誰も彼にはさわれない








 唐突だが、ユーリはルークが好きだ。

 夕暮れ沈む世界、一日の過半数が終わろうとする頃をバンエルティア号は静かに海面上をゆっくり進んでいた。大きな太陽はぼんやり水平線を溶かし、黄昏を弾いている。近隣に大陸は無く空に浮かんでいるのは雲くらい、真下には波打つ海面がきらきらと。
 生き物はどこにも居ないのに、どこか生命を感じずにはいられない。そんな相反した絵画が一枚。そこに彼は、最初から存在していたかのように立っていた。滲んでいると思ったのはその後姿があまりにも夕陽色だったから、真っ赤に染め上げる可視光線に同化していたのだ。旋毛から濃い朱が走り下に溶けて金色、風に波打つ輝きはどこの世界にも人にも見たことが無い。
 どこにも無いものがここに在る、なんて不可思議な存在。そんな彼はユーリと同じように沈む夕陽を眺めており、瞬きを数回する間、同じ時間を共有した。バンエルティア号の甲板は本来人通りが多い、こんな時間こんなタイミング、たった二人しかいないとはなんて奇跡だろうか。

 先に、……飽きてしまったのかそれとも夕陽ではなく彼の背中を見つめていた視線で穴が空いたのか、動いたのはあちら。くるりと振り返り、逆光の影から緑色が潜んで射抜いた。

 その時だ、ユーリはこの人間が好きだと自覚したのは。

 多分世間一般的に言えばこれは一目惚れ、なんてものに相当するのだろう。だが別段彼とは初対面ではない、既にじゃれ合いという喧嘩は済ませた仲になる。ある程度人格や性格も知っているし、距離感も分かっていた。なのに、どうして。どうして今この瞬間、心を奪われるのか。
 細めた翡翠はなにか探る瞳を飛ばし、けれどすぐ興味なさ気に逸らしてしまう。風にはためく沈んだ朱色の束を煩わしそうに手で押さえ、さらりと梳いて空に飛ばした。その指先を思わず視線が追い駆けて、星屑でもきらめいているんじゃないかと疑ってしまう。
 そして再度、あの緑色の、翡翠の、エメラルドグリーンがユーリただ一人を映す。少し闇色が落ちた空気はほんのりと冷たく、どこか張り詰めた気配。自分の背後には誰も居ない、だから彼の目に収まっているのは自分だけ。うずく歓喜が奥底で湧き上がり、このまま世界を閉じようかと思ったのは一瞬。
 直ぐ様その箱庭はぶち壊された。

「何ジロジロ見てんだようぜーな、どっか行けよ」

 ……くそ、可愛い。昨日まで欠片も思っていなかったものが、今日いまこの瞬間から、そう意識の世界が塗り替わってしまった自分の中で浮かんだのは、まごうこと無くそんな感想だった。




*****

 ああ、まただ。ユーリは随分と自分が苛ついているなと、言われなくても分かった。隣のフレンがコホン、と注意してくるが止められない。しょうがないじゃないか、目が勝手に探して追い駆け、そのくせ見つければ苛ついてしまう。
 視線の先には朱金の彼が従者である金髪碧眼に抱きついていた、羨ましい。似たようなカラーリングのフレンを、腹立ちまぎれで軽く蹴りつけるが足甲に当たり良い音がしただけに終わった。

「なーなー、今日の依頼終わったらバザー行こうぜー。新しい剣見たいんだよな」
「今の剣は先週買った所だろ?」
「ちげーよ、先々週だっつの。それにこれなんか地味だし、もっと軽いやつがいいんだよな、ぶん回せる感じに!」
「ぶん回すなって。ルークのスタイルじゃあんまり軽い剣は合わないと思うけどなぁ」
「いいから、俺が違うのって言ったら違うやつなんだよ! よしけってー、決まったんだからな!」
「あーはいはい分かった分かった、分かったから首を絞めるなって」

 ルークはガイの背中から抱き付き、首に腕を巻き付けてはしゃいでいる。パワー型の彼の力では結構本気で苦しいと思うのだが、加減しているのか慣れているのか、ガイは苦笑しながら腕をタップし降参の意を示した。自分の意見が通って満足したのだろう、ルークはにこやかにますます体をガイの背中に預け、結局おんぶさせて外に出て行く。
 場所はエントランスホール、人目もなんのそので後に残された人間に微妙な気持ちだけを残していった。けれど実の所、バンエルティア号の船員は皆慣れたものでもある。最近になって慣れなくなった、いや見ると鬱憤が溜まってしまうようになったユーリは別だが。

