の子と同じように、仲間と楽しそうに会話しているエステルを見ては嬉しそうだ。しかしルークとユーリはそんな事に構っている場合でなかった。またもルークの好き嫌いが発動し、白身のフライを目の前にして戦っていた。どう戦っているのかと言うと、フレンに食べてもらうか何とかして残すかどうしようか考えているルークに、どうあっても食べさせようとするユーリの図。クレスかロイド、他の気のいい人間が他に居ればそちらになんとかしてもらえるのだが、今日ばかりはルークの味方は少ない。言葉無く視線で戦い合っているユーリとルークを無視して、女子二人のトークは進む。 「良かったら部屋まで見に来ません?」 「……! いいの?」 「ええ、是非きてください!」 「そ、それじゃあお邪魔させてもらおうかしら……」 何やらティアがエステルの部屋を尋ねる話が纏まったらしく、ティアがそわそわと落ち着かない。隣で未だフライと戦っているルークを叱る事も忘れ、ティアは期待輝かせた瞳でルークに告げた。 「ルーク、私ちょっと先に出るから。……そのフライを食べ終わるまで、午後のクエストは禁止よ」 「ええーっ!?」 「あなた昨日もガイに食べてもらっていたでしょう? 駄目よ」 「むぎぎ……」 「そーいうこった、諦めて食えよ」 「こらユーリ、茶化すんじゃない」 それじゃあね、とそそくさ女子二人が食堂を出ると、華やかな空気がとたんに重くなった。発生源は当然ながらルークで、頭の上に暗雲を呼んでいる。それを見たフレンが自分が片付けようと声を掛けようとするが、それをユーリが止める。ユーリ、と咎めるような声色でフレンは言うがユーリは認めようとしない。 幼馴染で共に下町に暮らしていた二人からすれば、好き嫌い以前に安定した食事もやっとだった記憶がある。好き嫌いはある程度仕方ないが、それでもルークの数は多すぎる。食堂会議で槍玉に上がる事数回、ライマの教育係数名の説得にも中々更生の道は見えていないようだ。毎日何かしら残しているルークに対していい加減、何かしら策を講じなければならないと囁かれている。あまり大事になってしまう前になんとかしようと動くのはユーリの優しさなのか、それとも個人的に気に入らないのか……フレンとしてはどうにも動きにくい。 「この機会に偏食お坊ちゃんをちょっくら矯正するだけだっつの」 「それが心配なんだろう!」 嬉々としてフライをルークの口元に突き付け、サディスティックな顔で攻撃の手を休めない。ルークも口を曲げて頑として抵抗の姿勢を崩そうとせず、まさに現場は膠着状態だ。 「メイン残してんじゃねーぞ、そんで結局間食して中途半端に腹膨らまして晩飯も残すつもりか? そうは問屋が卸さないっつの」 「うぐぐ……!」 「あんまりにも食わないってんなら、こりゃもうハロルドに頼むしかないか……」 「あの科学狂気者に何頼むってんだよ!!」 「さぁ……ただ、味覚が残ってりゃいいけどな。……ご愁傷様」 科学狂気者とは、言い得て妙だ。しかしそれは同時にルークがハロルドをどう思っているのか如実に表わしていて、自分でより恐怖を煽る。哀れんだユーリの目が同意を明らかにしていて、強ちそう間違っていない所がハロルドたる所以だった。 頭の中でオイルが通った機械人間の自分を想像して、あれちょっと格好良いかも? と思っていやいや怒られるから! と自問自答に苦しむルークは、歯軋りを隠さず自棄っぱちに叫んだ。 「食えばいいんだろ、食えばあああっ!!」 フライが刺さったフォークを乱暴に奪い取り、大口を開けて食い千切る勢いで自棄っぱちに食べ出す。目元に皺を双子の弟のように盛大に寄せ、もっしゃもっしゃと必要以上に味合わないように雑把に噛む。食べたはいいがそのあんまりな様子に、ユーリも呆れ気味だ。折角リリスが綺麗に揚げたフライは白身がふわっとして、衣もカリカリで美味しいというのに。調理人と場を同じにしてよくもまぁこんな顔で食べれるものだ、当のリリスは慣れているのか気にしていないのが唯一の救いか。 「むぐむぐ………………もがっ!?」 しかし急に、体全体をビクリと震わせてルークの動きが止まった。ハムスターのように頬を膨らませたまま、フォークを握りしめた姿勢そのままで。まるでミントのタイムストップが発動したように、ビタリと止まっている。 それを見ていたフレンが、どうしました? と声を掛けるが反応が無い。