「相変わらず、あそこは仲良いわね」
「あそこだけ、ですけど。ルークはライマの人達とばっかりイチャイチャして、ちっとも私達と組んでくれないんですよ」
「そういえば彼、重要任務には行きたがらなかったような」
「バラバラに組むのが嫌なんですって。パーティ組み面倒臭いです」
「あらまぁ、よっぽどねそれ。……もしかして人見知りなのかしら?」
「どうでしょう? それは聞いてみないと分かりません」

 アンジュとディセンダーがそう、世間話感覚で評している。だが実際そんな軽いものじゃない、外から見るルークは正直少し、いやかなり可怪しい。それはルークに好意を寄せるようになったからそう見えるのではなく、以前から思っていた事でもある。

 ライマ国第一位王位継承者サマであるルークは、その地位を表すかの如くプライドも態度も高い。基本的に受け身だし、日常生活の殆どを従者に任せていた。立場的に仕方がない部分もあるかもしれないが、ギルドアドリビトムに所属しバンエルティア号に住んでいる以上、同じ暮らしを求められても困る。けれど求めるものだから、それが彼の我儘として船員には捉えられていた。
 ルークは仲間を見下している訳ではない、ただ平等に自分以外は自分の命令を聞くべきものだと思っているだけ。勿論船員達が素直に聞く訳もないし、放置で無視する者達でもない。実力行使や口車に乗せて、最近では少しずつ一般の生活というものにも慣れさせている。
 そんな傍目に我儘であるルークだが、身内と呼ぶライマの人間にだけは態度を変えていた。分かりやすく言うと先程のように、べたべたいちゃいちゃ、付き合いたてのカップルかお前らはと突っ込みが入りそうなレベルで。
 見かければ手を握っている、抱きついている、おんぶされている。態度は基本的に変わっていないが、体は必ず一部が接着しているのでなんだかもうそういう病気なんじゃないかと思うくらいだ。
 マルタが言うようなラブラブな空気、ではなくなんというか親密な空気。人慣れしない猫が飼い主にだけはべたべたになるような、あんな感じだ。それをどこだろうが所構わず、ルークは気にせずやるので船員は無理矢理慣らされてしまったという感じ。ゼロスやレイヴンの女好きらには今だ評判が悪いが、ルークが彼らの意見を聞きいれる訳が無い。
 一応その対象はガイかアッシュに収まっており、女性陣には抱きつく事はない。せいぜい自然に隣へ座ったり手を握ったりする程度……いや、十分か。

 ちょっとばかり奇異に映るが、他人にはツンケンしているルークが身内には幼子のように甘えている様子は和むというか面白いと言うか、ぶっちゃけるとあまりの変わり様で笑っていた部分もある。けれど今ではそれが大変に面白くない、つまらない。
 姿を見たくて探すが当の本人は別の誰かとイチャついて、切り離そうとしても分割出来ないくらいべたべたしている。ならばと自分から声をかければ大変嫌そうな顰め面をされ、地味に傷つく。初対面とそれからの対応が宜しくなかったのはユーリとしても自覚あるのだが時既に遅し、プレセア曰く時間は巻き戻らないのである。
 巻き戻らないのだから進むしかない、ユーリは苛つく衝動をエネルギー元にして自分を奮起させた。


***

 顔を隣同士並べれば、彼らは本当に双子なのだと今更ながら思う。今更、こんな形で知りたくもないのだが。アッシュとルークは食堂で二人、お互い嫌いなニンジンを押し付けあっている。それだけならばいい、いやよくないのだがそれはそれとして、今はどうでもいい事なのだ。

「この前タコ食ってやっただろー、今日はアッシュが食う番だからな」
「馬鹿言え、昨日の晩飯で貴様の煮魚を取り分けてやっただろうが屑が。いちいち食事のたびに手間かけさせてんじゃねぇ」
「あれは骨取っただけじゃねーか、結局食わされたし!」
「貴様の魚の骨を取ってなんで俺が食わなきゃならねーんだいい加減にしろ! グズグズ言わずにそんなもんさっさと食っちまえ!」
「だって生じゃんこのニンジン! ただでさえニンジンなのに、生なんて食い物じゃねえ!」
「チッ本当にうるさいなお前は……。じゃあその野菜スティックは食ってやるから、こっちの添え物のグラッセを食え」
「どっちにしろニンジンじゃねーか! なんでニンジン交換してニンジンが返ってくるんだよふざけんな!」
「俺だってニンジンは嫌いなんだよ屑が! いいから、四の五の言わずに、とっとと食えこの馬鹿が!!」
「いだだだだっ! 口が、きれふぅぅ〜っ!!」

 短いアッシュの堪忍袋の緒が切れ、ルークの口へ無理矢理ニンジンを詰めている。ドサクサに紛れて自分の皿の分まで突っ込んでいるのだから抜け目がない。口に入れたものを吐き出すのは行儀が悪いでのしないのか、ルークはカラフルな顔色のままモグモグと噛んでいる。
 ようやく全て飲み込んで、ルークは水を飲み干し涙目で訴えた。当のアッシュは涼しい顔で二人分の食器を片付けている。

「アッシュの馬鹿野郎、鬼畜、人でなし!」
「ふん、食い物の好き嫌い如きでギャーギャーうるさいんだよ屑が。もう行くぞ」
「ちくしょー覚えてろよクレアに頼んでタコ料理出してもらうからな!」
「その時は貴様を椅子に縛って手ずから食わせてやる、有りがたく思えよ」
「絶対アッシュはジェイドと同部屋になってから鬼畜が伝染った……っ」

 ルークは不満で歪めた顔をアッシュの背中に押し付けぶちぶち言い、けれど何時もの事に付き合ってられないとアッシュはルークごと引き摺って食堂を出て行く。残りの人間はやっぱりそれを何時もの事だと見送り、各自食事に戻る。何時も通りでなかったのはそこに響く、パキィンと甲高い音を立てて皿が割れたくらいだろうか。それをエステルが気を利かせたのかただ注意のつもりなのか、何の気なしに言った。

「あの、ユーリ。ユーリのお皿割れてます、真っ二つに」
「ああ、知ってる」
「ユーリさん、それで今月10枚目なんですけど」
「ああ、分かってる」

 リリスがそう注釈を付けるが、ユーリの眼差しは出て行った扉だけに注がれる。次割ったら給金から差っ引いて、マンボウですからね。そうリリスが言うので一応頭に入れるがあまり入ってこない、マンボウは流石に嫌だなとぼんやり考えた。




 会いたいから追い駆けるのに、姿を見れば苛つきが止まらない。一人の時ならば直接話しかけられるが、誰か……ライマの人間と居る時は顔を背けてツンと無視を決め込む。ちょいと突付けば簡単に崩れる程度だが、そうやって反応を楽しめば楽しんだ分だけ嫌われてしまい自分にダメージが返ってくる、不毛だ。
 もっとこう、想像の上ではスマートに上手くいっているはずなのだが、現実は厳しい。ルークのガードは思った以上に硬く隙間が見えず、過敏反応気味。いっそそれが意識してなんたら、と楽観視出来ればいいのだがそんな事もなく。
 優しい言葉で優しく対応している、つもりなのだが。何故か最終的にルークはプリプリ怒り自分の前から去っていく、解せない。一度フレンへ真剣に相談したのだが、可哀想なものを見る目で当たり障りなく適当に慰められたのでもう止めた。真面目なフレンがあんな反応をするという事は、つまりユーリはその領域まで行ってしまったという事だ。有り体に言えば、どうしようもない。

 ユーリは今日も懲りず朱金の背中を求めて、船内を巡り巡っている。暇なら手伝ってください、とリリスがお玉を構えながら言うので手には洗濯カゴを持って。船内のシーツを回収しながら歩いていると、お目当ての色がちらり目に入る。
 ビタリと足を止め、そっと角の見えないだろう位置で窺い聞こえてくる声をじっと探った。これは盗み聞きじゃない、聞こえてきた声を拾っているだけだ。声は三人分、最近ルークと仲が良いクレスとロイド。

「明日の依頼、ルークも一緒に行かないか?」
「んー、何のやつ」
「納品依頼。遺跡まで俺とコレットとゼロスで」
「うえー、遺跡って埃っぽいから嫌だっつーの。それにコレットならともかくゼロスだろ? パス!」
「ルークはゼロスの事、嫌いなのかい?」
「だってあいつチャラいもん、後色々被ってる」
「被ってるって何だよ、色か? 二人共赤毛の長髪だもんな」
「ああ確かに。でも髪だけじゃないか」

 角で一人ユーリは、そっちじゃないだろうと突っ込んだ。普通今の点で話題にするならば髪色ではなく、チャラい発言ではないのか。ルークが言うのかルークが、チャラいなんて。まあルークのチャラさはメッキなので、女性観で言えばゼロスに対しては嫌ってそうだ。
 ボケの集まりに対してツッコミが入らない空間に、ユーリは別の意味でそわそわしながら聞き続ける。すると話題は何時の間にかシフトしており、なんだか気になる話になっていた。