ユーリも訝しんで様子を伺い、下からルークの少し長い前髪を退けて覗きこむと瞳孔が開いていた。 「ちょ、お前どうした! 目がかっ開いてるぞ!」 ユーリが叫ぶと今度は一目分かるくらいにルークの全身が震えだし、カチャンとフォークが床に投げ出される。そしてゆっくりと頭が下がっていってテーブルにぶつける直前で止まり、顔を伏せてぷるぷると小刻みに振動していた。 「水ですか? ルーク様水なんですかっ!?」 「そんなに嫌なのかお前は! せめて口で言えよ体一杯使って抗議行動すんなよ!」 なんでお前はそういう所だけ積極的なんだ! そうユーリがコップ片手に伏せたルークの肩を掴むと、ゆっくりと涙目が恨めしげに出て来た。 「ひげぇ……! ふぁんだんふぁよ!」 「…………あ? お前何言ってんだ?」 「ルーク様お水をどうぞ」 ふぁごふぁごよく分からない音を発しながら、ルークは泣きつつも水を受け取ってそれを飲んだ。空になったコップをガンと机に叩きつけて、ふごふごまた叫ぶ。歯の抜けた老人の様なその口ぶりに、ユーリはピンときた。 「お前、急いで食おうとして口の中噛んだんだな?」 「うー!」 悔しそうに両手をダンダンと叩きつければ、それが正解だと言っているようなものだ。振動でテーブル上の皿達が迷惑そうにカタカタ揺れる、それを助けるようにユーリが大爆笑しながらバンバンと叩いた。それにフレンがテーブルを押さえつけて止めないかユーリ! と叱る。 「こらユーリ笑うな! ルーク様、今軟膏をお持ちしますから少々お待ちください」 「これもいい経験になったろ、これに懲りたら嫌いだからって慌てて食わずにちゃんと味わって食べろよ?」 「ふがー! ふぇめぇぶっひょばふ!」 「何言ってるか分かんねーって! うははは!」 「いい加減にしないかユーリ、笑い過ぎだ!」 簡単に沸点へ到着したルークが何時までも笑っているユーリに勢いで殴りかかるが、ひょいひょいと簡単に避けられてしまう。頭に血が昇って怒りで真っ赤にさせたルークは、痛みが退いてきて少しマシになってきた口で叫ぶ。 「あったまきた! 今日こそ頭地べたに付けてやる! てめー避けるんっ……!?」 がちぃ! と、今度はフレンとユーリにも十分聞こえる距離で歯がカチ鳴った。ルークは口元を抑えて床にうずくまり、全身をぷるぷるさせている。その様に流石のユーリも哀れに思った、フレンが背中をヨシヨシとさすっている姿がまた情けない。う゛ごお゛お゛おと濁点の多い呻きを上げて苦しんでいるルークに、同じように片膝着けてユーリは慰めた。 「悪かったって、ほら泣くなよ。口開けてみ? 血が出てないか見てやるから」 「ふがふごふががーっ!」 俯く顔を上げて顎を取れば、現れた顔は流石に泣いてはいなかった。もがもがと怒って暴れだそうとするルークの肩をフレンが宥め抑えて、ほらあーん、と言って口を開けさせる。素直に言う事を聞かないルークはべーっと舌を出して抵抗するものだから、ユーリは遠慮なくその舌を摘んだ。イデェ! と悲鳴が上がる隙にガツッと手を突っ込んで無理矢理開けさせる、隣のフレンから非難の声が上がったが無視した。 覗き込めば、左頬の奥が少し赤い。しかし角度が悪く暗いので、血が出て赤いかどうかまでは判別が付かなかった。唾液に血は混ざっていないようだが……、ユーリは少し考えて指を突っ込みその箇所に触れる。 「もがっ!?」 その瞬間ルークの体がビクンと飛び跳ねた。ぬるつく口内の奥を触られて、ルークはえづくように呻く。その目元には微かな水分がじわり浮かぶが、乱暴な指は止まらない。ユーリが口内で触診しようと頬肉を擦る度に、連動するかの如くビクビクとその体を痙攣させた。 「ちょ、ユーリ。乱暴過ぎだよ君は、もうちょっと優しくしないか」 「なんか見えにくいんだよ、ルークお前もっと口開けろって」 「んううっ!」 口内をまさぐるユーリの手に対して、反抗的に歯を立てたがるルークを注意するべくその顔を見る。苦しそうに眉根を寄せて、怒りから頬を真っ赤にし睨みつけてくる瞳は濡れていた。その表情はどうにもアレで、ユーリは健全なお昼時に相応しくない妄想が頭の中を走った。 一度そう意識すると、とたんに全てがそう思えて仕方がない。ぬちゃりと唾液で光る唇と、柔らかい頬の肉の感触はまさしく危険がデンジャー。 いや、いやいやいや!? ユーリは慌てた、焦りのあまり突然般若心経を唱え始めた。ぎょっとしたのはフレンで、親友の突然な行動に叱りつける手も固まる。 