「でもルーク、ライマのみんなとは仲いいだろ? 何時かゼロスともあんな風になるかもしれないぜ」
「ぜっっっったい、無いっ。想像するだけで気持ちわりー!」
「そうかなぁ? でも僕らとは、結構近付いてくれるようになったよね」
「ああ、そうだよな最初は遠くから眺めてるだけだったもんなー」
「ちょっとずつ話しかけて窺って、やっと普通くらいにはなったのかな」
「多分最高地点はガイとアッシュくらいだろ、抱き付くくらいにさ。なぁルーク」
「う、うぜー! い、いいいいだろ別にそそそそんなの!」

 あからさまに声がどもり、顔を見ずともルークの表情を想像できる。きっと顔は真っ赤で焦り、視線を必死に逸らしているのだろう。あまりこの状態が続くとルークは逃げてしまう。小動物はすぐ怯えるので優しく扱いましょう、なんてな。

「よし、ちょっと確かめてみていいか?」
「へ、はぁ? おおおおお、おいロイド、何しやがる!」
「あ、ちょっとロイド無理にしなくても……」

 何やら衣擦れの音、視覚が無いのにやってきて猛烈に気になる。ユーリは見たいような見たくないような、今までの会話の流れで何が起こっているのかは容易に想像出来るが。

「……。どうだ?」
「ど、……どうだって言われてもよ」
「ロイド、もう止めなって。ほら、ルークが苦しそうだろ?」
「嫌じゃないか?」
「……い、嫌じゃないけど……別に」
「普通だなぁ」

 普通。ルークに抱き付いて怒鳴り声が飛んでこないのだから、十分上限だと思うのだが。ちなみにユーリは半径5メートル入っただけで警戒される、悲しい記憶だ。

「でも、俺はルークの事好きだぜ」
「……っ! う、あ、その……なんだよ、いいいいいきなりっ」
「はは、僕もルークの事は好きだよ」
「そうそう、何時でも俺達に抱き付いていいからな」
「馬鹿じゃねーの! そ、そんな事しねーよ馬鹿!」
「顔真っ赤だよ、大丈夫?」
「アイスでも食いに行くか。確か食堂の冷凍庫にまだあったはずだし」

 話はまとまったのか、クレスとロイドはほら行こうぜと言いながら歩いて行く。ルークは唸り声を上げながら、けれど足を止めて。そっと小さく呟いた。近い壁際に居たユーリがギリギリ消えるくらいの音量で。

「さ、……サンキュ」

 ぱたぱたと二人を追い駆け、ルークも行ってしまった。その背後をユーリはじっと見つめ、扉の向こうへ消えても追い駆ける。小さな残響だけを空間に置き去りにして、じんわりした心地を残す。
 素直じゃないルークの不器用な感謝を、あの二人は聞かなくても受け取っている。それが羨ましかったり、和んだり、どっちに傾けていいのやら。他人のものを欲しがる時が来るとは思ってもみなかった。けれどそれを、そのままにしておくつもりはない。無理だから諦めるなんて、端から考えてもいないのだから。




*****

 クレスとロイドに習うとして、違う部分はどこか考えた。それは案外簡単に思いつく、彼らにあって自分にないもの、それは素直さ。先の盗み聞きした……違う、偶然耳にした会話を鑑みて、ルークにはド直球まっ直線が効果的だろう。今までユーリは会えば会話を続けようとして変に回り道をしていた自覚がある、そして結局怒らせてしまうのだ。
 下手な小細工無しで、過去抱いていた素直な心を……そんな時代、自分にあっただろうかと一瞬首をひねってしまったが、まあともかく。決めてしまえば肝も座る、いざゆかん砕けるか成就するか。……正直砕ける確率の方が高そうだな、と自分でも思ったのは無視しておいた。

「ルーク、今いいか」
「俺はお前なんかに用はねーっての」

 はい、砕けたぞちくしょう。展望室で珍しく一人きり、天恵与えたもう奇跡だなと感謝してみればこれだ。ルークはソファに寝転んでごろんと、特に何もせずボケーッと窓の景色を見ている。振り向きもせず言われて、ユーリはむしろ意地を奮う。すたすた歩いてソファの肘掛けに座り、散らばる朱金と白裾を見つめる。

 三人掛けの敷地を一人で占領している姿は、まるでそれが自分の権利だと言わんばかりに傲慢だ。けれどなんだかとても似合っていて、ルークらしく見えてしまうのが人徳だろうか。王族のオーラというやつなのかもしれない、不足していない者特有の、ゆったりとした陽の気。
 普段キャンキャン吠えている時はちっとも醸し出さないないのに、ふとした時に誰よりもそんな空気を出す姿は見る者を釘付けにする。激しいギャップに惑わされ、正常な判断を失わせてしまう。ルークの面積は角度があり過ぎて、どの位置で固定すればいいのか分からない。
 我儘な奴だと思っていれば素直で、傲慢かと思えば健気で。だからユーリは、ひっくり返されたあの時、ルークを好きになった。冷静に分析すれば多分、顔が好きなんだろうけれど。

 あの時のように穴が開くほど見ていたので、いい加減視線がうるさくなったのだろう、じろりと細めた緑碧がユーリを見る。不機嫌で面倒臭そうに、口で言わなくても表情が嘘偽り無く言っていた。
 アッシュやガイ達にはこんな風に睨まないのだろうか、そう考えたらユーリは自分の口が勝手に言葉を吐いていた事に気付く。なにしろ目の前の瞳がゆっくりと大きく開き、真ん丸になっていたから。

「何言ってんのお前」
「だから、好きだ」
「スイーツが?」
「お前が」
「俺の持ってるデザートバイキングのチケットが?」
「それはそれで好きだが違う。ルークが好きだ」
「……う」
「嘘じゃない」
「じ」
「冗談でもないし練習でもない、誰かと間違えてもない。ついでに言うと、本気だ」
「ほ、……本気」
「本気」
「マ」
「マジだ。大マジなやつ」
「エ」
「エステルは妹みたいなもんで、フレンとは親友だ。恋愛感情は無い、あるのはお前にだ」
「なんで全部先に言っちまうんだよ!」
「傾向の予想と対策は基本だろ」

 事前にこんな事を言いそうだな、と予想していたがまさか全弾命中するとは思わなかった恐ろしい。結局怒り出して、ルークはがばりと体を起き上がらせる。真っ赤な顔は前髪と混ざっているが、それは照れなのか怒りなのか判別が付かなかった。

「いい加減にしろよお前! ……俺の事嫌いなんだろうが!?」
「いや、余裕で好きだ」
「嘘つけ今までの態度で好きだとか、おかしいだろ!」
「嘘かどうかはさっき否定したじゃねーか、ルークが好きだ」
「す、すっ……す、すす……。……すーっ!?」

 今度ははっきりと、照れて真っ赤になっているのが分かる。二文字目を引っ掛けて口に出来ず、壊れた機械のように一文字を繰り返しているルークは面白い。以前ならばここでそのまま言ってしまい怒らせ逃げられていた、だから今回は下手にからかったりせず正面から押しに押して、直球に押しまくるのだ。
 肘掛けからソファに座り直し、隣に座る。間近の空気は怒りをはらんで攻撃的な瞳が今にも殴りかかってきそう。慎重に距離を詰め、網を仕掛けて絡みとる。ずい、と顔を近付け僅か5センチまで、ソファに落ちているルークの手へ、ユーリは自らの手を重ねた。
 びくりと目の前の肩が跳ねる。近すぎる空白は影が重なり、縫い止められたかのように動かない。ユーリはあの日、好きだと思った時から溜め込んでいた息を本人の前でゆっくりと吐いた。

「触りたいんだよ、ルークに」
「……さわり、たい。俺に」

 ルークはライマの身内限定で、スキンシップ過多だ。その分他人には過敏に攻撃的で警戒している、近寄らせない。だからユーリの目から見て、他の誰かからルークに触れてくる人間は居なかった。ロイドに抱き付かれていた時、声だけだが相当に焦っていた様子を思い出す。今まで自分から触れていたから、触れられる事に慣れていないのだろう。
 なのでもしかしたら、ルークの心の奥底はまだ誰も踏み込んでいないのかもしれない。攻撃は最大の防御とばかりに守り、攻め入られた事が無いその世界は白銀世界。ユーリはそこへ、自分が一番に足跡を付けたくてたまらない。
 他の誰にも替われない、譲りたくない気持ちだった。

「き、…もいしそんなの。触りたいとか、お前……。おかしいんじゃねーの」
「なんでだよ、ルークはしゅっちゅうアッシュやガイに抱き付いてるじゃねーか」
「あれはその……違うやつで」
「どこが違うんだよ、オレはすごく羨ましいぞ」
「ちげーよだから! あれは……昔父上が忙しい時に、埋め合わせみたいに抱き締めてくれたから、だから……」
「だから?」
「だ、だからそんな、変な意味じゃなくって……」