「んが、んんん〜〜っ!?」 指を突っ込まれたままの暴挙に、ルークは怒りのあまり遂にガチッと噛んで口を閉じた。その感触、あらぬ雑念を振り払えないユーリには、噛まれた痛みよりも指全体に絡みつく粘膜に心臓が飛び出る心地に襲われる。 「ぬおわおだーーーっ!?」 謎の雄叫びを上げて手を引き上げるユーリに、ぷはっと吐き出すルーク。口端から垂れる唾液の銀糸がユーリを追撃し、ぬらぬら光る己の指先を硬直しながらもまじまじ見つめてしまった。 「これは違う、なんというか違うからなほんとに違うんだぞ……!」 と、何にどう言い訳しているのか本人にも分からない言い訳が。うるせぇこのヤロー! と本格的に涙目のルークに、無抵抗でガシガシと大人しく蹴られる。その涙がまた別の妄想を呼んでユーリは逆切れして叫んだ、コロコロとおかしい具合のユーリに、逆にルークは引いた。 薄暗い暗雲を背中に背負ってユーリは自分の人生を見つめ直し、その間にフレンがルークの口内を見た。フレン相手になら大人しく口を開けて診察を受ける、結局血は出ていなかったのは幸いだろう。 師匠に言いつけてやるー! と捨て台詞を吐いてプリプリ怒りながらルークは食堂を出て行く。ユーリの態度を叱りながらもフレンは布巾を渡すが、相手はそれに少し逡巡していた。 「? 綺麗な布巾だから、大丈夫だよ」 「あ、ああ……。いやなんでもねぇ」 「全く君って奴は、もうちょっとルーク様への態度をだね……!」 一息ついて着席したとたんガミガミとフレンが説教するも、ユーリは上の空気味で布巾で自分の手を拭いている。ぼーっと何も考えていない様子でもう十分だろうに、機械のように同じ動作をひたすら繰り返していた。 フレンから見れば相変わらず馬の耳に念仏といった態度のユーリだが、よく見ればその額にダラダラと汗をかいている。瞳が遠くを見つめていて、黒髪がハラリとほどけた。 「聞いているのかユーリッ!?」 「いや、なんだそのフレン。喉がおかしいくらい乾いてるから水をくれるか」 二人の前にあるコップは、先程ルークに渡した事もあって空だ。フレンは後にしないかと叱ろうとしたが、ふと見たユーリの表情は真剣だった。何時になく厳しい瞳は鋭く、それはスイーツ食べ放題バイキングのラスト10分前に見せた時よりも険しく見える。 何かあったのか、先程まで叱っていたのに人のいいフレンは少し心配してしまう。 「どうしたんだい、もしや先程のルーク様に何かあったのか?」 「いや、違うんだが……」 尋ねるフレンに言葉を濁すユーリ、こういう態度は過去あまり無い。 「違うなら一体どうしたんだ、水くらい自分で注ぎに行けばいいじゃないか」 「まぁそういう訳にもいかなくてよ……」 ユーリはフレンがいくら口煩く説教しても、気にしない時は全く気にしない。貴族嫌いからくるルークへの皮肉気な行動も、その一環だ。周りにどう言われようが自分の好きなようにするのがユーリでもある、親友として好ましさ半々困りものでもあった。 しかしそれで説教を無視するのはともかく、水くらい自分で汲めばいいものを。元々食堂はセルフサービスであるし、ユーリは誰かに配膳させるような性格でもない。フレンの疑惑が募る中、ユーリはその重い口を開いた。 「いや、なんつーかな。……立てないんだ」 「……え? 今なんて言ったんだ」 「だから、椅子から立てなくなった」 「? 足が痺れたのか?」 「いや、全然違う。たったから立てなくなった」 「…………ごめん、もうちょっと分かりやすく言ってくれるかい?」 その言葉にユーリはハァー、と深い深い溜息を吐いて、キリッとした顔をフレンに向けてこう言った。 「さっきのルークので勃っちまったから、椅子から立てなくなったんだよ」 「…………………………えーと」 ユーリから発せられた言葉の意味を上手く咀嚼できない、理解できないフレンをやれやれと言った顔で肩を竦めるユーリにフレンはかなりイラッとする。そして一単語ごと噛み砕いて理解した頃には、フレンのオーバーリミッツは満タンになった。 「ユーリ……君って奴は……!」 「待て、落ち着けフレン! オレだってこんな事になるなんて思って無かったんだよ、むしろオレは被害者だ! こっちの方が緊急事態なんだぞ!!」 「問答無用ッ!!」 フレン渾身の光龍滅牙槍が食堂を3回破壊したとかなんとか、今日もバンエルティア号は平和でした。 |