 つまり、ルークは今ユーリが、恋愛的に迫っている事を分かっている。きちんと区別が付いているのだ、どういう気持ちを込めて触りたいと言っているのか。ということはそれらを含めて、あながち見込みは無くもないと。
 そしてやっぱり、ルークのスキンシップは親愛の証だった。親が子へ愛情を表す時の動作をそのままに、伝えたいと思って抱き付く。それはまるで躾のような、子供の頃に教えられたから忠実に守っている素直さ。外から映る粗暴さの影に隠れる、ルークの美点に見えた。
 もごもごと口ごもるルークは怒りを鎮め、眉を困らせて恐る恐る聞いてくる。

「……もしかして、これってやっぱ変な事なのか」
「いや、別にそんな変な……事でもないと思うけど」
「子供の頃からやってて誰にも止められないからずっとそのままだったんだけどよ、この船に来てからなんか……微妙な目で見られるし」
「まあ、そう見る奴も居るかもな」

 好きになる前はユーリもその中の一人だった。今では羨ましいな、と別軸で微妙に見ているが。
 誰の前だろうがベタベタしていたルークだが、他人の視線も本当は分かっていたのか。子供の頃からの習慣は中々厄介で止めようと思っても簡単に止められるものじゃない、恐らくルークにとってスキンシップは口に出さない分の自己表現に位置しているのだろう。ならばむしろ奇異な瞳で見る方が酷と言うものだ。
 だが国から出て身内以外の人間と触れ合ったルークには、それに対し羞恥が生まれてしまったらしい。自然に変わっていく空気が、何故かお悩み相談室になっている。ユーリはなんだかおかしいな、と思いながらもルークから縋るように掴まれた袖に気を取られた。

「別にライマの奴らだけ好きって訳じゃねーんだよ、クレスやロイドは良い奴らだしロックスやクレアも嫌いじゃない。でもなんか体が勝手に動いちまって……気持ち的には他の奴らにも抱き付きたいんだけど! あ、いや別にそんな事ないんだけどっ」
「どっちだって」
「だから、気持ち的にはって言ってるだろ揚げ足取るんじゃねーよ! とにかく、俺が派手に抱き付くから他の奴らが……じゃあ自分は下に見られてるのかって思われてるみたいで、なんか、区別してるって思われてるみたいで気に入らねーんだ」
「実際ルークは区別してるんじゃねーのか、意識してない部分で。だからライマの奴らにだけ抱き付くんだろ」
「……多分、慣れてるせいだと思う。あと抱き付いても怒らないから」
「他の奴らだって別に、抱き付いても怒らないだろ」
「お、怒るだろ!? ……お前、一番最初ん時俺に嫌味言ったじゃん」

 ちくしょうあの時のオレ、時間を巻き戻してぶん殴りたい。ファーストコンタクトの重要さに今更ながら嘆き、けれどだから今こうやって悩みを打ち明けられているほのかな優越感に浸る。
 ルークは体を退きソファの上で真面目に座り直し、キッと真剣な瞳で見つめ返してきた。

「もうクセになっちまってるんだ、治すのに協力してくれ!」
「……どうするんだ」
「だから、俺が馴れ馴れしく抱き付いちまったら注意してくれよ。そしたら気が付いて止められるだろ?」

 嘆いて浸った後は、やっぱり地獄門だった。ルークはつい先程ユーリが好きだと言った事実を忘れているらしい。好きな相手が抱き付いてきて、一体どうしてそれを自ら止めると言うのか。
 自制が保つ気がしない、けれど好きな相手の力にはなりたい。ついでに言うと抱き付かれたいしあわよくばお付き合いの関係になりたいのは邪心だろうか。
 利点と理性の天秤をシーソーして、ユーリは押し黙ってしまう。それをどう勘違いしたのかルークは、ぐっと距離を寄せて縋る瞳で頼み込む。よくアッシュやガイ相手にやっているおねだりはこんな感じかもしれない、実に手慣れて効果抜群だ特にユーリには。

「なぁ頼むよ、お前俺の事好きなんだろ? だったら協力してくれたっていいじゃねーか!」

 しっかり覚えていた上でこのお願いだったらしい、なんて奴だこいつはこの小悪魔め。けれどあっさりその誘惑に引っかかりたい、いや自ら引っ掛かりに行く自分も大概か。
 ユーリはこの部屋に足を踏み入れた途端やってしまった告白と同じように、気が付けば首を縦に振っていた。ああなんて自分は正直者で大馬鹿者なんだという嘆きも、目の前で振りまくルークの嬉しそうな笑顔で綺麗さっぱり掻き消えてしまう。
 蟻が自ら蟻地獄に落ちていくような、そんな感覚。けれどこの時からルークの瞳が柔らかく自然に自分を見てくるものだから、どうぞ食べてくれと差し出してしまいたい。自ら近付いて、面白そうに蹴りつけてくる、唐突な無防備さ。好意を示せばこんなあっさり気を許してくれるのならばもっと早く言えば良かった、ルークのハードルは高いのやら低いのやら一体どちらなのだろうか。

 ところで、告白の返事はどこへ飛んでいったのやら。聞きたいけれど今は、なんとなく否定される事はなさそうな雰囲気で満足しておいた。なにせ攻撃してきた足が手に代わり、どんどん体の距離がゼロになっていっている最中なのだから。
 ああ、成る程無意識。注意しなければならないのだろうな、けれどもうちょっと近付いて来てから。色々頭の中で考えて結局、その日ユーリの口が開く事は無かった。




*****

 それから少し、場所はあの夕暮れが鮮やかだった記憶の甲板。昼を少し過ぎて人が通らないタイミング、同じようにゆっくり流れていく風景達。さざ波が耳に優しく触ってきて、同時に人の手がユーリの頬を軽く抓ってくる。にんまり笑顔の悪戯が、警戒なんて忘れてきたように降り注ぐ。

「いいか、ユーリは実験台だぞ、俺の社会更生の為の礎になるんだからな!」
「へーへー」

 ルークはそう言って船の出っ張りにユーリを強引に座らせ、膝へと遠慮無く座った。正面同士向かい合い、腕を伸ばして肩に置く体勢はまるで恋人同士だ。このまま顔を近付けてくれればそんな夢物語が完成するのだけれど、そう上手くいく話ではない。
 注意しなければな、と頭では思うがユーリは意に反しルークの腰へ手を伸ばす。相手は嫌がりもせず笑顔で、幼い表情。倒してきた体はそのまま首筋に懐いてきて、擽ったそうな小さな声を上げる。
 剣士らしいルークのウェイトを実感しながら背中に流れる朱金を梳き、そっと唇を寄せて無防備な頬を捉えた。瞬きする睫毛が間近で不思議そうに、反対側の空の色を瞳に混ぜているのが見える。高まる期待を抑えきれず、ユーリは狙いをつけて薄っすら開いている赤い箇所へ顔を重ねようとした。

「見ろよユーリ、あの鳥すげーでかくねーか? 鷲? 焼いたら何人前になると思うよ!」

 指先はあっさり跳ね除けられて裏切られる。図ったようにギリギリで立ち上がったルークは遠くを飛ぶ鳥の影にむやみやたらはしゃぎ、ユーリの抱き締めようとしていた左手は虚しく空に浮いたまま。据え膳だとか無我の境地、仏様だの神様なんて無心、冷静な外側を必死でハリボテに作り上げ内面は暴風雨のようだった。
 自分は確かにルークへ好きだと告白したはず、そこに付け入られこんな事になっているのだがもう少し、こちらの内情も鑑みてもらいたい。もしかして無かった事にされているのだろうか、だがルークはあれから警戒を解きこうやって懐いてくれるようになった。
 反面地獄なんだか天国なんだか、ユーリにはよく分からない。想像していたよりもべたべたにくっついてくるので、下半身に血が行ってしまいそうな自分を必死で制御し、精神的に疲れ果てる。

 じゃれてくる対象になって実感したが、ルークはあくまでも動物的に懐き体を寄せてくるだけ。そこには基本的に肉欲だとか誘惑だのの邪心は一切無く、ただ好きだから傍に居ると気持ち良いから、犬猫が親愛の印として体をすり寄せるのに相当する動き。
 だからライマの人間達は止めずに好きな様にさせていたのだろう、自分のように邪念を持って近付く人間はきっと、真白い世界に染みを付けてしまうのを恐れるのだから。
 近付いてくれるから抱き締めたい触りたい、けれど子供のような信頼を寄せた瞳に罪悪感がどうしようもなく疼く。ルークは自ら懐き近付いてくるのに相手からは触らせない、なんて酷い奴だ。けれど離れられない、甘い蜜にふらふら吸い寄せられてしまう。

 今更ながらとんでもないお坊ちゃんを好きになっちまったもんだ、そうユーリは溜息を吐く。こうやって頭が痛くなるまで悩ませているのに本人どこ吹く風で、またすぐ戻って来る。そしてなんの言葉もなく人の膝を枕にして横になり、枕が硬いなんて文句を付けてきた。

「男の膝枕が柔らかい訳ないだろ……」
「それもそっか。あ、でも俺の膝は結構好評なんだぜ、低反発! って感じらしい。自分じゃ分かんねーから意味無いけどな。ユーリ寝てみるか?」
「……寝てみたいけど寝れる気がしねぇな」

 ルークは急遽起き上がり隣に座って、ユーリの体を強引に引き倒し膝に頭を置く。無遠慮に乱暴な動きでぐきりと音がしたような気がするが、大人しくされるがまま膝枕を味わう。鍛えているルークの膝は当然柔らかくはないが、若い筋肉らしいしなやかさが服越しでも感じられる。偶然顔が内側に向いており、むき出しのへそが目の前に。程々に焼けた皮膚の色合いと、ちらり真上を見ればひらひら揺れる黒いインナーの影。なんて目の毒、目を凝らせばもう少し覗けそうなのが余計に。

「どーよぉ?」
「予想通りってとこか」
「なんだよ、生意気ー」

 元気よく笑い、ルークは背中を曲げて距離を近付けてくる。どんどん降りてくる朱金がカーテンのように影を作り、光の筋をぱらぱらと切り刻む。爽やかに甘い彼の体臭が強くはっきり鼻を通り、ルークという檻に閉じ込められたようだ。
 散らばるユーリの髪をそっとつまみ、耳裏へ通す指先の繊細さにゾクゾクと、甘い痺れに瞳を閉じる。予想していた通り予想以上に、我慢ならない。すぐに離れてしまった体と匂いは、ユーリの内側こびりついて離れず幾重にも積み重なっていく。
 こんな調子でいたら、理性が焼き切れるのもそう遠い未来じゃないだろう。けれどルークが頼んだように叱り注意して止めさせるだなんて到底出来そうもない。自分で自分の首を締めているのは重々承知しているのだが、それもいっそ幸せかもなんて思ってしまう重症さ。

 以前のようにただ遠くから見て苛々していた日々と、今近くで自ら壊したくて堪らない関係。下手すれば二度と近寄ってくれなくなる、それが怖い。怖いけれど無防備に懐くルークの表情が、大丈夫なんじゃないかと確証のない勝手な自信を持たせてしまう。
 ルークのこれはクセで、自分にだけじゃない。アッシュにもガイにも同じようにしている場面を見たことがある、だから夢見てはいけない。告白したあの日から、ユーリの中の天秤は何時でも揺れっぱなしだった。

「うーん、飽きた! なぁどっか行こうぜ、依頼でも買い物でもいいからよ」
「……そもそもオレが掃除当番だった所をルークが無理矢理連れ出したんだがな」
「そーだっけ、まぁんな事どーでもいいじゃん。どこ行く?」
「おわ! 急に立ち上がるなっ」

 ルークが突然立ち上がった事で膝枕を受けていたユーリは頭を投げ出され、慌てて受け身を取る。ギリギリ無様に床へ寝転がる事は避けられたが、せめて一言欲しいものだ。そんな所もルークらしいと言ってしまえばそれまでなので、それ以上は黙っておいたが。

「よーし、討伐依頼でスッキリして、その後街でなんか買い食いしようぜ!」
「ルークがおねだりしたデザートの数々が、冷蔵庫を圧迫しているってリリスが怒ってたぜ」
「今日は外でクレープ食いたい気分なんだよなぁ、そっちのはまた今度食うからいいじゃんか」
「マンボウ食らってもしらねーぞ……」
「そん時はユーリを盾にしよう! よし行くぜ!」

 なんて都合の良い扱い。冷蔵庫のデザート達は確かルークのお願いでユーリがせっせと作ったものなのだが……本当に自分がマンボウを食らう事になりそうだ。
 ルークは決定した今日の予定を早速こなすべく、ユーリの手を取り引っ張る。そんな風に笑顔を向けられれば逆らえない、実にあしらわれている気分だ。あまつさえ腕ごと絡み取られて体を寄せてくる、ここまでサービスされては街での買い物も奢る事になるのだろうな。

 やはりどちらが天国か地獄なのか、さっぱり分からない。ユーリは我儘な事ばかり言うルークの唇を、自分のもので塞いでやろうかどうしようか、今日も少しだけ迷った。








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